あの月に向かって打て



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なんでもアリではありません

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私が始めてUFCを知ったのは、ある日、本屋で格闘技系の本を立ち読みした時であっ
た。1993年アメリカ コロラド州デンバーで第1回UFCが開催された。私が知ったのは
第2回大会だったと思う。なんせ、急所攻撃アリとの見出しがあり、どんな格闘技か
気になったものだ。

世の中にたくさんある格闘技でどれが一番強いのだろう。空手? 柔道? ボクシン
グ? それに答えを出そうとしたのがUFCだ。オクタゴンと呼ばれる8角形の金網に囲
まれた、独特な雰囲気を醸し出すリングでそれは行われる。当時はトーナメントを1
日で消化したので、いかに効率よく勝ち上がっていくかがポイントとなった。1回戦
で強敵を破ってもダメージを引きずったままで2回戦に挑めば当然敗れてしまう。そ
んな緊張感があった。

先ほども述べたように私は雑誌でその存在を知り、そしてビデオを見た。ものすごい
緊張感だった。出場する選手のそれぞれが背負っている武道の誇りを賭けて、リング
に上がってくる。それぞれの選手がそれぞれのいでたち(空手着・胴衣・ボクシング
パンツ・マーシャルアーツなど)をして登場する。これこそ異種格闘技戦である。私
は身震いがした。道場破りを公衆の面前でやってしまうのだ。本当に一番強いのは一
体誰なのか…

私は当然打撃系が勝つであろうと思っていたので、優勝したのが柔術のホイス=グレイ
シーというのはにわかには信じられなかった。戦い方は以下の通りである。

蹴りで牽制する→相手を捕まえる→引きずり倒す→関節技で極める

要するに、「捕まえてしまえば、打撃もあたらないでしょう」の理論である。

この戦い方がどこまで続くのか。結局最後まで勝ち進み優勝してしまった。しかもほ
とんど無傷で。

これは私の中で一種の革命だった。当然パンチなりキックなりを当てた者が勝つと
思っていたのが、関節技でギブアップを奪って勝っているのだ。美しささえも感じ
た。

これはまだ、世の中のほとんどの人がUFCを知らない頃だろう。バーリトゥード。ポ
ルトガル語で「なんでもアリ」を指す。これが世に広まる前だった。

今、UFCは50回を越えるまでに至ってしまった。当初、「なんでもアリ」だったUFCも
今となっては「なんでもアリではありません」になってしまっている。金的はもちろ
んダメ。髪の毛を引っ張るのもダメ。ヒジ打ちにも制限がある。結構規制がかかって
いる。あのUFCが始まった頃の独特の緊張感、恐怖感、疾走感が今はない。出場者数
も飛躍的に増え、体重別になっている。当時はそんなものは無かった。後は戦術。こ
れは色々なものが淘汰されて良くなってきているのは分かる。しかし、かつての異種
格闘技戦全開だった頃に比べ、今はバーリトゥードの戦い方が確立されてしまった。
昔の「スタイルとスタイルの戦い」ではなく、「いかに上手いバーリトゥードの戦い
方をするか」が勝負の決め手になっている。もちろん、選手のスタイルはあるのだろ
うが、当初のUFCに比べると皆がほとんど同じに見える。それは結局バーリトゥード
の戦い方を熟知しているからだ。日本ではPrideが人気だが、やはり独特の緊張感は
ない。目新しさを感じない。「なんでもアリ風」の戦い方をしてるだけに見える。

障壁はあると思う。本当の「なんでもアリ」にしてしまうと、健康上の問題が生ず
る。また、残酷に見えるのでTVでの放送枠も限られてくる。女性のファンがつかな
い。様々な問題が出てくるのであろう。しかし、私は格闘技は「怖いもの」であるべ
きだと思うし、その「怖いもの」見たさが良いのではないかとも思う。その見てはい
けないようなものを除きに行く。それがよいのではないだろうか。
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by mau46 | 2005-10-13 22:25 | スポーツ

神様のココロ

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私の家に衛星放送が来たのは、前述したようにマイク=タイソンの試合を見るためにおねだりしたのだから、高校1年生の時である。WOWOWは有料放送で申し込みが必要だったため、衛星放送が見られるようになっても、WOWOWだけはすぐに見られなかった。つまりNHK衛星第1・第2しか見る事ができなかった。しかし、当時は喜んで、少々無理してでも普段見ないような番組を衛星放送で見たものだ。そんな単純さは今でも変わっていない。

