あの月に向かって打て



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戦評 6月10日

○ イングランドVSパラグアイ(1-0)

結果はイングランドの辛勝だが、イングランドの弱点が完全に露呈した。ルーニーが出場しない限り点は取れそうに無い。オーウェンの衰えが目立つ。
1点を先取したことにより攻撃が大味になり、独創性の無いサッカーに陥った。もっとジョー=コールを絡めたサッカーをして欲しい。


○ スウェーデンVSトリニダード&トバゴ(0-0)

まさかの退場劇で一人少ない十字架を背負わされたトリニダード&トバゴ。その中で監督は『攻撃』を選択した。この勇気ある決断に感動すら覚えた。
実質スウェーデンは負けたに等しい。
しかし、ルーニーのいないイングランドには勝機はある。


○ アルゼンチンVSコートジボワール(2-1)

コートジボワールは、相撲に勝って試合に負けた。エースのドログバを抑える為に、アルゼンチンは常に3人以上で徹底したマーク。功を奏したが、ゲーム終盤スタミナが切れた途端にドログバに自由を与えてしまった。
アルゼンチンの2得点はリケルメ絡みだが、本当のMVPはソリンだったと思う。あの運動量はハンパではない。
オランダファンとして、恐怖を覚える。
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by mau46 | 2006-06-11 19:16 | スポーツ

大政翼賛会

大政翼賛会・・・

(首相を総裁とし、官僚・軍部・政党などから役員を選出、都道府県支部のトップは知事が就任するなど、全政治勢力丸抱えの上からの官製組織であり、政府の政策に協力する公の結社を意味した。)



今朝、8時から始まるテレ朝系の番組、『スーパーモーニング』を見ていた。
今日は早朝より日本対ドイツのテストマッチがあったため、その特集だった。

結果は皆さんご存知のように、2対2の引き分け。
画面上の人間は勝てなかった悔しさをいっぱいに表していた。
しかし、「日本代表良くやった」と。
「感動しました」なんて言ってるお馬鹿さんもいる始末。

そして話題はそのままワールドカップへ・・・
司会の渡辺某は、出演者に問う。

「ワールドカップ、日本は勝てますよね!」

みんなはわかったような顔をしてうなずいている。


そこで今日のトピックだ。
その出演者の中で、一人だけ真っ向から違う意見がいた。

スポーツジャーナリスト二宮清純だ。
彼だけがテストマッチを批判した。
しかし、まるで非国民かのような扱い。

そこで渡辺某の質問だ。

「ワールドカップ、日本は勝てますよね!」

二宮清純は答えた。

「この空気で“勝てない”とは言えない。」

そして付け加えた。

「大政翼賛会みたいだ」

日本は戦前、マスコミや政府のミスリードによって勝ち目の無い戦争に突入した。
世界を読みきれない者ども。

日本は成長していない。
まだサッカーという媒体を用いても世界を読みきれていない。

このコメントを呼んでくれた方々。
日本サッカーは到底世界の強豪相手にまともに試合を出来る戦力は整っていない。
おそらく1勝もできないであろう。

しかし、そこで1勝でもしてくれたら、大いに盛り上がろう!!
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by mau46 | 2006-05-31 15:01 | スポーツ

Wake up Possibility

先日、近所の某大阪で有名な大きな川のほとりでサッカーをしていた。
すると、小学校低学年くらいの子供が二人近づいてきて、

「一緒にやろう」

と誘ってくれた。

私は嬉しくなって、一緒に遊ぶことにしたのだが....

驚いた。


今の小学生はここまで上手いのか。
我々が幼い頃には知る由も無かったフェイントを巧みに使い分けてくる。
しかもその動きは独創性に溢れ、明るい未来を感じさせてくれた。
そして何よりも、なんと楽しそうにサッカーをすることか。
情報化社会はこういった面で子供に良い影響を与えている。

筆者が子供の頃、サッカーを見るといえば『ダイヤモンドサッカー』という番組か、
サッカー雑誌くらいであった。
特に『ダイヤモンドサッカー』は海外のサッカーを放送してくれるのだが、
番組時間枠の関係上、前半と後半を2週に分けて放送していた。恐ろしい時代だったのだ。
世界のサッカー情などは入ってこない。異次元の世界だった。

