あの月に向かって打て



神様のココロ

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私の家に衛星放送が来たのは、前述したようにマイク=タイソンの試合を見るためにおねだりしたのだから、高校1年生の時である。WOWOWは有料放送で申し込みが必要だったため、衛星放送が見られるようになっても、WOWOWだけはすぐに見られなかった。つまりNHK衛星第1・第2しか見る事ができなかった。しかし、当時は喜んで、少々無理してでも普段見ないような番組を衛星放送で見たものだ。そんな単純さは今でも変わっていない。

しかし、スポーツ番組は充実していた。サッカーも正確にはいつ頃だったかは覚えてないが、リーガ・エスパニョーラもやっていた。当時、セリエAはWOWOWで見るもの、リーガはNHK衛星で見るもの、となっていた。もちろん私はサッカーばかり見ていたのである。しかしある時、私はとんでもないものを見てしまったのである。空を飛ぶ人間を。サッカー好きは“フライングダッチマン”ことヨハン=クライフかと思うが、私が見た人はマイケル=ジョーダンだった。一度見て信じられなくて、二度見て惚れた。マイケルが飛ぶと時間が止まる。マイケルはコートの制空権を制している。そして、流れる時間に干渉する権利を持っている。そして全てを支配する力を持っている。私はそんな人をもう一人知っている。ミレーヤ=ルイスだ。彼女はバレーボールキューバ代表のエースだった。彼女もその3つの権利を牛耳っていた。ミレーヤはある練習で、あまりにも正確にトスを上げるセッターに対して、トスを散らせと言った。しかし散らせばどのようにトスが上がるかわからないのでは、というセッターの返しに、ミレーヤは、“大丈夫。上で待っているから”と答えたという。そのセッターが中田久美だったとか、そうでなかったとか… 話がそれたので元に戻そう。

私の家族はスポーツ一家だ。皆がスポーツ好きだ。私がマイケルのプレイを見ていると、いつの間にか母親も一緒に見ていた。母も惚れたらしい。それからと言うもの、マイケルの試合を追うようになった。

彼を見ていて思う。確かに、ずば抜けた身体能力を持っている。しかし、ジャンプ力ではクライド=ドレクスラーの方が上ではないか?ドリブルでは、アイザイア=トーマスの方が上ではないか?パスはマジック=ジョンソンの専売特許だろう。では、マイケルの最大の凄みは何か?それは絶対的な精神力だ。彼は逆境を受け止め、その中で一瞬顔を出すチャンスを逃さない。誰もが萎縮してしまいそうな、その緊張感を楽しむ事ができる。よく最近テレビなどで耳にするのが、「オリンピックを楽しんできます」「大会を楽しみます」などにある「楽しむ」と言う言葉だ。そんな選手がいざ本番となれば、誰よりも引きつった顔をしている。要するに、言わされ感があるのだ。暗示にかけているのかもしれない。だからあまりキツくは言えないが… 大舞台で「楽しむ」と言うのは、例えばサッカーブラジル代表のロナウジーニョ=ガウーショのような天真爛漫さを言うのである。無理にその言葉を言えば言うほどそれは痛々しく見える。しかし、マイケルのそれはロナウジーニョのそれとは違う。根本的に違うのだ。ふいに比べてみたくなった。コラムの趣旨とは少々ズレるが、ご容赦いただきたい。

二人には考えられないようなプレッシャーがその肩にかかる。ロナウジーニョはどうだろう。彼天性の柔軟さでそれを吸収してしまうような感じがする。プレッシャーを彼のやわらかな世界が包んでしまうのではないか。で、いつの間にか観衆はロナウジーニョに任せておけば大丈夫、という気持ちになっている。ロナウジーニョにスタジアムが包まれてしまっているように。では一方マイケルは… 彼はそのプレッシャーを全て受け止める。それを背負ってプレイに反映させる。マイケルはプレッシャーを包み込むようなスタイルではない。そのプレッシャーを身体に蓄積させ、それを一気に爆発させる。まるでプレッシャーが多ければ多いほど能力を発揮するかのように。サッカーとバスケットは全く別の種目なので同じ土俵で語るのは愚かなのだが、ここぞ!といった1対1の場面などでは両者は必ず決める。見ていて面白い。ロナウジーニョはまるで相手がロナウジーニョに操られているかの様に動いて、抜かれてしまう。マイケルはその迫力に相手は金縛りにかかって動けなくなり、抜かれてしまう。抜かれた相手の顔はこうだ。

ロナウジーニョに抜かれた場合、「一体何をやられたんだ??」

マイケルに抜かれた場合、「なんだかすごいものを見た!」

この様に私には見える。

マイケルの精神的支柱は何か。一度だけ崩れた事があった。それは彼の父親が亡くなった時だ。それが原因で一時引退した事もある。尊敬してやまなかった父親の死が彼を変えた。と言うことは今までの彼の精神的支柱というものは父親であったのかもしれない。絶対神の様な偉大な父親が彼の後ろについて、全てを支えていたのか。しかし、それだけでは解明できない。ボクシングの亀田親子の父権とはまた違うような気もする。だが、精神的支柱となれば同じか。その絶対的なバックがある限り自分は大丈夫といった、親子だけでしか存在し得ない保険があるのであれば、それはありうる話なのかもしれない。私はマイケルの精神的支柱を父権と見ている。それはまだ私が父に完全に劣っているからだ。父権に裏付けられた強さ。次は自分自身の強さ。そういった段階があるのであろうか。

マイケルの精神力は素晴らしい。人間として素晴らしい。彼はある日ファンの子供にこう聞かれた。

「ねぇ、マイケルは本当に飛んでるの?」

「ちょっとだけね」

私は彼には絶対にかなわない。それを言われた子供は一生マイケルに心酔するだろう。それを聞いた私もしびれた。

今日のコラムは私にとってもテーマである。プレッシャーに耐えうる心と身体。まだコラムを書き出してすぐの私が感じた事をここに書いた。マイケルの精神的強さは毎年書いていきたい。その人生の節々で感じることも必ずあるからだ。今の私ではこの程度なのだ。もし来年、このテーマに私が挑戦していたら、私の成長具合を見て欲しい。
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by mau46 | 2005-10-12 19:35 | スポーツ
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