しかし、スポーツ番組は充実していた。サッカーも正確にはいつ頃だったかは覚えてないが、リーガ・エスパニョーラもやっていた。当時、セリエAはWOWOWで見るもの、リーガはNHK衛星で見るもの、となっていた。もちろん私はサッカーばかり見ていたのである。しかしある時、私はとんでもないものを見てしまったのである。空を飛ぶ人間を。サッカー好きは“フライングダッチマン”ことヨハン=クライフかと思うが、私が見た人はマイケル=ジョーダンだった。一度見て信じられなくて、二度見て惚れた。マイケルが飛ぶと時間が止まる。マイケルはコートの制空権を制している。そして、流れる時間に干渉する権利を持っている。そして全てを支配する力を持っている。私はそんな人をもう一人知っている。ミレーヤ=ルイスだ。彼女はバレーボールキューバ代表のエースだった。彼女もその3つの権利を牛耳っていた。ミレーヤはある練習で、あまりにも正確にトスを上げるセッターに対して、トスを散らせと言った。しかし散らせばどのようにトスが上がるかわからないのでは、というセッターの返しに、ミレーヤは、“大丈夫。上で待っているから”と答えたという。そのセッターが中田久美だったとか、そうでなかったとか… 話がそれたので元に戻そう。

私の家族はスポーツ一家だ。皆がスポーツ好きだ。私がマイケルのプレイを見ていると、いつの間にか母親も一緒に見ていた。母も惚れたらしい。それからと言うもの、マイケルの試合を追うようになった。

彼を見ていて思う。確かに、ずば抜けた身体能力を持っている。しかし、ジャンプ力ではクライド=ドレクスラーの方が上ではないか?ドリブルでは、アイザイア=トーマスの方が上ではないか?パスはマジック=ジョンソンの専売特許だろう。では、マイケルの最大の凄みは何か?それは絶対的な精神力だ。彼は逆境を受け止め、その中で一瞬顔を出すチャンスを逃さない。誰もが萎縮してしまいそうな、その緊張感を楽しむ事ができる。よく最近テレビなどで耳にするのが、「オリンピックを楽しんできます」「大会を楽しみます」などにある「楽しむ」と言う言葉だ。そんな選手がいざ本番となれば、誰よりも引きつった顔をしている。要するに、言わされ感があるのだ。暗示にかけているのかもしれない。だからあまりキツくは言えないが… 大舞台で「楽しむ」と言うのは、例えばサッカーブラジル代表のロナウジーニョ=ガウーショのような天真爛漫さを言うのである。無理にその言葉を言えば言うほどそれは痛々しく見える。しかし、マイケルのそれはロナウジーニョのそれとは違う。根本的に違うのだ。ふいに比べてみたくなった。コラムの趣旨とは少々ズレるが、ご容赦いただきたい。

二人には考えられないようなプレッシャーがその肩にかかる。ロナウジーニョはどうだろう。彼天性の柔軟さでそれを吸収してしまうような感じがする。プレッシャーを彼のやわらかな世界が包んでしまうのではないか。で、いつの間にか観衆はロナウジーニョに任せておけば大丈夫、という気持ちになっている。ロナウジーニョにスタジアムが包まれてしまっているように。では一方マイケルは… 彼はそのプレッシャーを全て受け止める。それを背負ってプレイに反映させる。マイケルはプレッシャーを包み込むようなスタイルではない。そのプレッシャーを身体に蓄積させ、それを一気に爆発させる。まるでプレッシャーが多ければ多いほど能力を発揮するかのように。サッカーとバスケットは全く別の種目なので同じ土俵で語るのは愚かなのだが、ここぞ!といった1対1の場面などでは両者は必ず決める。見ていて面白い。ロナウジーニョはまるで相手がロナウジーニョに操られているかの様に動いて、抜かれてしまう。マイケルはその迫力に相手は金縛りにかかって動けなくなり、抜かれてしまう。抜かれた相手の顔はこうだ。

ロナウジーニョに抜かれた場合、「一体何をやられたんだ??」

マイケルに抜かれた場合、「なんだかすごいものを見た!」

この様に私には見える。

マイケルの精神的支柱は何か。一度だけ崩れた事があった。それは彼の父親が亡くなった時だ。それが原因で一時引退した事もある。尊敬してやまなかった父親の死が彼を変えた。と言うことは今までの彼の精神的支柱というものは父親であったのかもしれない。絶対神の様な偉大な父親が彼の後ろについて、全てを支えていたのか。しかし、それだけでは解明できない。ボクシングの亀田親子の父権とはまた違うような気もする。だが、精神的支柱となれば同じか。その絶対的なバックがある限り自分は大丈夫といった、親子だけでしか存在し得ない保険があるのであれば、それはありうる話なのかもしれない。私はマイケルの精神的支柱を父権と見ている。それはまだ私が父に完全に劣っているからだ。父権に裏付けられた強さ。次は自分自身の強さ。そういった段階があるのであろうか。

マイケルの精神力は素晴らしい。人間として素晴らしい。彼はある日ファンの子供にこう聞かれた。

「ねぇ、マイケルは本当に飛んでるの?」

「ちょっとだけね」

私は彼には絶対にかなわない。それを言われた子供は一生マイケルに心酔するだろう。それを聞いた私もしびれた。

今日のコラムは私にとってもテーマである。プレッシャーに耐えうる心と身体。まだコラムを書き出してすぐの私が感じた事をここに書いた。マイケルの精神的強さは毎年書いていきたい。その人生の節々で感じることも必ずあるからだ。今の私ではこの程度なのだ。もし来年、このテーマに私が挑戦していたら、私の成長具合を見て欲しい。
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by mau46 | 2005-10-12 19:35 | スポーツ

