あの月に向かって打て



チャンピオン

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私のボクシング好きは父親のあるひと言で始まった。

「ヘビー級という一番重く大きいクラスで、とてつもなく強い小さなチャンピオンがいる」

なんという矛盾だろう。私はすぐに興味を持った。もちろん名前はマイク=タイソン。

彼を初めて見たのはマイケル=スピンクス戦だったと思う。前評判は最強で無敗の挑戦者が史上最強のチャンピオンに挑む、この様なイメージを持って私は試合を見た。確かに小さい。小さいのだが、中身のいっぱい詰まったようなあの上半身は一体なのであろう、それに引き換えてあの細い足。あの独特の太い首。それに対して挑戦者は身体も大きく、すべてにおいて強そうに見える。果たして勝てるのか?

派手なリングアナウンスが終わり、あとはゴングを待つだけとなった。タイソンはびっしり汗をかいている。まだ私にはこの男のすごさがわからない。ただ、今にも弾けそうな筋肉が、解き放たれるのを待っている、それだけは分かった。ゴングが打たれた。

「あっ」

その男はもう飛び掛っている。腕の振りが尋常ではない。今となれば映像を見て詳しく分析し、一挙手一投足を述べることはできる。しかし当時の私には、“落雷があって煙が消えると巨木が倒れていた”その様な感じであった。気がつくとマイケル=スピンクスは膝をキャンバスについていた。タイソンはじっとそれを見ている。私もそのタイソンを見ている。やがて、スピンクスは立ち上がり、試合は再開された、と同時に2度目の落雷だ。今でも忘れない。煙が晴れるとスピンクスは白目を向いて倒れていた。当然試合など出来るはずも無い。試合後スローを見ると、最初のダウンはボディで奪っている。次は出会い頭の右のカウンターだ。衝撃だった。パンチで人間があのようになってしまうのか。その3分間もない試合で私は虜になった。まさに最高のチャンピオンだった。

やがては負ける時もくる。華々しかった初めての東京ドームでの試合から、2度目の来日。場所も同じ東京ドーム。相手は、ジェームス=バスター=ダグラスと言った。どうも序盤からタイソンの動きが悪い。のらりくらりとラウンドを消化している。それに対してダグラスの動きは良い。タイソンがまとめてパンチをもらうことも多くなってきた。タイソンが起死回生のダウンを8回に奪うが不運も重って倒しきれない。10回にダグラスのアッパーをもらい、完全にグロッギーになった時にまとめてパンチをもらい、そのままキャンバスに沈んだ。立ち上がろうとしながら、吐き出したマウスピースを手探りで探し、必至で口に戻そうとしている姿が私の頭から離れない。そのままタイソンは敗れた。タイソンの敗因は数多くある。傲慢さ、ロビン=ギブンス(元妻)、そしてカス=ダマト(タイソンの師)の死。タイソンはダグラスのパンチに敗れたわけではなく、内部崩壊していたのだ。もちろん、その日のダグラスの出来も予想以上に良かった。これも敗因のひとつ。しかし私の中でタイソンが偉大なチャンピオンに返り咲く事は疑っていなかった。実はこの時に一人のスターが登場した。辰吉丈一郎が同じリングに上がっている。これは余談。

その後タイソンは吹っ切れたかの様に復活する。その時の強い相手を選び、粉砕することで再度タイトルマッチへの階段を駆け上る。その間にダグラスは敗れていた。ぶよぶよに太った初防衛戦で敗れた。倒したのはイベンダー=ホリフィールド。東京ドームでタイソンファン以上に失望感を味わった男かも知れない。次戦をタイソン戦に控えたホリフィールドは東京ドームまで足を運んでいた。その目の前でタイソンは敗れたのだ。ホリフィールドはその怒りをぶつけるかの様にダグラスを圧倒した。クルーザを統一し、同階級最強の名を欲しいままにし、満を持してヘビーにあがってきたホリフィールド。復帰戦を今まで以上の強さで駆け抜けるタイソン。やがて何かに操られているかの様に二人は対決の日を迎える。

そのために私は父親を口説き、WOWOWに加入する。時は流れたものだ。私はもう高校生になっていた。タイソンを初めて見たのは小学校中学年、タイソンが敗れたのを見たのが中学生。私は自分の成長と共にタイソンを追っている。