中学になったあたりで衛星放送が始まり、そういった事に敏感な我が家は衛星放送を即座に導入した。
それによって私はイタリアのプロサッカーリーグ、セリエAをやっと見ることができた。
これは活気的な事だった。

しかし、今の子供は世界中のサッカーを見ることができる。
テレビをつければどこのリーグも見られる。インターネットを利用すれば分析もでき、ビデオで繰り返し見ることもできる。
それにより色んなフェイントを身に着ける事ができる、幸せな環境にいる。

そんな子供を見て、

「このまま楽しいサッカーを続けていって欲しいな」

本気でそう思った。


しばらくたったある日、私はプールに行き、汗をかいた。
その帰り、施設の横にある中学校のグラウンドに目が止まった。
サッカー部が練習している。
先日の子供のサッカーに明るい未来を見ていた私は愕然とした。

「まったく我々の時代と変わっていない・・・・」

基礎練習云々の事ではない。それはある程度、普遍的なものだ。
しかし私が見たのは1対1の練習だった。
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フェイントなんてワンパターン。ボールを横に蹴りだすだけ。
そこに独創性のかけらもなかった。
個性の一つも見られない。
せっかくの1対1なんだから、テレビで見たりした選手のフェイントを試せばいい。
しかし、そういった真似事もしていない。

私は考えた。

「あの可能性を持った子供もこうやって、管理的なサッカーをして埋もれていくのであろうか」

もちろん、この学校を私はたまたま見ただけであって、それが全てとは言わない。
しかし、今の日本代表のプレーを見ていても独創性に溢れるプレーは全く見えない。

これほど求めれば、いつでも情報を手に入れられる時代なのに、
なぜ色んな世界中の選手のプレーの真似をしないか。


ロナウジーニョ=ガウーショは言う。

「好きな選手の真似をするのが一番の上達」

と。

今年、高校サッカーで滋賀の“野洲高校”が画期的なサッカーで優勝した。
個人技を重視した柔軟性のあるサッカーを展開したのだ。なんとプレイヤーの楽しそうな事か。
見ているこちらまで楽しくなる。
コーチはドイツでサッカーを学んできたらしい。


指導者に言いたい。
型にはめるのが指導ではない。世界中のプレー方法を取り入れて、子供に選択肢を与える事が指導の一つだ。
「教えてやる」のではなく、「道を造ってやるのだ」




可能性を眠らせるな!!
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by mau46 | 2006-05-23 09:46 | スポーツ

戦士落陽

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先日、ウィラポンが負けた。
いや、日本風に書けば、”長谷川穂積がウィラポンに勝った”と言うべきであろうか。

スポーツ好きの人はウィラポンという名前でわかるであろうが、
彼はウィラポン=ナコンルアンプロモーションと言う。
タイ王国の生んだ偉大なボクシングのチャンピオンだ。

辰吉丈一郎を二度破ったと言えば、ピンとくる読者も多いのではなかろうか。
さらに西岡利晃とも激戦を演じている。

簡単に説明すれば、彼はデビュー4戦目で世界チャンピオンとなる。
日本では考えられない数字だ。
これには少々カラクリがあって、タイの選手はボクシングを始める前にムエタイをやって実績をつけているケースが多い。
つまりその実績を加味して、デビューしてすぐのタイトルマッチへの挑戦権が与えられる場合があるのだ。
このウィラポンの考えられないタイトル奪取はそれによる。もとからムエタイでの戦績が良かったのである。
ウィラポンは初防衛に失敗するも、その後は無敵の快進撃を続ける。
辰吉を撃沈し王座に返り咲き、そのまま王座を守り続けた。

ウィラポンの素晴らしさは、彼のストイックなまでのボクシングに対する姿勢である。
38歳というボクシングとしては高年齢でありながらも、あの完成されたボディを仕上げてくる姿はさすがだ。
おそらく相当減量もキツイであろう。しかし彼はキッチリ合わせてくる。
さらにリング上でも非常に紳士である。
そして彼は戦士である。