チャンピオン

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私のボクシング好きは父親のあるひと言で始まった。

「ヘビー級という一番重く大きいクラスで、とてつもなく強い小さなチャンピオンがいる」

なんという矛盾だろう。私はすぐに興味を持った。もちろん名前はマイク=タイソン。

彼を初めて見たのはマイケル=スピンクス戦だったと思う。前評判は最強で無敗の挑戦者が史上最強のチャンピオンに挑む、この様なイメージを持って私は試合を見た。確かに小さい。小さいのだが、中身のいっぱい詰まったようなあの上半身は一体なのであろう、それに引き換えてあの細い足。あの独特の太い首。それに対して挑戦者は身体も大きく、すべてにおいて強そうに見える。果たして勝てるのか?

派手なリングアナウンスが終わり、あとはゴングを待つだけとなった。タイソンはびっしり汗をかいている。まだ私にはこの男のすごさがわからない。ただ、今にも弾けそうな筋肉が、解き放たれるのを待っている、それだけは分かった。ゴングが打たれた。

「あっ」

その男はもう飛び掛っている。腕の振りが尋常ではない。今となれば映像を見て詳しく分析し、一挙手一投足を述べることはできる。しかし当時の私には、“落雷があって煙が消えると巨木が倒れていた”その様な感じであった。気がつくとマイケル=スピンクスは膝をキャンバスについていた。タイソンはじっとそれを見ている。私もそのタイソンを見ている。やがて、スピンクスは立ち上がり、試合は再開された、と同時に2度目の落雷だ。今でも忘れない。煙が晴れるとスピンクスは白目を向いて倒れていた。当然試合など出来るはずも無い。試合後スローを見ると、最初のダウンはボディで奪っている。次は出会い頭の右のカウンターだ。衝撃だった。パンチで人間があのようになってしまうのか。その3分間もない試合で私は虜になった。まさに最高のチャンピオンだった。

やがては負ける時もくる。華々しかった初めての東京ドームでの試合から、2度目の来日。場所も同じ東京ドーム。相手は、ジェームス=バスター=ダグラスと言った。どうも序盤からタイソンの動きが悪い。のらりくらりとラウンドを消化している。それに対してダグラスの動きは良い。タイソンがまとめてパンチをもらうことも多くなってきた。タイソンが起死回生のダウンを8回に奪うが不運も重って倒しきれない。10回にダグラスのアッパーをもらい、完全にグロッギーになった時にまとめてパンチをもらい、そのままキャンバスに沈んだ。立ち上がろうとしながら、吐き出したマウスピースを手探りで探し、必至で口に戻そうとしている姿が私の頭から離れない。そのままタイソンは敗れた。タイソンの敗因は数多くある。傲慢さ、ロビン=ギブンス(元妻)、そしてカス=ダマト(タイソンの師)の死。タイソンはダグラスのパンチに敗れたわけではなく、内部崩壊していたのだ。もちろん、その日のダグラスの出来も予想以上に良かった。これも敗因のひとつ。しかし私の中でタイソンが偉大なチャンピオンに返り咲く事は疑っていなかった。実はこの時に一人のスターが登場した。辰吉丈一郎が同じリングに上がっている。これは余談。

その後タイソンは吹っ切れたかの様に復活する。その時の強い相手を選び、粉砕することで再度タイトルマッチへの階段を駆け上る。その間にダグラスは敗れていた。ぶよぶよに太った初防衛戦で敗れた。倒したのはイベンダー=ホリフィールド。東京ドームでタイソンファン以上に失望感を味わった男かも知れない。次戦をタイソン戦に控えたホリフィールドは東京ドームまで足を運んでいた。その目の前でタイソンは敗れたのだ。ホリフィールドはその怒りをぶつけるかの様にダグラスを圧倒した。クルーザを統一し、同階級最強の名を欲しいままにし、満を持してヘビーにあがってきたホリフィールド。復帰戦を今まで以上の強さで駆け抜けるタイソン。やがて何かに操られているかの様に二人は対決の日を迎える。

そのために私は父親を口説き、WOWOWに加入する。時は流れたものだ。私はもう高校生になっていた。タイソンを初めて見たのは小学校中学年、タイソンが敗れたのを見たのが中学生。私は自分の成長と共にタイソンを追っている。

うまくはいかないものだ。二人は共同記者会見も済ませているのにも関わらず互いの道を別にする。タイソンが婦女暴行容疑で収監されてしまうのだ。タイソンの奔放な性格が裏目に出た。実刑判決をくらいタイソンは塀の向こうの人になる。

