あの月に向かって打て



Innovation Vision

私は今まで、フィギュアスケートに興味が無かった。私が求めるスポーツとは「強さ」である。「美しさ」とは、「強さ」から生まれてくるものであり、それは「美しさ」とは言わず「美学」と呼ばれるのではなかったのであろうか。

長野オリンピックはたいそう盛り上がったそうな。スポーツに疎い人からもその感動を幾度と聞く。長野オリンピック... 確かに私も見たのだが、ちょっと見方が皆さんとは別だった。
ちょうど私はアメリカへ留学中だった。放送されてもそのほとんどが、アメリカ選手中心の番組で、アイスホッケーなどが主だった。おそらく時差の問題もあったかもしれない。夜の11時を過ぎるとNHKが放送される。それで日本選手の活躍を聞いた。ジャンプ陣の活躍。清水の豪快なロケットスタート、そして里谷の台頭。
海外在住経験者はわかると思うが、NHKがニュースで放送するオリンピックの放映権は日本国内に向けた放送に限られる。よって私はVTRを見ても、アナウンサーの絶叫を聞くだけで、あとは虚しく動かない長野の美しい景色を眺めていた。なんともやりきれない...

やがて私は帰国し、実家にてたまったビデオを見ていた。いつ録画したものかも、誰が録画したものかもわからない。とにかくTV画面にはフィギュアスケートが流れていた。競技はフリーの演技だったように思う。
私は興味が無いので早送りしようと思ったが、リモコンの手を止めた。なぜ私が手を止めたか。銀板で舞っている選手に驚いたからだ。初めて見るアフリカ系選手。公にはされないが、暗黙の了解として未だに根強く人種差別は残っている。アフリカ系の水泳選手、スキー、スケート、テニス、そしてゴルフ。近年我々は当然のようにタイガー=ウッズやビーナス・セリーナ=ウィリアムス姉妹をTVで見ることができるが、彼等・彼女等は根深い人種差別を乗り越えてきている。現在の彼等・彼女等は実力で、その垣根を乗り越えてきたと言えよう。それは特筆に価することだ。
そこへまた一人、挑戦しようとしている選手がいる。
名前は知らない。ただ、フランスの出身であることがわかるだけだ。いや、正確には名前を憶えていない。名前を見るのを忘れるほど、私は彼女の存在に驚いていたのだ。私は彼女の力強い演技に「美しさ」を見ていた。

「あっ!」

彼女が転倒した。なんとも力強い演技であったのに、これはもったいない。
フィギュアに全く知識を持ち合わせていないが、転倒すれば大きな原点となるくらいは簡単に想像できる。

その後、彼女のとった行動。それが私にとって、スポーツの観点を大きく変えた事件となった。
Innovation Vision「視覚の革新」
まさにそれである。

彼女は転倒から立ち上がり演技を続けた。
私は目を奪われた。
彼女は宙を舞ったのだ。
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バックフリップ。いわゆる空中でのバク宙である。未熟者とは言え、少しくらいはフィギュアを見ていたので、そんな技が今まで公の場でしていたのは見たことがなかった。
アナウンサーも解説もあっけに取られる。私もあっけにとられる。
アナウンサーが思い出したように話した言葉が、同時に私の転機でもあった。

「バックフリップは危険な技のため、採点の基準にはなりません...」

「ちょっと待ったれよ!!」

私はTVに向かって叫んでいた。あんな誰もした事の無い技が採点基準に入らないなんて不条理だ。
しかし、それは彼女も百も承知なのだ。それでも彼女は技を披露した。
”ヤケを起こした”そう受け取る人もいよう。確かにそうかも知れない。しかし、彼女は他が追随できない技を大勢の観客の前でやってのけたのである。
私は思った。これは彼女の抗議なのだと。最高の技を披露しても採点基準に入らない矛盾さを、バックフリップに載せて世界へアピールしている。

虚しさと美しさが共存した瞬間だった。
会場は最高のボルテージに包まれる。

彼女は敗れ去る運命にあるが、観客は誰が勝者か知っている。

私は今までに無かった感情を得ることができた。

彼女は転倒し優勝が無くなった瞬間、攻めた。
世界で誰もやったことの無い技で攻めた。彼女の技は数字を超えていた。
そうなのだ。例え数字に載らなくても、そこで自分の持ちうる最高の技に挑戦したのであれば、それは勝者なのだ。
どんなスポーツでも一緒である。例え失敗しても攻めに攻めて敗れたのであれば、人は手を止め足をとめ、拍手を送る。
そしてそれは何よりも「美しい」。
私はそれ以降フィギュアで彼女を越える「美しさ」を見たことが無い。

彼女の名前は、スルヤ=ボナリーと言う。
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私が見たその大会は長野オリンピックのVTRだった。
今も語り継がれるスルヤのバックフリップ。

テレビは、今回のトリノオリンピックでメダルが少ないことを憂いている。

金メダルは人から与えら得た勝者だ。
しかし真の勝者は、結果は伴わなくても、自ら持ちうる力に挑戦した選手である。

個人的に安藤美姫は、好きになれない。しかし、彼女は4回転サルコウにチャレンジし散った。
あそこで彼女がサルコウを捨て、別の技で入賞しても一生悔いを残す大会になったであろう。
あれでよかったのである。



日本の次の大舞台は6月のワールドカップである。
ブラジル戦を捨てるなんて、みっともないことを言うな。
ピークはあくまで第1戦。
ブラジルを倒して、残りの試合を全部落としたとしても、歴史に名を残す。
攻めて攻めて攻めまくってもらいたい。

私のマイノリティーならではの願いである。
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by mau46 | 2006-02-27 18:12 | スポーツ
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