常に前を向き、前に進みながら戦う。
下がることはしない。いや、下がることを知らないのかもしれない。

辰吉や西岡、そして敗れた長谷川戦でも、彼はいくら打たれても下がることはしなかった。
前進することから活路を見出す戦士なのだ。

正直、私はウィラポンの限界を感じていたところがあった。
やはり年齢から来るスピードの衰えは隠せない。

それが、3月25日の長谷川戦に結果となって表れた。

スピードの差は歴然としていたが、彼は下がらない。
むしろ前進する歩みを強めようとする。

9R、長谷川の狙い済ました右のフックがウィラポンを捕らえる。
ウィラポンは倒れた。前に崩れ落ちるように。
私はそこにウィラポンの美学を感じた。

彼は下がってパンチを受けずに、進んでパンチを受けた。
顔面からキャンバスに倒れこんだウィラポンは美しかった。
戦士の最期とはそういうものなのであろう。
倒れるまで勝ちにいき、そして力尽きたのだ。


なまじ判定での敗戦となれば、ウィラポンは衰えた身体に嘘をつき続け戦わねばならないであろう。
戦士は前進し敗れた。

戦士の落陽。

ウィラポンは名チャンピオンとして名を残すが、敗れる姿も素晴らしかった。
57戦52勝(37KO)3敗2分
この数字を見ても、ウィラポンは美しい。

ありがとうウィラポン。
”戦う”という事を教えてくれた。
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by mau46 | 2006-04-04 19:19 | スポーツ

Innovation Vision

私は今まで、フィギュアスケートに興味が無かった。私が求めるスポーツとは「強さ」である。「美しさ」とは、「強さ」から生まれてくるものであり、それは「美しさ」とは言わず「美学」と呼ばれるのではなかったのであろうか。

長野オリンピックはたいそう盛り上がったそうな。スポーツに疎い人からもその感動を幾度と聞く。長野オリンピック... 確かに私も見たのだが、ちょっと見方が皆さんとは別だった。
ちょうど私はアメリカへ留学中だった。放送されてもそのほとんどが、アメリカ選手中心の番組で、アイスホッケーなどが主だった。おそらく時差の問題もあったかもしれない。夜の11時を過ぎるとNHKが放送される。それで日本選手の活躍を聞いた。ジャンプ陣の活躍。清水の豪快なロケットスタート、そして里谷の台頭。
海外在住経験者はわかると思うが、NHKがニュースで放送するオリンピックの放映権は日本国内に向けた放送に限られる。よって私はVTRを見ても、アナウンサーの絶叫を聞くだけで、あとは虚しく動かない長野の美しい景色を眺めていた。なんともやりきれない...

やがて私は帰国し、実家にてたまったビデオを見ていた。いつ録画したものかも、誰が録画したものかもわからない。とにかくTV画面にはフィギュアスケートが流れていた。競技はフリーの演技だったように思う。
私は興味が無いので早送りしようと思ったが、リモコンの手を止めた。なぜ私が手を止めたか。銀板で舞っている選手に驚いたからだ。初めて見るアフリカ系選手。公にはされないが、暗黙の了解として未だに根強く人種差別は残っている。アフリカ系の水泳選手、スキー、スケート、テニス、そしてゴルフ。近年我々は当然のようにタイガー=ウッズやビーナス・セリーナ=ウィリアムス姉妹をTVで見ることができるが、彼等・彼女等は根深い人種差別を乗り越えてきている。現在の彼等・彼女等は実力で、その垣根を乗り越えてきたと言えよう。それは特筆に価することだ。
そこへまた一人、挑戦しようとしている選手がいる。
名前は知らない。ただ、フランスの出身であることがわかるだけだ。いや、正確には名前を憶えていない。名前を見るのを忘れるほど、私は彼女の存在に驚いていたのだ。私は彼女の力強い演技に「美しさ」を見ていた。

「あっ!」

彼女が転倒した。なんとも力強い演技であったのに、これはもったいない。
フィギュアに全く知識を持ち合わせていないが、転倒すれば大きな原点となるくらいは簡単に想像できる。

その後、彼女のとった行動。それが私にとって、スポーツの観点を大きく変えた事件となった。
Innovation Vision「視覚の革新」
まさにそれである。

彼女は転倒から立ち上がり演技を続けた。
私は目を奪われた。
彼女は宙を舞ったのだ。
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バックフリップ。いわゆる空中でのバク宙である。未熟者とは言え、少しくらいはフィギュアを見ていたので、そんな技が今まで公の場でしていたのは見たことがなかった。
アナウンサーも解説もあっけに取られる。私もあっけにとられる。
アナウンサーが思い出したように話した言葉が、同時に私の転機でもあった。