うまくはいかないものだ。二人は共同記者会見も済ませているのにも関わらず互いの道を別にする。タイソンが婦女暴行容疑で収監されてしまうのだ。タイソンの奔放な性格が裏目に出た。実刑判決をくらいタイソンは塀の向こうの人になる。

その後ヘビー級は混沌を極め、群雄割拠の時代に入る。タイソンが戻ってきた頃には、誰がチャンピオンなのか、誰が本当に強いのかわからなくなっていた。皆さんもご存知のようにタイソンはその後チャンピオンに返り咲く。しかし、私にはタイソンがかつてのそれで無いような気がしていた。確かにパンチは強い。しかし、力が入りすぎで身体全体の柔軟さから生まれるパンチでない気がした。ガチガチの硬い体からパンチが出ているように見え、踏み込みのスピードを感じられない。それに違和感を覚えていた気がする。

急転直下だった。タイソンが試合後の記者会見の途中で会場が暗くなり、再び明かりが戻るとそこにはホリフィールドがいた。“Finally(ついに)”と銘打たれた試合が決定したのだ。これには驚いた。初めて見る演出であった。

結果は無残だった。踏み込みの遅いタイソンに対して、ホリフィールドは頭から突っ込む先方でタイソンをのけぞらせた。タイソンとの戦いで逃げる姿勢を示さず、前に出る先方を初めて取ったのがホリフィールドだった。前に向かっていく姿勢は立派だが、度重なるバッティングは目に余った。タイソンがレフェリーにアピールしても、問題視されない。やがてタイソンがカットする。初めて見る光景だ。その後ダウンを奪われ、運命の10ラウンド終盤。連打をもらい、とどめのクロスカウンター。一瞬失神したかの様にタイソンの身体が傾いた。何とか持ちこたえたが、朦朧としたまま11ラウンドへ。もうこのラウンドはおまけのようなもの。タイソンは敗れた。しかし、あのダメージでダウンしなかったタイソンはやはり怪物だった。

ホリフィールドとの再戦はご存知のようにホリフィールドの耳を噛んでしまった。決して許される行為ではないが、試合開始から卑劣なまでのホリフィールドのバッティングがあり、タイソンは開始早々カットして出血していた。これに対するレフェリーからの注意は一切無い。これだけは言っておきたい。その後は勝ったり負けたりを繰り返す。先日、名も無き若いボクサーに敗れたタイソンは引退した。

このコラムのタイトルは「チャンピオン」だ。なぜこのタイトルをつけたか。マイク=タイソンは偉大なチャンピオンだ。それまではしばらくの間タイソンの強打に耐えていれば良いと考えていた対戦者が、ホリフィールド戦をきっかけに怖いもの無しに向かってくるようになった。「タイソンおそるるに足らず!」これが合言葉かの様に襲い掛かる。もうタイソンのチャンピオンの称号はステータスではない。ただの消耗品だ。偉大なチャンピオンを倒した称号を手にしようと、みんなが寄ってたかって奪いにくる。当時チャンピオンだったレノックス=ルイスもそうである。タイソンにのしかかり、試合の終盤辺りでタイソンをノックアウトしてしまった。いままで築き上げ、蓄積されたチャンピオンの名声は、飢えた挑戦者(あえてそう呼ぶ)に削り取られていった。タイソンからボクシングを取れば何も残らない。お金の使い方も知らない。彼はチャンピオン時代に稼いだ、途方も無い財を使い果たしていた。人に裏切られたこともあったろう。

タイソンはチャンピオンの座から転落しても、ただの男に帰れなかった。骨の髄まで若い挑戦者にしゃぶりつかれていった。チャンピオンとはかくも悲しき存在である。ヘビー級のチャンピオンはアメリカ大統領より偉い。そんな言葉を聞いた事がある。その富と名声を手にした代償がこれか。あまりにも悲劇的だ。背負った借金を返すためリングに上がる姿は見るに耐えない。相手はタイソンを倒した称号を得るために向かってくる。それをもう跳ね返す力はタイソンに残っていない。それが繰り返されタイソンは消耗品として廃棄された。タイソン最後の試合で見せた涙。胸にくるものがあった。消耗しきった男から流れた純粋な涙だ。しかし今はK-1がタイソンにむしゃぶりつこうとしている。

チャンピオン時代のタイソンは人間不信だったという。私の中でタイソンは未だに偉大なチャンピオンである。
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by mau46 | 2005-10-10 21:14 | スポーツ
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