あの月に向かって打て



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人気低下は誰のこと??

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最近、マスコミを通じてよく聞く言葉が、
“プロ野球の人気低下”
だ。
視聴率の低下、観客動員数の低下。ご丁寧に様々な数字を見せてくれる。
あたかもプロ野球存亡の危機のように…

果たして読者の皆様は、どのように一連の報道をとらえておられるだろうか。

我等が阪神タイガースの観客動員数は絶好調。今年から座席は完全予約制で、当日券の販売はなくなった。阪神戦を観に行くことがひとつのプレミアになっている。そこに胡坐をかいってしまっているところもあるが…
千葉ロッテマリーンズは、負けても負けても熱い声援を送る、燃えたぎったサポーターがたくさんいる。それらが今年の快進撃を支え、優勝させてしまった。
北海道日本ハムファイターズ。フランチャイズを東京ドームから札幌ドームに移し、完全に道民の心をとらえてしまった。
楽天ゴールデンイーグルス。かつてロッテに裏切られた仙台の野球ファンを、もういちどプロ野球へ呼び戻すため、これから浸透させていくのであろう。いや、すでに熱いファンは生まれている。

これはチームの運営努力に因る部分が大きい。
例えばTBS。筆者が大阪に住んでいるからわからないのかもしれないが、横浜ベイスターズの重要な試合中継や、プロモーションなどを積極的に行っていないような気がする。(某チャンネルの様な節操の無い報道をしろと言っているわけではない)

このコラムを読んで下さっている賢明な読者の方々はお分かりだろうがマスコミの言う、
“プロ野球の人気低下”
とは、
“東京読売巨人軍の人気低下”
という、論点のすり替えでしかないのだ。

いまだに某チャンネルは、『巨人が勝てば世の中安泰』という報道をしている。それがそもそものプロ野球ファンが離れていった理由だということにまだ気づかない。ドラフトやFAを巨人に有利な方へ全て操作する。確かにV9の功績は偉大だ。ON(王・長嶋)コンビもしかり。しかし、それは過去のもの。そのような一党独裁の時代は終わったのだ。現実に、王監督は巨人の監督を断ったではないか。某チャンネルを見ていれば、ほとんどが巨人のOBで固められている(ひとり私の永遠のスーパースターが巨人OBに紛れてしまっているが…)。まるで北朝鮮のテレビのような様相を呈している。また、
「2年も優勝から遠ざかっている巨人のファン離れは問題となっており…」
などの放送がされているが、巨人ファンに問いたい。
「たった2年でファンを辞めてしまうのですか? たった2年も待てないのですか?」
それはファンではないでしょう。
むしろ、こんな状況だから応援するくらいの気持ちでいてもらいたい。
今年後半でも東京ドームに足を運んだ巨人ファンは素晴らしい。このようなファンがチームを救うのだ。
私は阪神ファンだが、そのような巨人ファンには尊敬する。

我々阪神ファンは10数年もけなされ、ボロカスに言われ、そしてお荷物球団として扱われた。それでもファンを辞めなかった。かつてオマリーとディアーがお立ち台で、
「阪神ファンは一番やー!!」
と絶叫した。これは、そういった熱いファンを表してくれたのではないか。
だから、優勝して涙を流せるのではないか。

今シーズン開始前に、巨人が毎年恒例の宮崎でキャンプを張った。近くの小学校に訪れた長嶋一茂が小学生に質問。
「この中で巨人ファンの人、手を挙げて!!」
手を挙げた児童はまばら。そこで長嶋一茂の言葉。
「プロ野球離れは深刻だなぁ」
私は本質を見たような気がした。このような頭だから、プロ野球の正しい抜本的な改革というものが行われないのであろう。なんと思い上がった発言か!なんと自己中心的な発言か!