「バックフリップは危険な技のため、採点の基準にはなりません...」

「ちょっと待ったれよ!!」

私はTVに向かって叫んでいた。あんな誰もした事の無い技が採点基準に入らないなんて不条理だ。
しかし、それは彼女も百も承知なのだ。それでも彼女は技を披露した。
”ヤケを起こした”そう受け取る人もいよう。確かにそうかも知れない。しかし、彼女は他が追随できない技を大勢の観客の前でやってのけたのである。
私は思った。これは彼女の抗議なのだと。最高の技を披露しても採点基準に入らない矛盾さを、バックフリップに載せて世界へアピールしている。

虚しさと美しさが共存した瞬間だった。
会場は最高のボルテージに包まれる。

彼女は敗れ去る運命にあるが、観客は誰が勝者か知っている。

私は今までに無かった感情を得ることができた。

彼女は転倒し優勝が無くなった瞬間、攻めた。
世界で誰もやったことの無い技で攻めた。彼女の技は数字を超えていた。
そうなのだ。例え数字に載らなくても、そこで自分の持ちうる最高の技に挑戦したのであれば、それは勝者なのだ。
どんなスポーツでも一緒である。例え失敗しても攻めに攻めて敗れたのであれば、人は手を止め足をとめ、拍手を送る。
そしてそれは何よりも「美しい」。
私はそれ以降フィギュアで彼女を越える「美しさ」を見たことが無い。

彼女の名前は、スルヤ=ボナリーと言う。
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私が見たその大会は長野オリンピックのVTRだった。
今も語り継がれるスルヤのバックフリップ。

テレビは、今回のトリノオリンピックでメダルが少ないことを憂いている。

金メダルは人から与えら得た勝者だ。
しかし真の勝者は、結果は伴わなくても、自ら持ちうる力に挑戦した選手である。

個人的に安藤美姫は、好きになれない。しかし、彼女は4回転サルコウにチャレンジし散った。
あそこで彼女がサルコウを捨て、別の技で入賞しても一生悔いを残す大会になったであろう。
あれでよかったのである。



日本の次の大舞台は6月のワールドカップである。
ブラジル戦を捨てるなんて、みっともないことを言うな。
ピークはあくまで第1戦。
ブラジルを倒して、残りの試合を全部落としたとしても、歴史に名を残す。
攻めて攻めて攻めまくってもらいたい。

私のマイノリティーならではの願いである。
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by mau46 | 2006-02-27 18:12 | スポーツ

感動とは何か

トリノオリンピックを見ていた時の事。

種目は男子大回転。
コースとしては相当な難関らしく、転倒やコースアウトは当たり前。
途中まで滑走者の半分が脱落と言う大波乱だった。
見ていた私は、何故こんなコースを作ったのか笑いながら見ていた。

中にはインドやイラン、そしてセネガルと言った、雪には縁の遠い国からの出場もある。
彼らに完走は期待できない。当然のようにコーナーで吹っ飛ばされる。

オリンピックはワールドカップと違い、1回目で完走すれば2回目の試技の権利を得ることができる。要するにタイムによる足切りが無いのだ。

多くの選手が転倒していく中、次第に私から笑顔が消えた。
なんとか完走しようとコースアウトしても再度、急斜面を自力でよじ登り、通過できなかった旗門を通り直す。

そのひたむきな姿。
あきらめない闘志。
それに惜しみない拍手を送る観客。


感動とは何か。
勝利者とは一体誰なのだろう。

全82人中、転倒・コースアウト34人(1回目の試技)。
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by mau46 | 2006-02-22 19:34 | スポーツ

Hesitation


最近スイミングに凝っている。
実は私は泳ぎが苦手で、ちょっと前までは25mを泳ぎきるのに必死だった。

プールに行き始めの頃は、子供たちが泳ぐファミリーコースでビート板を使いながらバチャバチャ泳いでいた。非常に格好の悪い姿である。それでも私は一生懸命練習した。

そもそも泳ぎを始めたキッカケは、もし将来自分に子供ができてどこかに泳ぎに行った時、一緒に遊べないからである。そんな事を考えて泳ぎ始めた。
最初は苦労の連続である。水は飲むし、息が続かない。それでも私は通い続けた。