その後ヘビー級は混沌を極め、群雄割拠の時代に入る。タイソンが戻ってきた頃には、誰がチャンピオンなのか、誰が本当に強いのかわからなくなっていた。皆さんもご存知のようにタイソンはその後チャンピオンに返り咲く。しかし、私にはタイソンがかつてのそれで無いような気がしていた。確かにパンチは強い。しかし、力が入りすぎで身体全体の柔軟さから生まれるパンチでない気がした。ガチガチの硬い体からパンチが出ているように見え、踏み込みのスピードを感じられない。それに違和感を覚えていた気がする。

急転直下だった。タイソンが試合後の記者会見の途中で会場が暗くなり、再び明かりが戻るとそこにはホリフィールドがいた。“Finally(ついに)”と銘打たれた試合が決定したのだ。これには驚いた。初めて見る演出であった。

結果は無残だった。踏み込みの遅いタイソンに対して、ホリフィールドは頭から突っ込む先方でタイソンをのけぞらせた。タイソンとの戦いで逃げる姿勢を示さず、前に出る先方を初めて取ったのがホリフィールドだった。前に向かっていく姿勢は立派だが、度重なるバッティングは目に余った。タイソンがレフェリーにアピールしても、問題視されない。やがてタイソンがカットする。初めて見る光景だ。その後ダウンを奪われ、運命の10ラウンド終盤。連打をもらい、とどめのクロスカウンター。一瞬失神したかの様にタイソンの身体が傾いた。何とか持ちこたえたが、朦朧としたまま11ラウンドへ。もうこのラウンドはおまけのようなもの。タイソンは敗れた。しかし、あのダメージでダウンしなかったタイソンはやはり怪物だった。

ホリフィールドとの再戦はご存知のようにホリフィールドの耳を噛んでしまった。決して許される行為ではないが、試合開始から卑劣なまでのホリフィールドのバッティングがあり、タイソンは開始早々カットして出血していた。これに対するレフェリーからの注意は一切無い。これだけは言っておきたい。その後は勝ったり負けたりを繰り返す。先日、名も無き若いボクサーに敗れたタイソンは引退した。

このコラムのタイトルは「チャンピオン」だ。なぜこのタイトルをつけたか。マイク=タイソンは偉大なチャンピオンだ。それまではしばらくの間タイソンの強打に耐えていれば良いと考えていた対戦者が、ホリフィールド戦をきっかけに怖いもの無しに向かってくるようになった。「タイソンおそるるに足らず!」これが合言葉かの様に襲い掛かる。もうタイソンのチャンピオンの称号はステータスではない。ただの消耗品だ。偉大なチャンピオンを倒した称号を手にしようと、みんなが寄ってたかって奪いにくる。当時チャンピオンだったレノックス=ルイスもそうである。タイソンにのしかかり、試合の終盤辺りでタイソンをノックアウトしてしまった。いままで築き上げ、蓄積されたチャンピオンの名声は、飢えた挑戦者(あえてそう呼ぶ)に削り取られていった。タイソンからボクシングを取れば何も残らない。お金の使い方も知らない。彼はチャンピオン時代に稼いだ、途方も無い財を使い果たしていた。人に裏切られたこともあったろう。

タイソンはチャンピオンの座から転落しても、ただの男に帰れなかった。骨の髄まで若い挑戦者にしゃぶりつかれていった。チャンピオンとはかくも悲しき存在である。ヘビー級のチャンピオンはアメリカ大統領より偉い。そんな言葉を聞いた事がある。その富と名声を手にした代償がこれか。あまりにも悲劇的だ。背負った借金を返すためリングに上がる姿は見るに耐えない。相手はタイソンを倒した称号を得るために向かってくる。それをもう跳ね返す力はタイソンに残っていない。それが繰り返されタイソンは消耗品として廃棄された。タイソン最後の試合で見せた涙。胸にくるものがあった。消耗しきった男から流れた純粋な涙だ。しかし今はK-1がタイソンにむしゃぶりつこうとしている。

チャンピオン時代のタイソンは人間不信だったという。私の中でタイソンは未だに偉大なチャンピオンである。
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by mau46 | 2005-10-10 21:14 | スポーツ

泪橋とタキシード

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先日ボクシングに関するコラムを書いた。小松則幸選手のタイトルマッチに関してだ。試合が終わった数日後、一緒に食事をする機会があったことも述べた。その際、あがった話がある。

「お客が入らない」

これだ。どうやってプロモーションを行うか。その成功如何によってジムの収入も変わる。

皆さんは「あしたのジョー」を見た事があるだろうか。ケンカ屋の矢吹丈が、ケン吉こと丹下段平と出会いボクシングに打ち込む話だ。矢吹丈がトレーニングしているのは、泪橋の橋の下にある「丹下拳闘倶楽部」だ。ボクシングでもなければジムでもない、「拳闘倶楽部」なのだ。ただ、映画版やあしたのジョー2になると随分様変わりするが… その雰囲気がまだ強くあるような気がする。もちろん、ボクシングの聖地であるアメリカでも、タイトルマッチ以外ではそんな雰囲気の場所もあるであろう。しかし、タイトルマッチになると、様相は日本のそれとは完全に変わる。