「自分のところ(巨人)が強ければ、それで良い」

その発想に多くの巨人ファンは愛想を尽かした事がなぜわからないのか。その節操の無さに恥ずかしさを覚えたファンは何人いるのか。これがこの球団の根本の実態である。

しかし、阪神も人気球団が故にそこに胡坐をかいている事は先にも述べた。FA選手の獲得が上手でなかった(石嶺・山沖など)ので槍玉に挙げられなかったのかもしれない。しかし、2軍をウェスタンで優勝させ、しっかりとした地盤を築き上げている事は確かだ。どこかの球団の飼い殺しとは違う。

「日本のプロ野球。捨てたもんじゃないです!面白いのはこれからです。」

私はこう言いたい。群雄割拠の戦国時代がきます。ロッテは今年、イースタンでも優勝しています。次の世代も育ってきているのです。なんと恐ろしい… ソフトバンクの選手目を読者は見られたか?恐ろしい形相でロッテを睨みつけていた。
来年のヤクルトは…どうかな?一度でいいから、
「代打、オレ!」
と言うのをみてみたい。(←意味わかります??) でも、話題を提供していることには違いない。

で、“取り残されているのはどこですか?”になる。

巨人は数年間苦しい若手の育成に力を注ぐべき。阪神も星野監督(当時)が優勝させてくださったが、野村元監督の若手育成の芽が育ったことに他ならない。その当時は厳しい状況だった。その苦労を巨人は味わったほうがよい。ルールを変更して、自分の有利にもっていこうとするから、ファンが離れる。セ・リーグにもプレイオフを導入しようという案があるが、ペナントレースを落とした巨人が敗者復活戦に利用しようとしているのが丸見えではないか。ファンは愛想を尽かせますよ。
仮に最下位になったとしても、若手がチャレンジしてなった結果だとすれば、心ある巨人ファンは明日の栄光を夢見て、温かい声援を送ってくれるはずだ。

プロ野球人気は低下などしていない。これから新しい時代を築き上げていくのだ。これからがおもしろいのだ。一党独裁の時代が無くなれば、本当のプロ野球の時代がくる。

P.S. でもね、福留も憲伸も関西に戻っておいでよ~。いつでもウェルカムよ。
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by mau46 | 2005-10-27 09:11 | スポーツ

かえるの親もかえる

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先日、F1大阪グランプリを提案した。

週末実家に帰り両親と団欒。その時にF1大阪グランプリの話をした。

意外に話は盛り上がった。母親などは、

「ゴールを関空にして、実際に阪神高速の湾岸線を走った方が早く着くのか、阪和道(大阪と和歌山を結ぶ高速道路)を通った方が早いのか、自由に走らせて競わしたらええやん」

などと言い出す始末。

そこで、父親が口を開いたのは…

「実は会社で、最近ゴルフがイマイチ盛り上がらんなって話題になってな」

と言う。続けて、

「それで注目を集めるために、御堂筋(大阪を南北にど真ん中を走る道路)の梅田から難波までをパー20くらいで回ったらええねん。話題を集めるぞ~!って話になったんや」

なんと言うか、この親にしてこの子ありと言えばよいのか。
なんと似通った発想だ。

続けて父が言う、

「難関は本町やねん。御堂筋を阪神高速が横切っている。あの上を越すのは至難の技や。低い弾道で飛ばさなあかん。」

私が、

「それやったら、どうせ下はアスファルトなんやから、パターで一気に転がしたらええやんか」

父はナイスアイディアとばかりに、

「おっ!そうやな。それがええな」

たまらず母が、

「観客はどこで見るの? ビルの中から??」

私と父が、

「それはあかん!もし球がそれて窓ガラスを直撃したら、大変なことになる。だから観客も無し!割った窓ガラスはプレイヤーが弁償!テレビ観戦だけやな」

なんとあほな話だろう。しかし、こんな奇抜な発想からなにか面白いことは生まれてくるのではないか。以前、Raikkoさんから、

“スポーツ観戦者は「わかってない人」の方が多いからこそ生まれるアイデア、凄く多いと思います。”