その甲斐もあってか今は、平泳ぎなら1000mは泳げるようになった。もちろんそれはプールでの話で海での泳ぎになれば別の話だが。

ある程度泳げるようになったからか、人と話す時もプールの話をするようになった。時には人を誘ったりもする。
しかし返ってくる返事はいつも紋切り型である。

「水着姿になるのは恥ずかしい」
「水着姿を見せられない」

Hesitation、いわゆる「ためらい」というやつだ。
本来泳ぐのは、自分への運動であって人に水着姿を見せるものではない。
ましてや人はそんな自分の姿などを見ていない。
ただ、一心不乱に泳ぐのだ。
それが楽しいのだ。

スポーツとは”上手い””下手”を選ばない。
ただ、プレイをしていて”楽しい!”と思えるか、それだけである。

泳げない人がいる、それは当然だ。
野球を出来ない人がいる、それも当然だ。

水着姿を見せられない、野球が上手くないからできない。
問題はそこではない。
一度やってみて、その中に”面白さ”を見出すことが大切だと思う。

どうも日本人の感情の中には、”恥”と言った概念が大きすぎるように思う。
かつてルース=ベネディクトの著書で『菊と刀』があった。
これは日本人の”恥”の文化を表した本だが、最近の”恥”というものの概念が変わってきているように思う。

例えば、泳げないことを”恥”とするのは理解できるが、
泳ぐ前の姿を”恥”とするのはいささか違うように思える。
つまり体裁に気をつかっているだけで、本質の”恥”に焦点を合わせていないのである。

かと言って私の身体も美しいラインをしているわけではない。
太りだしてきたので、家族にもバカにされている体たらくだ。
しかし私は泳ぐ時に、そんな事を気にもしない。
私の目的はその姿を見せることではなく、泳げるようになるためである。
今の姿でパリコレに出るのであれば、それはもうとんでもない”大恥”だが。。。

一度、Hesitationを捨ててみてはどうだろうか。
本当の”恥”とはどういうものか、考えてみる。
もちろんこれには人それぞれの価値観があるので、万人に共通ではないが、
Hesitationが邪魔をして何かのアクションを妨げるのであれば、”恥”と言うものは何かということを考え直して見るのもいいかもしれない。

以上、泳ぎながら考えてみた。

泳いでいると色んな事を考えるようになる。
水に浮きながら、自分を無にしながら考えられるようになる。

泳げないのであれば泳いでみよう。
サッカーが下手なのであれば蹴ってみよう。
野球が下手なのであれば投げてみよう。

Hesitationは蚊帳の外に。。。
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by mau46 | 2006-02-10 13:18 | スポーツ

日本代表の監督

先ほどまでバルサTVを見ていた。
94年のクラシコ。まさにクライフ政権全盛の頃だ。

あのチームには美学がある。勝ち方にこだわりがある。
まるで”がんこ寿司”のようだ。
「美味しいだけでは叱られます」ってやつね。

今の日本代表に美しさはないなぁ~。
他の人はどう思うかわからないが、
”4点入れられても5点入れて勝つ!!”
ってなサッカーをして欲しいなぁ。

攻めて攻めて攻めて攻め続けた結果、負けてしまったなら誰も怒らないと思う。
負けないサッカーよりも、攻めて負けてしまうサッカーの方が未来は明るいと思う。

だからクライフのように攻めに美しさを求めるサッカーを目指して欲しい。

クライフにチュッパチャップス一生分をプレゼントするなどのオプションをつけて、日本代表監督に呼んで欲しいなぁ。

ベンゲルを招聘するなんて、安直過ぎる。

皆様、歯に衣着せぬご意見を賜りたいと思います!!


最後に: 今回はちょっとマニアックすぎた。クライフとはオランダ人で、現在のサッカーの基礎をつくった人と言っても過言ではないほどの人物。バルサ(FCバルセロナ スペインのチーム)の監督をしていた人です。

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by mau46 | 2006-01-07 23:33 | スポーツ

レクイエム


偉大な人が背中を向けて去っていった。
仰木彬監督である。

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よくニュースでは、10・19がとりだたされる。
確かにあれは辛い思いで見ていたおぼえがある。
なぜ、あのタイミングでロッテの有藤は抗議をしたのか?? 未だに疑問に思うシーンだった。そして虚無感に包まれた中の12回裏の守備。それでも手を抜くことなく、守りきった近鉄バファローズは美しかった。