日本では怖そうな人が行くようなイメージだが、アメリカのタイトルマッチではタキシードを着る人も多い。前のコラムでも記述したが、日本ではボクシングを格闘技と捉え、アメリカではエンターテインメントと捉えている事の差が出ているように思う。決して日本のやり方が悪いと言っているわけではない。例えば、かつての日本の競馬場が泪橋であったのが、今は女性が足を運ぶエンターテインメントの場になった。また、かつての球場が泪橋であったのが、デートに使われるなどのエンターテインメントの場になった。ボクシングも変革の時期が来ているのではないか。スーパースターの登場を待つだけではなく、全てを変えていく必要があるのではないか。重ねて言うが、全てをアメリカにならえと言っているわけではない。門構えが変わるだけで、がらっと雰囲気も変わるものだ。ボクシングを観に行ける事が一種のステータスの様に感じさせる何かが欲しい。リングサイドの席はネクタイ着用にして、相撲の幕の内の様にワインなどを提供するとか、リングサイドだけでもいいので、そう言った特権階級的な付加価値をつけるのはどうか。

そのような仕掛けを準備するにはスポンサーを多く集めて資金を得る必要があるのだが、広告が圧倒的に少ない気がする。アメリカでは、チャンプの足の裏に広告をつけた。つまりチャンピオンが倒れた時に広告が見えるのだ。これには驚いた。本来ネガティブなところに着目したのだ。また、選手の背中にペインティングで企業のURLを書いた。この広告を始めた当初は汗ですぐに落ちてしまったが、その後、汗で落ちにくいペイントを開発したのであろう、なかなか落ちなかった。これはものすごく見ている者の注意を引いた。しかし、現在では何故だか見なくなった。理由を知っている人がいれば教えて欲しい。普段どおりのキャンバスに広告、コーナーポストに広告、そしてリングインターバルのラウンドギャルの広告ではありきたりすぎる。もっと意外性のある広告場所をスポンサー企業に提案して、話に乗ってもらう事が重要なのではないか。インターバルの選手がアップになる時などはチャンスだと思うのだが…

日本の伝統である相撲が衰退化している。相撲が好きなようにスポンサー広告を出せないのにはNHKという厄介なもの(NHKによって守られてもいるだろうが)があるからで、ボクシングにそれはない。むしろ、守るものがない分、攻める事ができるはずである。

かつてカシアス=クレイは言った。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」

強いだけではなく、美しさもそろそろ要求されてもいいのではないか。この美しさとは、華やかさに通ずると私は思う。

泪橋とタキシードが共存できるボクシングの世界になったら、なんと素敵なのであろうか。
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by mau46 | 2005-10-09 20:23 | スポーツ

背番号00の男

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背番号00の男



私は熱狂的な阪神タイガースファンだ。元々は母親が熱狂的で、「巨人ファンはうちの敷居をまたがせへん!」と言うのがモットーだ。友達を連れて行くと必ず「どこファン?」と訊ねている程だった。

1985年だった。母親は泣いていた。21年ぶりの阪神優勝。私も狂喜乱舞した。小学校4年生だった。阪神優勝の立役者は誰が見てもバース。私は掛布の大ファン(私の中のスーパースターは死ぬまで掛布)であったが、これは仕方がない。バース以外に考えられない。そのバースがタイガースを去る事になった。1988年のこと。確か、子供さんが非常に重い病気を患い、その為に帰国したバースをタイガースが解雇したのだ。私は憤った。あれほどの功労者に対して、その仕打ちはあまりにもあまりではないかと。その頃私はインドネシアにいた。父がインドネシアのバンドンに単身赴任しており、夏休みに遊びに行っていたのだ。数日間遅れて届く新聞を見ながら激怒していた。日本ではどんな騒ぎになっているのであろう。知る由もなかった。手段がないのである。常にタイムラグのある情報を我々は得ていたが、ある日の新聞を見て驚いた。

「バースに代わる助っ人来日!」

名前をジョーンズという。左投げ左打ちのバッターである。背番号は何と“00”聞いたことも無いような番号である。心配だった。それでなくても阪神は低迷している。どうなるものか… インドネシアにいながら、ジョーンズの活躍を期待した。そんな淡い期待は簡単に崩れ去る。

シーズン途中から突然掘り込まれたジャパニーズベースボール。簡単に活躍できるほど甘くはない。おまけに肩も痛めていたらしい。バースの次に来た外国人というだけの評判で、彼は阪神タイガースを後にした。

それから10年近く時間が流れて、私はアメリカへ留学していた。ある日、同じ大学のアメリカ人が友達同士で集まって、スーパーボールをTV観戦しようと言うので、私は遊びに行った。ほとんどパーティーのような状況で、皆でビールを飲みながらスーパーボールを見ていた。試合が終わって私はタバコを吸いにテラスに出た。タバコを吸っていると、近くに立っていた女性と目が合った。歳は同じであろうか。普通に挨拶した。彼女は私に日本人かどうか聞いてきた。日本人だと答えると、彼女は嬉しそうに「私は幼い頃、日本に住んでいたのよ」と言う。