とのメッセージをいただいた。そうなのだ。わかりすぎるから、既成・固定概念にとらわれてしまうのだ。

こんな何でもない話でも意外と盛り上がってしまう。これも新しいスポーツへの取り組み方ではないだろうか。


しかし、父も母も私も同じような発想を持っているとは…


かえるの親はかえるです


e0090292_1085889.jpge0090292_1075850.jpgP.S. 前にコラムで書きました、“F1とインディはどっちが速いんですか”のお答えを待っています。軽く書いたものの、気になって気になって。そんな車の異種格闘技もおもしろくないですか?同じコースを走ったら、どっちが速いんだろう???
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by mau46 | 2005-10-25 10:10 | スポーツ

ありがとうロッテ

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私は熱狂的な阪神ファンである。
18年ぶりの2003年のタイガース優勝の時は、本当に涙を流しながらその様子を見たものだ。
普通は優勝すれば、
「やった!」「よっしゃ!」
などの言葉が出てくるのかも知れないが、私は違った。
「ホンマにありがとう」
だった。いつも心にこう思っていた。
『こんな素晴らしいシーズンを見せてくれて、優勝の喜びを与えてくれて、本当にありがとう。』

しかし、今年、2005年に優勝した時には、
「やった!」「よっしゃ!」
だった。
これはどういうことか。阪神の強さに私が若干慣れてしまったのかもしれない。
2003年の頃のような臆病さはなかった。
阪神はいつしか王者になっていたのだ。
苦節の18年を思い出さなければならないと自分に言い聞かせている。

先日、ロッテマリーンズがパ・リーグの優勝を決めた。
しかし多難な道のりだった。
優勝に王手をかけて4点差を守りきれずに負け、
その後、逆王手までかけられた時のロッテサポーター(って言うんですよね?)
の心中は察して余りあった。さぞかし胸を痛めたことでしょう。

あの絶対的守護神 小林雅英が守りきれなかった。
彼はどのような心境だったのであろうか。
『勝てる!』と思って固くなったか?
『勝った!』と思って固くなったか?
また、別の要因か...
彼に直接聞かなければわからないが、最終戦に小林雅英はそれを乗り越えて見事に勝った。

私は思わず涙を流してしまった。これはもらい泣きではない。
ロッテサポーターの気持ちがわかるのだ。31年ぶりの優勝だ。
今までどれほどつらい思いをしてきただろう。
それほどの屈辱を味わってきただろう。
個人的には、初芝や堀などの当時のロッテオリオンズを引っ張ってきた選手も胴上げして欲しかったが...

怖かったのが、その歓喜の姿を、唇を噛締めながらじっと見ていたホークスベンチだ。
ロッテの優勝が決定し、すぐに背中を見せてロッカーに帰る程度のチームなら先は無い。
しかし、彼らは恐ろしい形相でロッテを見ていた。

本当におめでとうロッテマリーンズ。
めちゃくちゃいい日本シリーズにしましょう!
心から祝福したい。



そして、ありがとうロッテマリーンズ.....
阪神ファンの牙を研ぎなおしてくれて.....
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by mau46 | 2005-10-22 16:57 | スポーツ

お単細胞

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お単細胞な私はモータースポーツに関してリクエストが挙がると、すぐに喜んでキーボードをたたき始めている。読者の皆さんは私がサッカー・野球・ボクシングしか知らないとお思いでしょうが、実はわりと色んなスポーツをつまみ食いしているのだ。

私はF1が好きだった。特に好きだった頃は、鈴木亜久利がザクスピードヤマハで予備予選を落ちまくっていた頃。また、水平対向12気筒というわけのわからない神秘的なエンジンに胸をときめかせてみたりもした。高校の時には自分のチャリンコにベネトンのステッカーを貼り、『ベネトンB191(当時の最新鋭+1) エンジン 俺』などとほざきながら他の生徒を追い抜いて走っていたころもあった。

そんな私がF1を見なくなったのはいつ頃だろうか。それはおそらくアイルトン=セナが亡くなった時に重なると思う。不可解だった。ベルガーが炎に包まれても死ななかったのにどうして… そんな思いだった。一人のスーパースターがいなくなってしまうと、ぽっかり穴があいたようで見なくなってしまった。引退ならまだよかったが、死んでしまうとは。現在のF1は安全重視ではなかったのか?そのための毎度毎度のレギュレーション変更ではなかったのか?