しかし、実は私は翌年の方が記憶にある。その年のバファローズは復讐の鬼と化していた。しかし絶対王者の西武も一歩も引き下がらない。そんな中で迎えた最終戦。所沢に舞い降りた褐色の悪魔が西武優勝の夢を打ち砕く。ラルフ=ブライアントは、ダブルヘッダー(1日に2試合行う事)で4打席連続ホームランを見舞うのである。あの時の打たれた渡辺久信の顔は印象深い。劇的な優勝を収め、仰木監督が宙を舞う時、誰しもが祝福の喝采を送ったことだろう。阪神ファンの私も心から喜んだ。

ところがその感動はすぐに打ち砕かれる。その後の日本シリーズで誰もが予想しない開幕3連勝で、近鉄は最高のスタートを切る。相手は知将藤田元治監督率いる巨人だ。事件は東京ドームだった。3連勝を果たしたヒーローインタビューで、近鉄の投手である加藤哲郎が、
”巨人はロッテよりも弱い”
発言をしてしまう。
これにより発奮した巨人は奇跡の4連勝で日本一を勝ち取るのだ。これは余談だったが...

仰木監督は選手の個性を大切にする。野茂のトルネードや鈴木一朗(イチロー)の振り子打法などだ。特に鈴木一朗の振り子打法は、仰木監督がオリックスの監督に就任する前の監督である土井正三が鈴木一朗のフォームを見て、修正(聞こえはいいが振り子打法をやめさせる)を命じた。それに従わない鈴木一朗は2軍での生活を余儀なくされたように思う。仰木監督が就任し、名前を鈴木一朗からイチローに替え、イチローに手を差し伸べなければイチローはどうなっていたのであろうか。
面白いのは、イチローのプロ初ホームランは、また仰木監督の愛弟子である野茂からなのである。
仰木監督はカタチにこだわらない、日本人には稀有の存在であったように思える。

阪神大震災があった。関西に住む人は誰しも憶えている事だろう。当時の首都の反応には怒りをもったものだ。村山首相の初動の遅さ、他国からの援助を拒否、マスコミはすぐに”もし首都に地震があったら??”のありがたいシミュレーション。
「どれほど被災者の心を踏みにじれば気が済むのだろう」
と思っていた。さらに頭にきたのは、貴乃花がその年の場所で優勝したおりに、
「この優勝を神戸の皆さんに捧げます」
と言った。全く被災者が喜ばない、彼の偽善的な発言にブーイングも少なくなかった。

そんな中で仰木監督は、
『がんばれKOBE』
でなく、
『がんばろうKOBE』
と言った。これには誰もが心を打たれたと思う。
そして優勝。その年は日本シリーズを逃したものの、翌年には日本一を勝ち取る。それがどれほど被災者の心を明るくしたことか。正直言って、優勝を狙えるほどのタレントは揃っていなかったと思う。しかしプラスアルファがどこからか降りてきたのだ。野球は、スポーツはわからない。

2004年、プロ野球に激震が走る。近鉄バファローズがオリックスに吸収されてしまう。
そんな中、このチームをまとめられる人間はこの世でたった一人しかいなかった。仰木監督は既に病であることを知っていたと言う。
仰木監督は最後の死に場所を求めて決戦の場へ向かっていったのだ。勝てるはずも無い戦力で。圧倒的なホークス、ライオンズ、マリーンズ(開幕当初はそれほどでもなかったか)に立ち向かうのは誰もが不可能に見えた。
そんな中で仰木監督はプレーオフに参加条件の3位争いを演じて見せるのだ。
まるでその姿はあえて死地に乗り込んでいく、その姿はあたかも戦後武将の真田幸村のようである。ライオンズの旗は一度は地に落ちたものの、最後は地力に勝るライオンズに寄り切られた。その巨大な敵に立ち向かう姿には誰もが感銘を受けたことであろう。

シーズンが終わり、仰木監督は勇退を発表する。戦い続けた武将の顔は少し痩せて見えた。

12月15日、仰木監督(あえて呼ぶ)は永遠の野球人になった。
バラバラだったであろうオリックスバファローズをひとつにまとめる大役を終えて。
仰木監督はチームの光り輝く将来を指差したまま、前に向かって倒れていったのだ。