「日本のどこに住んでいたの?」

「コービーよ。知ってる?」

「それはコウベのことかな?」

「そうそう!コウベよ」

そんな会話が繰り広げられた。神戸市に住んでいたらしい。おもむろに彼女はこう聞いた。「あなたは阪神タイガースを知っている?」おっと誰に向かってそれを聞いているんだ?「僕は阪神タイガースに全てを捧げている」そう答えた。彼女は手を叩いて喜んで、驚くべき事を言った。

「私のパパはタイガースの選手だったの!」

一瞬私の表情が固まった。

「ジョーンズって選手知ってる?」

「知ってるもなにも… 背番号は00でしょ?」

「そうそう!」

「左投げ 左打ちでしょ?」

「そうそう! あなたすごいわ!」

なんてことだ…  あのジョーンズの娘ではないか… 心の中でこう呟いた。

「故障しているのを隠して来日したくせに…」

とてもそれは言えなかったが、彼女は僕がそこまで自分の父親を知っていた事に、相当驚いていた様子だ。私も相当驚いた。まさか留学先で、元阪神の選手の娘に会えるとは。しかもあのジョーンズ。

その後、皆でバスケットボールをしたのだが、さすがはジョーンズの娘。運動神経は並々ならぬものがある。一人存在感を見せるプレーで輝いていた。

インドネシアで見た新聞の中のジョーンズと、アメリカで会ったジョーンズの娘。奇妙な取り合わせだが、負け続けても浮気せずにひたすら応援し続けた私へのご褒美だったのであろうか。

次はどこかの国で、ディアーの娘に会うかもしれない…
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by mau46 | 2005-10-07 19:46 | スポーツ

エスペラントとスポーツ

トラックバックカテゴリ:スポーツ偉大なるエスペラント博士ことザメンホフが産み出した、“エスペラント語”。少し皮肉めいた書き方ではあるが、一応世界共通語である。使っている人は見た事がない。私の視野が狭いだけか?? 今回は別の世界共通語を話したい。

仕事で帰りが遅くなったり、遊びに行って電車で帰れなくなったりした時にタクシーを使う。タクシーに乗り込んで、最初に私が口を開く言葉は何か? 思い返してみると、一番多いのが、「おっちゃん、今日阪神どない?」だと思う。大概の運転手は「今日は負けてしもうたわ」や「今日は勝ったで!」。この会話から野球談義が始まる。最近の野球界はどうだ、阪神はこのまま強くなっていくのか、など自宅に着くまでそのプチ討論会は続く。

学生時代に留学させてもらった事がある。寮での生活だったが、そこにはイタリア人がいた。彼の名前はロベルト。イタリア人ということだけしか知らない。ある日キッチンでたまたまロベルトに会った。私がひと言「カルチョ(イタリア語でサッカー)は好きか?」と聞いた。彼はこっちを向いている。続けて私は、「僕はカルチョが好きだ。特にイタリアではラツィオ(当時は)が好きだ」と言った。その瞬間には私はロベルトに抱きしめられていた。「お前は私の友だ!僕はローマ出身だ!」イタリアの名門クラブラツィオはローマのチームなのだ。何年も昔から友人のように会話は弾む弾む。それからというもの、ロベルトは私を見かけるたびに、どんなに遠くにいても声を掛けてくれる。カルチョが私達を結んだのだ。

ある日、ロベルトが寮でピッツァパーティーを開いた。どうやらイタリア人だけで開かれている様子で、他の寮のイタリア人も多く集まっていた。そこに私がロベルトから特別に招待を受けて参加させてもらった。ロベルトが皆に手作りピッツァを振る舞い、私も手伝った。その中でロベルトが皆の注意をこちらに引いた。いきなり私の肩を抱きながら、皆の前でこう言った。「こいつはカルチョにクレイジーだ! 嬉しい事にラツィオのファンだ!」その場は何故か異常に盛り上がった。皆が私にワインやビールを注ぎに来てくれたり、話に来てくれたりした。ローマ出身の女の子と仲良く話していると、横を歩いていた人が僕に「お前とは話さないよ。俺はミラノ出身だ。」と笑いながら言った。どう見ても、めちゃくちゃカルチョトークをしたそうであったのだが… 次の日から学校に通うと、ほとんどのイタリア人が僕を見つけると話しかけてくれた。自分がイタリア人になったかの様な一体感は非常に心地良かった。

私が滞在していた寮は留学生が多く集まる寮で非常に多国籍だった。例えば、イタリア人・韓国人・トルコ人・台湾人・ドイツ人・香港人・コロンビア人・ベネズエラ人・ブラジル人などであった。それほど大きくなかった寮に、よくもまぁこれほどの人種が集まったものだ。面白かったのはドイツ人とコロンビア人だ。両方とも女性で、当時の私のイメージだとサッカーにはあまり興味は持っていないような気がしていた。しかしそれは甘かった。

