あの月に向かって打て



“高校生らしさ”ってなんだろう

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最近、夏前になると新聞の投書欄で目にするのが、高校球児に関する事だ。
『眉毛が細い』
だの
『高校生らしくない』
というのが目に付く。

では、“高校生らしさ”とは何か?それは投稿者や有識者がつくりあげた偶像なのだ。「こうあって欲しい」「私の高校生時代はこうだった」。これらの色あせたアルバムに現実の高校生を当てはめているのだ。なるほど、当時は物もなく、不自由な暮らしをし、ファッションに手を伸ばす余裕などなかったのかもしれない。しかし、その投稿者が現代に生まれていたら、彼らも喜んでその格好をするに違いない。

有識者による貴重なアドバイスということは非常に理解できる。しかし、考えていただきたい。私は前のコラムで日本は過保護だと言った。有識者の優しさからくる高校球児へのアドバイスだろうが、当の球児や若者はそれをどう思うか。反発の材料としかとらないのではないか? 正直、筆者も今の高校球児の眉毛などは格好悪いと思う。その格好悪いのを全国のお茶の間の皆様にさらしているのだから。しかし、恥をかいているのは彼らなのだ。それを見て不快に思って新聞などに投稿する程であろうか?笑ってやればいいのである。人に注意されて気づくよりも、自分でその恥ずかしさに気づいた時の方がショックは大きい。皆さんもそんな経験はないだろうか?昔の写真を見て、「こんな恥ずかしい格好をしていたのか!」と思う時を。

話が飛躍し過ぎかもしれないが、「らしさ」ということに焦点を向ければ、昔は野球のカーブですら「スポーツマンらしくない」と言われた時代があったのだ。つまり、“スポーツマンたるもの正々堂々と真っ直ぐで勝負しなければならない”という感情があったのも事実だ。では、“高校生らしさ”を言うのであれば、変化球も禁止にすればどうだろうか。正々堂々として非常にさわやかである。また、変化球は投手の肘に大きな負担をかけるため、健康上の問題もクリアする。さらに、“高校生らしさ”を追及すれば、まだフィジカルもできていない“高校生らしい”身体の彼らに、炎天下で連戦させる試合のスケジュールの組み方はいいのであろうか?有識者が自分達の都合の良いようにコントロールしているだけではないか?

いつも私のコラムで言う言葉だが、スポーツは大人のおもちゃではない。なぜ子供の野球離れが進んでいるのか。それは時代に乗り遅れた過去の産物が、夢見てつくりあげた世界に子供を埋没させようとしているからだ。丸刈りの件がある。有識者は、
「本当に野球が好きなら、丸坊主も気にならないはずだ」
と考えるだろう。また、
「学生時代の数年間我慢すればいいじゃないか」
と紋切り型のセリフを吐く。

何も筆者は、高校生の肩を持っているわけではない。しかし、大人がたった数年間ととらえている時間は、高校生にとっては非常に大切な時間なのだ。かけがえの無い二度と帰ってこない時間なのだ。彼らはオシャレに目覚め、色んな試行錯誤も繰り返し、恥をかきながら自分を確立していく。それが過去の偶像に当てはめるような行動でそれを奪っていいのだろうか。厳しい辛辣なアドバイスを送るのも優しさなら、子供がストーブに触って初めてその危険を知るように、上から見守ってやるのもまた優しさではないであろうか。

筆者が思う、“高校生らしさ”は恥ずかしいことを堂々とできる勢いでもあるし、何にでもチャレンジできるバイタリティである。


あとがき: でもああいう新聞に投稿する人ってちょっと特殊ですよね。日ごろのうさ晴らしを投稿することによってしているのか、何かの団体の後押しがあるのか(これってタブー??)。


P.S. そろそろ暑くなってきましたので、高校野球の話を始めました(11月9日談)。すいません。思いつきでコラム書いてるもので…
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by mau46 | 2005-11-09 10:52 | スポーツ
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