次は選手が答えを出す番である。

さらに言わせて貰えば、清原はこれでオリックスに入団しなければ、さらに男を下げることになる。

私もいずれは仰木監督の住む世界に行くだろう。その時には是非、一緒に一杯飲みたいものだ。
いいですよね?しばらく待っててください。
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by mau46 | 2005-12-16 21:32 | スポーツ

フルアムVSボルトン 活劇 =父を恨むの巻=

段々と観客が席を埋め始めた。人が私の前を通るため席を立って歩くスペースを空けたりしていると、知らない間にスターティングラインナップが発表されていた。FulhamのメインスタジアムであるCRAVEN COTTAGEにはアーセナルのHighburyの様にモニターがない。立ったり座ったりしている間に見逃してしまったのだ。
「中田は出場するのかなぁ」
その心配は杞憂に終わった。選手がピッチに入場してくる頃には、ある程度観客は席について落ち着いていた。そこには中田の姿もある。これで一安心。そしてゲームが始まる前に黙祷。ジョージ=ベストの死を偲ぶ。前日のHighburyでは黙祷を捧げたが、今日は違った。全員が拍手で彼を送り出したのだ。彼は非常に華のある選手で、湿った雰囲気は苦手だったのであろう。私はまた別の感動を覚えた。

ゲームが始まる。私の両サイドの観客、そして前の観客はドイツ語を話し、後ろの観客はフランス語を話していた。もちろんいずれもフルアムのファンである。スタジアムに笛が鳴り響きゲームが始まった。中田は中盤の左を任されていたように思える。しかし、基本的には動きに縛りはなさそうで、右に左にポジションにこだわることなくよく動いていた。
私が受けた感想は、
”まだ完全に中田がチームから信頼されているわけではない”
と言うことだった。それは、アーセナル戦のコラムで述べたように、アーセナルはベルカンプとピレスに一旦ボールを預ける。そして彼らからパスが供給されて攻撃が展開されていく。しかし、まだ中田中心にボールが集まってくるわけではない。これは仕方ないかもしれない。まだ彼はボルトンに入団して日が浅い。これは時間と彼のプレーが解決してくれることなのだ。彼のポテンシャルがあれば、その時間は他の選手よりも大幅に短縮されるだろう。私のその予想を裏付ける事もある。少しでもパスの連携が合わなかったり、カバーリングの連携がうまくいかなかった場合、中田はすぐに他の選手に近寄り声を掛ける。これはなかなかできるものではない。私は彼のその姿を見て大きな安堵感を持った。
「これなら大丈夫」
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本当に素晴らしい選手である。彼のポジションは何も点数を取る専門家ではない。いわばゲームの潤滑油的な存在なのである。どんな機械も最初は油をなじませるように、彼はその余りある才能を爆発させるため、チームに彼の油をなじませているのである。

ボールの動き方と言えば、中田には浮いた球がよくくる。これではなかなか次の動作には移りにくい。また、彼はヨーロッパの選手と比べると身長では負けてしまうため、上から乗りかかられるとボールをキープするのは難しくなる。できれば足元にボールを集めるように、他の選手には心がけて欲しかった。まぁこれは私のわがままな希望だが...
それにしても中田はよく動く。彼は自らボールタッチの数を増やすことによって、チームの潤滑油たる自分を馴染ませようとしているのであろう。

観客は、昨日のアーセナルに比べるとおとなしく感じた。これはチームの強さと比例しているのかもしれないが、声がアーセナルサポーターのごとく鳴り響くわけではなかった。私は中田に声援を送りたかったのだが、声が小さくてもここはフルアムのホーム。ボルトンが何をしてもブーイングの中で、中田の応援をするのは生命の危険を感じる。大げさに聞こえるかもしれないが、彼らはそれほど自分の愛するチームを応援することに必死なのだ。