レギュレーションの変更… F1に興味が薄れた理由はそこにも大きくある。これには納得がいかなかった。例えば、HONDAエンジンが16戦中15勝すればHONDAが得意としていたターボエンジンを廃止にしてみたり、ウィリアムスがアクティブサスペンションを導入し、抜群の強さを発揮してシーズンを終えればすぐに廃止にしてみたり、どうもレギュレーションが変更されすぎる気がしていた。私がよく見ていた90年代の頃と比べれば、マシンは全く別物になってしまっている。80年代のマシンと90年代のマシンはさして大きく違いはないであろうが、ここしばらくの変更はすさまじい。そこにはファンが介在していないように思える。ターボ廃止になり、HONDAエンジンの圧倒的強さがなくなり、エンジンの性能はほぼ平均化された。それでもHONDA V10は最高のパフォーマンスを発揮したが… しかしこれで日本のHONDAファンはかなり嫌気がさしたのではないか?

例えば、スキーのノルディック複合競技で日本チームのジャンプが圧倒的に強いとみるや突然のルール変更である。ジャンパーの身長に対して一定の長さのスキー板しか装着してはならない。これはF1でいうレギュレーションの変更だ。これで日本勢はその圧倒的な強さを奪われた。ヨーロッパ主導のスポーツには常にこの問題が付きまとう気がする。

レギュレーションの変更は頻繁に行われ、その波に乗れないチームは簡単に沈んでしまう。フェラーリが今期振るわなかったのもこれが理由なのであろう。レギュレーションに振り回されることは数多い。敵は人間でなくレギュレーションかもしれない。

ネガティブな話はこれくらいにして、では、おもしろいレースとは何であろうか? 抜きつ抜かれつのデッドヒートだろうか。怒られそうだが、実は私が一番興奮したのはクラッシュシーンだった。派手なクラッシュシーンがあれば興奮していた。もちろんドライバーの安全を気遣っていたのは当然だが… 実はF1ではあまり抜きつ抜かれつのデッドヒートというのはない。モナコグランプリでセナとマンセルが見せた、残り5週のデッドヒートなど、これから10年たっても見ることはないだろう。ただひたすら周回を重ねていくなかで、視聴者の目を覚まさせるのがクラッシュシーンだ。これを楽しめるのも安全性を最重視したマシン設計があるわけで、その裏打ちなしではとても怖くて見ることができない。あとは市街地コースでのレースだ。有名なモナコをはじめ、スパ・フランコルシャン、フェニックス(古いな)など、魅力的な市街地コースは喜んで見たものだ。

そうだ。日本グランプリを2回開催して、鈴鹿サーキットと、どこかの市街地あたりで行ってはどうだろうか?映画ゴジラで、ゴジラに破壊されたビルや会社は非常に良い広告になるそうだ。まるで岸和田のだんじり祭りのように日本の市街地をF1が疾走する。クラッシュした場所などは確実に名所になる。これが実際に行われるとなると読者の皆さん心が弾みませんか?マラソンができるのであれば、F1も… 簡単ではない事はわかるが、これくらいのインパクトを与えても良いのではないか? F1大阪グランプリを開催して阪神高速をサーキットにする。ビル街にあるから、広告料もバンバン入ってくる。夜中に阪神高速を無謀運転している輩に圧倒的な差を見せ付けてやればよいのだ。昔、中島悟は言っていた。「峠を走ったりはしなかった。群れて走っている連中って結局は遅いでしょ?」差を見せ付けられて真似をするのも出てきそうだが… 毎年年末に無駄な工事を行って国の予算を浪費するくらいなら、F1が走れる位の高速道路を毎年整備すればよいのだ。それなら国民も納得がいく。なぜかと言えばF1は非常にデリケートで、ちょっとでも路面がバンピーであったりすると、とたんにダウンフォースを失って木の葉の様に舞ってしまう。だから、国の予算で高速道路を『F1でも走れるくらい美しく』補修すればよいのだ。サービスエリアがピットになっていたり、途中高速を降りて一般道を走れば、コース折り返し地点になっていたりなどおもしろそうだと思う。

