あの月に向かって打て



英語とスポーツ in Japan

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私は英語が大嫌いだ。心の底から英語が大嫌いだ。しかし、アメリカに留学して英語を学んできた。そんな英語は大好きだ。

矛盾した話だが、何を言いたいかと言えば、私は日本の英語教育が大嫌いなのである。正直言って意味が無い。そもそも英語と言うのは言語であって、書き言葉ではない。また、話せもしない人間が教えているのもおかしい。サッカーのできない人がサッカーを理論だけで教えることができるのであろうか?それは不可能である。最初から間違った基礎を教えてしまい、いざ本番となったときに後戻りができないような状況に陥る可能性は非常に高い。

筆者がそれを痛感したのは留学に行って最初の時である。まずはクラス分けをするためにテストがあった。前半文法、後半ヒアリングや作文であった。こんな事を言いながら、実は筆者は英語の成績が良かったので、テストの前半は非常に良く解けた。しかし、後半は慣れていないせいもあってかボロボロだった。後日クラスが決定されると、筆者は中級レベルのクラスに落ち着いた。クラスにはアジア人とヨーロピアン・南米が半々の割合くらいだったと思う。同じようなレベルの人間かと思っていると、それは甘かった…

クラスが始まると、ほとんどヨーロピアン・南米が授業をリードしている。彼らはまくし立てるように話し、みんなを引っ張っていく。どう考えても同じレベルの英語ではない。圧倒的に彼らの方が実力が上なのだ。みるみる周りとコミュニケーションをとっていく。しばらく考えて謎が解けた。我々アジア人は、前半の文法で点数を稼ぎ、ヒアリングなどで点を落とした。ヨーロピアン・南米は、文法はともかく実務としてヒアリングなどのコミュニケーション部門で点数を取り、文法で点を落とした。つまり平均すると同じクラスになってしまったのだ。アジア人は英語を学問としてとらえ、ヨーロピアン・南米はコミュニケーションとして英語をとらえているのだ。圧倒的な差ではないか!これには参った。ほとんど我々アジア人はクラスの中心に入れないではないか!しかし私はこれらの障害をクリアできた。その理由は2つ。
① 運の良い事に父の仕事の関係上、海外に行く機会が多くコミュニケーションをとる事に抵抗が無かった
② 中学の時に通っていた塾で、生きた英語を教えてくれた恩師がいた。
これである。私は日本の学校で学ばされたモノをベースとして活用せずに、自分の経験、そして生きた教材をベースに英語を学んだ。それがなければ、親に出していただいた貴重な留学費用をドブに捨てる結果になってしまったかもしれない。

なぜ筆者が延々と自分の英語を学んだ話をしたかと言えば、日本のスポーツにも当てはまるような気がしたのだ。

先日、テレビでサッカーを見ていた。ロナウジーニョ=ガウーショというブラジル代表の選手が飛んできたボールを自分の背中に当ててパスをした。世界中の人間が度肝を抜かれたプレーだったと考えられるが、試合後彼は飄々と語った。
「練習でやってたことだよ」
この途方も無く広いイマジネーション、スペクタクル、そしてファンタジー。彼は練習の中でそれを行っていたのだ。残念ながら、日本のスポーツ選手でこういったイマジネーションを持った選手が出現することは、本当に稀有である。それは私が痛感した日本の英語教育とヨーロピアン・南米の連中との壁に通ずるものがあるのではないか、そう思ってこのコラムを始めた。
確かに日本代表はFIFAランキングでは、2005年10月の時点で16位である。クロアチア(19位)、ウルグアイ(17位)、そしてカメルーン(23位)よりも上位なのだ。しかし、もし彼らと直接対決することがあれば結果はどうなるだろう?それは言わずとも知れたことである。

確かに日本のサッカーはレベルも高くなり、世界と勝負させてもらえるまであと一歩のところまできたように思える。しかし、選手が誰が誰なのかわからない。ハッキリ言えば突出したものがない。目立つのは中田英寿、中村俊輔くらいであろうか。野球で言えば、最近こそ出てきたが個性的なフォームを持った選手がメジャーに比べて少ないとも思う。

これは日本の英語教育とヨーロッパ・南米の英語教育と重なるのではないか。日本は文法などのカタチから入り、ヨーロッパ・南米は実務で入る。文法に振り回される日本人ではなく、彼らはコミュニケーションとして英語を操っているのだ。また、ヨーロッパ・南米はその実務の中から遊びを見出し、それを試合に反映させる。その決定的な差を埋めない限り日本になかなか勝ち目は無いと筆者は思う。

ここまで書くと日本の批判ばかりで意味の無いコラムになりそうだから筆者の考えを示すと、筆者がその決定的な差を埋めたのは、先に挙げた2つの例だった。正直、日本の英語教育と同じではまったく通用しないので、抜本的な改革が必要だと思った。つまりこうだ。
① 幼い頃からサッカーを海外で学ぶのは難しいが、日本の常識にとらわれないスタッフと外国人スタッフを中心としたチームを日本で築き上げる。
② 今までのトレーニングに対してのこだわりを捨て、本当の遊び(押し付けでない)も盛り込んだカリキュラム中心にその中からプレーの閃きを引き出す。
③ 上下関係を無くす。←人に対するリスペクトを排除せよと言う訳ではない。日本の妙な奴隷制度の様な立社会を排除する意味だ。
以上の考えがある。
もちろんこれがベストとはとても言えない。しかし、サッカーに限らずこれから日本は世界を相手に戦っていく。今までのやり方を一度リセットして、根本からフィジカル・メンタルをつくりあげる必要があるのではないだろうか。

最近、公園でボールを蹴っていると、たくさんの子供がサッカーをしているのを見る。筆者の学生の頃に比べると格段上のテクニックがある。この子供達が型にはめることなく自由な発想を持ったプレイヤーになってもらいたいと切に思う。
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by mau46 | 2005-11-10 08:30 | スポーツ
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