もうひとつ気になったことがあった。ボルトンのフォワードである、エル=ハッジ=ディウフという選手である。彼はセネガル代表の選手で、日韓ワールドカップでは、あの前回優勝チームであるフランスとの初戦でフランスに悪夢をプレゼントした。彼のスピードと突破がフランスディフェンスを壊滅させたと言ってよいと思う。その選手がボルトンにいる。
そのディウフがだ。私が見た感じ、
”スピードが落ちた”
と思った。火の出るような爆発力の突破がなりを潜めていたように感じた。もし、彼が本調子のスピードを発揮することができれば、中田のパスとの愛称は良さそうな予感がするのだ。ディウフが変わっていない事と言えば、
その”熱くなりやすさ”だ。
どんなスポーツも頭に血が上った時点で、それは負けを意味する。彼は事あるごとにイラついているのが、遠くにいる私にも感じることができた。それはうまくパスをもらえない、ファウルをとってもらえないが自分がぶつかると簡単にファールになってしまう。オフサイドの判定。それらが彼をイラつかせ、彼を追い込んでいく。
(画像:ブルーのシャツのハゲチャビンがディウフ)
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そんな中、ボルトンは開始4分でゴールを奪われてしまう。アメリカ出身のブライアン=マクブライドにゴールを決められてしまう。私の周りは大騒ぎ。

また、ボルトンは中盤の浮きだまの競り合いにも負けていたように思う。私がフルアムでもっとも気になったのがボランチのパパ=ボウバ=ディオプである。ボランチというポジションは中盤でありながらやや後方にポジショニングする。要は守りの第1砦のようなものだ。現在、世界的なサッカーではこのボランチの活躍がチームの明暗を左右すると言っても過言ではない。守りの第1砦でありながら、攻撃に対しても前方へ安定した正確なパスを供給することを要求される。
一時、レアルマドリーのデイビッド=ベッカムがチャレンジしたが、とても彼にこなせるポジションではなかった。このポジションには屈強なフィジカルが必要だ。そのフルアムのディオプと言う選手がすごい。空中戦ではほとんど負けていなかったように思う。また、ボルトンのカウンターの時でも、まず最初に彼がボルトンの前に立ちはだかりボルトンの攻撃時間を遅らせる。そのディオプの当たりのおかげで、フルアムの選手がディフェンスに帰ってくることができるのだ。素晴らしい選手である。

そのディオプの活躍もあり、18分に再びマクブライドが追加点を上げる。ボルトンにとってはイヤな流れだ。フルアムのプレスが早いので正確なパスが回せない。また、浮き球もディオプが制空権を抑えているため弾かれる。まさに悪循環である。このフルアムの2点はボルトンががぶり寄られた失点のように思う。

そんな中でも中田の動きには目を見張るものがあった。幾度となくチャンスメイクを試みる。倒されてフリーキックをもらう場面もあったのだが、私の周りの観客はブーイングしながらも中田の事を褒めている様子だった。ドイツ語だったので、何を言っているのかはわからなかったが。
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ゲームはそのまま後半に入り、特に見せ場もないままゲームが流れていく。ディウフはピッチにいない。彼は2枚目のイエローカードを貰い退場してしまった。観客はブーイングとともに大喜び。中田は後半開始早々、ジェイジェイ=オコチャと交代してしまった。献身的に動いていたものの、安定したボールが集まらないため、中田の良さが活かされなかったと思う。それに引き換え、ジェイジェイにはボールが集まる。彼を起点にしてパスが供給される事が多くなった。これによりボルトンの攻撃の幅が広がったように見えたが、フルアムのゴールネットを揺らすには何かが足りなかった。

そんなゲームが終わりを告げようとする85分。事件がおきた。私のお腹の雷さんが暴れだしたのだ。
「まぁ我慢できる」
そう思っていたのだが、次は雷さんが怒り出した。
「Excuse me」
私は席を後にしてトイレへ直行。やはりゲーム中だ、ガラガラに空いている。私は個室に飛び込んだ。その時、最大のゴロピカドン。危なかった、もう少し座席で辛抱していたら、大きな国際問題を起こしかねなかった...
私は両親の遺伝子を引き継いだことを非常に誇りに思っているが、このお腹の弱さは父親譲りのものだ。素晴らしい遺伝子なのだが、このようなオプションはいらなかった。

父親を恨みつつ、トイレを慌てて出ると終了の笛が鳴り響いていた。悲しみのままスタジアムを後にしようかと最後にピッチの方へ行けば、最終スコアは2-1!私がトイレで戦っている間にボルトンが一矢報いていたのだ。人に聞くとフルアムのオウンゴール(自殺点)らしい。貴重なゴールシーンを見逃し、何か大切なものを失ったような気持ちになりながら私はスタジアムを後にした。

とぼとぼPutney Bridge駅へ向かって歩いていった...

明日は日本に帰る日である。
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by mau46 | 2005-12-13 17:39 | スポーツ


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