マシンのレギュレーションは変わっても、コースのレギュレーションはさほど変わらない。それならいっそのこと、コースに革命を起こせばよいのではないか。これが私のアイディアだ。視聴者がいつも走っている道路をF1が走るのであれば、必ず見るだろう。今まで考えたことはないですか?「ここから関空(目的地はどこでも良いが)まで、F1だったら何分で着くんだろう?」と。その答えを出してくれるのだ。こういった視聴者との距離を縮めることが大切だと思う。このままでは、WRCに取って代わられるかもしれない。WRCは観客の目の前をマシンが疾走していく。

このコラムを読むと、モータースポーツファンから怒られるかもしれないが、今まで当然としてあったカタチを壊すような別の観点も大切だと筆者は思う。スポーツ観戦者は「わかっている人」より「わかってない人」の方が多いのだから。

すぐに喜んでリクエストに応えようとする、お単細胞の思いつくままにF1に関してのコラムを書いてみました。Raikkoさん、怒らないでくださいね。

最後に、F1とインディを戦わせてみたいと思いませんか? どちらが速いのですか? モータースポーツファンの皆様、教えてください。
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by mau46 | 2005-10-21 15:09 | スポーツ

レアル・マドリーとレイカースと巨人軍

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この3球団は似て非なるものである。確かにジャンルは違う。それぞれ、サッカー・バスケットボール・野球。一見共通点がなさそうに見えるが、実はある。大体の読者は察する事ができるであろうが、横取りチームだ。私は他のチームから有力な選手を獲得する事を悪くいうつもりはない。それが意味のある補強であれば…

ここ数年ニュースでよく見るレアル・マドリー、銀河系軍団などと呼ばれたりする。これは世界各国の有力選手を豊富な資金で獲得し、ドリームチーム化させている事からである。例えば、フランス代表ジダン、ブラジル代表ロナウド、そしてイングランド代表オーウェンなどが挙げられる。敢えて、『あの人』の名前を挙げなかったのには理由がある。そのベッカムが入団する時に、レアル・マドリーは揺れた。ベッカムが得意とするポジションにはポルトガル出身のフィーゴがいた。フィーゴもいわくつきのレアル・マドリーの入団だったが、今それはいい。ベッカム獲得を無駄な補強と言い放ち、チームを去った選手もいた。守備の基点のボランチをつとめるフランス代表クロード=マケレレだ。レアル・マドリーがベッカムを獲得したのは、チームの補強はもちろんだが、それよりも商業的価値を誰よりもベッカムに見出したからだ。だからベッカムを敢えて外した。私の気持ちはマケレレと同じだ。予想通りにマケレレが退団してから、レアル・マドリーはベッカムの扱いに持て余し、チームはあえいでいる。また、同時にセンターバックの元スペイン代表イエロもチームを後にした。この二人の退団は大きく響いた。銀河系軍団を持ってしても、リーガ制覇はおろかチャンピオンズリーグも制覇できない。昨年、苦しいマドリーはイエロの穴にアルゼンチン代表のサムエルを獲得した。しかし、サムエルはうまく機能せずに終わってしまった。銀河系軍団は監督を猫の目のように代える。完全に広い宇宙空間に迷い込んでしまったようだ。