リビングでテレビを一人で見ていると、コロンビア人の女の子が入ってきた。ちょうど私はテレビでサッカーを見ていたので、「好きなチャンネルに変えてもいいよ」と言った。しかし彼女はサッカーが見たいという。ここからサッカー談義が始まった。私は94年アメリカワールドカップの話をした。ワールドカップ予選で彼女の国コロンビアは、あのアルゼンチンを敵地で5点を奪い沈黙させた。これでコロンビアは一躍ワールドカップ優勝候補に挙げられた。しかし、悲劇は起こった。コロンビアはたった一人の男に夢を粉砕された。ゲオルゲ=ハジは東欧のマラドーナと呼ばれるルーマニアの英雄だ。ハジに粉砕され、地元アメリカにも敗退したコロンビアは失意のうちに帰国する。悲劇はそれですまなかった。アメリカ戦でオウンゴールをしたエスコバルが帰国後、何者かの手によって射殺されたのだ。このような流れの話を延々と我々は話した。彼女の親戚はコロンビア代表のGKだと言う。リザーブの選手だったので名前は忘れてしまった。彼女曰く、コロンビア敗退の理由は、チームの内部分裂だという。しかし、失望はあまりにも大きかったと… 最後に「あなたにとって最高のストライカーは誰か?」と質問してみた。彼女はすかさず「マルコ」と言った。マルコ=ファン=バステンを指す。てっきりコロンビアの選手が出てくると思ったのだが、「意外と冷静だ」と感じたし、「ちゃんとサッカーを見ているのだな」とも思った。もともと私はオランダファンなので嬉しかったのは強く覚えている。(ちなみにラツィオが好きだったのはシニョーリという選手が好きだったため)

ドイツ人の女の子も同じだった。二人で夕日(時間は夜だがサマータイムで明るい)の美しいテラスでビールを飲みながらサッカーを熱く語った。

日本人が留学をすると、日本人同士で固まって、日本語しか話さなくなってしまう傾向が多々ある。これは私も良く見てきた。また、ひとり部屋に引きこもって国際電話ばかりして、月に10万も電話料金を支払っている人も見た。幸い、私はそのような経験をする事がなかった。英語を学びに言ったのだが、英語以上の世界共通語を発見して帰ってきた。もちろん、その世界共通語のおかげで英語もだいぶ上達した。一番何を苦労したかと言えば、野球を見たこともないスイス人を連れて、MLBを観に行った時だ。「何故バットにボールを当てると右回りをしなければならないか」からの説明には疲れた。ダブルプレーの説明には私の脳はパンクしそうになった。

そのような経験も経て、スポーツを通じたコミュニケーションというものを肌で感じてきた。むしろ、スポーツがあったから話したことも無いような国の人々とつながりを持てたのではないか、私はそう思う。あれから10年ほど経った今でもスポーツ世界共通語を再認識した出来事があった。しかし、それはまた別のコラムでお話したいと思う。言えることは、アメリカに行くならNBA・MLB・NFLのどれかを知っておいた方がいい。それ以外の国なら、圧倒的にサッカーは人気がある。訪れる国のサッカー事情を少しでも予習しておけば、現地の人とコミュニケーションをとる時に随分助けになる。ただし、地域同士でいがみ合っている場合もあるので、それだけ注意。英語をうまく話せなくても世界共通語を知っていれば、だれもフレンド・アミーゴになれるのだ。
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by mau46 | 2005-10-05 23:51 | スポーツ

ボクシングといふもの

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今年の1月、WBC世界フライ級タイトルマッチを観に行った。挑戦者の小松則幸選手の知り合いからチケットをもらったのだ。ただ、チケットをもらったから観戦に行ったわけではなく、元からお金を払って観に行く予定だった。最近、大阪でタイトルマッチなどしていなかったので、足を運んでみようと思っていたところの、渡りに船だったわけだ。会場に着くと、やはり独特の雰囲気がある。見るからに怖そうな兄ちゃん達がうろちょろしている。「これでは、よっぽどボクシングを好きな人でないと観に来れないな。」そう思いつつ会場に入る。あまり使いたくない言葉だが、前座の試合が始まる。ボクシング通の声が飛ぶ。ものものしさに戸惑いながら、この殺伐とした女気のない雰囲気を楽しんでいる自分がいる。


プログラムは進み、ついにタイトルマッチが始まる。小松選手の入場だ。多くののぼりが上がり、それに押し出されるように小松選手がうつむき加減で入場してくる。なんと言うプレッシャーなのだろう。観戦しているこちらにも、小松選手が今までこの日の為に身体をいじめ抜いてきたその辛さ、周りの小松選手に対する期待感が伝わってくる。それはある意味、悲壮感にも感じる瞬間もある。ボクシングは個人で戦う競技だ。しかし、リングに足を踏み入れて、対戦者とグローブを合わせるまでのさまざまなプロセスが、互いの選手の肩に乗っている。プロセスの結晶がいかにより多く輝くか、また輝いて見せるか、で勝負が決まる。その何もかもの全てが入場してくる小松選手の両肩に乗っている。それが見える。たとえ小松選手の姿がのぼりや人垣に隠れて見えなくても。そのオーラは身体に伝わってくる。これが世界タイトルマッチなのだ。


続いてチャンピオンの入場。フライ級最強ではないかと思われるサウスポーの入場。何人もの日本人挑戦者を跳ね返し、フィリピンの期待の星を粉砕した、恐るべきサウスポーが入ってくる。タイ国王の写真が高々と掲げられ、いつもの儀式のような入場が始まる。「これが王者の風格か」ガウンに身をまといながら軽くステップを踏み近づいてくる男にそう感じた。悲壮感はない。私が「チャンプ」と声を掛けるとうっすら笑顔を浮かべてグローブで返してくれた。チャンプの名前は、ポンサクレック・クラティンディンジムと言った。タイのボクサーはリングネームの後半に所属しているジムの名前をつける。だから、タイのボクサーを始めてみた人は違和感を味わうのではないか。たとえば、○○ギャラクシー、○○3Kバッテリーなどがそうだ。…話を進めよう。


皆さんがテレビで観ているのと同じように両陣営がリングに上がる。国歌が流れる。騒々しい人たちがいる。恥を知れ、と思う。やがてリングアナウンスによって互いのコールがある。日本のリングアナウンスは本場のアメリカと違い、少し派手さに欠けるような気がする。それを決して悪く言うわけではなく、これは日本ではボクシングを格闘技としてとらえ、アメリカではエンターテインメントととらえている違いのようなものがあるのかもしれない。その日米の差は別のコラムで書きたい。私は日本もアメリカも両方のリングアナウンスが好きだ。相撲で行事が力士の四股名を読み上げるように、これから殺し合い(あえて表現します)をする男達の名を叫ぶ。なんと王者の落ち着いたものか。試合内容を逐一レポートするつもりはないが、結果は歴然だった。ポンサクレックの開いたボディに小松選手がストレートを打ち込む、その時にはすでに小松選手の側頭部にポンサクレックのパンチが当たっていた。小松選手にボディを打たせ、グローブがボディに当たると同時に王者はカウンター気味の左フックを狙っていたのだ。それが幾度となく繰り返された。やがて小松選手は敗れた。それは、戦闘機に乗っているような強烈な(プレッシャー)を前進に受けながら観戦していた我々が解き放たれた時だった。目の上をカットしたキズが痛々しかった。しかし、小松選手の頑張りには大いに拍手を送りたい。彼は決してあきらめず、最後まで拳闘士として前進し続けた。


後日小松選手と食事をする機会があった。ポンサクレックのパンチは今まで受けたことの無いようなパンチだったと言う。カットした傷跡を見せてももらった。不思議な表現だが、その傷口は思ったより深く、小松選手曰く、まるでビル風のように「キズの中を風が走った」と言う。その風を寒く感じたとも。それほどのパンチだったのだ。小松選手自身、減量がきつく、1階級上げる可能性もほのめかしたが、私の「もう一度やりたい?」との問いに、彼はうつむきながらもギラギラした目で「やりたい。」 …安心した。ボクサーは1度の敗北で全てが変わってしまったりするものなのだ。


小松選手は5月の復帰戦を問題なくクリアし、11月に復帰第2戦を迎える。もしどこかで小松選手の名前を見かけたら、応援して欲しい。よろしくお願いします。
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by mau46 | 2005-10-05 23:46 | スポーツ

スポーツは麻薬である

勝手に考えた言葉だが、それほどの魔力がある。あれほど苦しかったクラブを卒業して十数年。それでもボールを触ると笑顔がこぼれる。しかし不思議な事がある。あれほど時間が経っているのに、プレーは今の方が冴えている気がする。おそらく当時できなかった事が、時間が経つにつれ自分の頭の中で洗練されているのであろう。それがわりと、ちょっとした練習で出来るようになったりする。今の方がいいんじゃないか? 今でも出来るんじゃないか? 本気でそう思う。その考えは正しいのであろうか?

その答えは、テレビが教えてくれる事がある。一度引退したボクサーが、時間を置いてリングに戻ってくる。おそらく一度一線を退いて、時間がゆっくり流れていく中で洗練された、熟成された自分のプランがそっとノックするのであろう。肉体の衰えが、熟成した技術に凌駕されているのだ。多くの場合は失敗の末路をたどることとなる。しかも彼らは、再度夢破れてもリングに戻ってくる。

彼らほどの才能は無いにしても、同じような錯覚を我々も起こす。そうか、これは麻薬ではないな。麻薬の逆だ。離れているときほど気持ち良く、戻ってくると苦しくなる。

「スポーツは魔薬である」

今の私? 確かに当時出来なかった小技はできるようになった。しかし、テクニックはおっさんを上回ってくれない。まして当時と比べ20kgのハンデを背負ってなど。
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by mau46 | 2005-10-05 23:43 | スポーツ


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