かつてマジック=ジョンソンが所属していた、名門バスケットボールチームL.A.レイカース。アメリカでもトップクラスの人気を誇る球団だ。ホームでのゲームには、あのジャック=ニコルソンもコート脇で唾を飛ばして応援する。レイカースのスター選手は、高校からNBAの世界に飛び込んだコービー=ブライアントだ。デビューの頃は怖いもの無しでマイケル=ジョーダンに勝負を挑んだり、少々無理な体勢でも身体能力の高さを活かして、得点を決めたりしたものだ。そんな彼も今は脂にものり、円熟期を迎えようとしている。ここ最近レイカースも銀河系軍団を作り上げた。センターにはあのシャキール=オニール、フォワードにカール=マローン、ガードにゲイリー=ペイトンなどを加えた。磐石の布陣だ。圧倒的な強さでレギュラーシーズンを勝ち進み、プレイオフでも強さを発揮した。しかしNBAファイナルであっさり負けてしまった。NBAの銀河系軍団を負かせたのは、デトロイト・ピストンズだった。ダイヤモンドのように硬いピストンズの団結力の前に、銀河系軍団はコートに目を落とすしかなかった。

史上最強打線。これほどチープな言葉になるとは誰が予想しただろう。ネタで使われるようになってしまった言葉である。他の球団から4番打者ばかりを集めてきた。これがTVゲームならぶっちぎりの優勝は約束されたようなもの。しかし、現実はどうか。“つなぐ野球”に手も足もでない。さらには投手陣の崩壊である。ひよこのかくれんぼのように頭を隠してもお尻が見えている。打線の補強を重ねても、投手の補強は行われない。その1球団のマスターベーションのために多くの野球ファンが愛想を尽かしてしまったことにまだ気づかない。さらに節操のないことに、自分の人気回復のためには他球団の現役幹部を監督にもってこようとする始末だ。プロ野球人気低下に関しては別のコラムで書きたい。結局は負けたのだ。

さて、3つの球団に関して書いたが、上の2つの球団と一番下の球団との違いを述べたい。これはそのコラムである。

レアル・マドリーは守備の不安でアルゼンチン代表のサムエルを獲得したが、1年たって機能しないと判断するとサムエルをあっさりと手放した。また、オーウェンも恵まれない出場機会を嫌ってイングランドへ帰った。マドリーはオーウェンの移籍を認めた。レイカースには先ほどのスーパースターの中では、コービー=ブライアントしか残っていない。シャキール=オニール、ゲイリー=ペイトン、はチームを去った。彼らは新天地で活躍している。カール=マローンは華々しく引退していった。このように優れたチームというものは適材適所に選手を補強し、機能しなければ放出するのだ。これによりチームも負担がなくなり、選手にとっても活躍の場が与えられるので、リーグの活性化にもつながる。言葉は悪いかも知れないが、貨幣と同様に選手もある程度は流通する必要があると思う。今のレアル・マドリーは強い。しかし、放出した方がいい選手もまだいる。完全に活かされていない選手もいる。しかしサッカーの場合は試合数が多いので、選手の大量所有は必要悪でもある。レイカースは選手の大量放出の影響もあり去年はこけたが、近々必ず復活するであろう。

さて、もう筆者の言いたいことは全て察していただいているとは思うが、今まで巨人軍に所属した選手で何人の選手が飼い殺されたろう。石井浩朗、広澤克実、江藤智、ペタジーニもっといるか… 何度も言うが、チームを強くするために選手を補強するのは良い。ただ、それによって選手の流通を滞らせてしまってはリーグの活性化は行われない。補強をして、それで機能しなければしょうがない、その時はその選手を市場に返してやるのだ。それがプロスポーツの筋というものだ。しかし、選手側がそれを固辞した場合はなんとも言えないが… ただ、その選手は戦う姿勢を忘れた選手だ。オーウェンのように堂々とチームを去ればよいのである。

今年も秋になるころ、やっと気づきだしたのか、若手を思い出したように起用し始めた。すばらしい選手がいるではないか。鈴木、彼は良いリードオフマンになりそうだ。矢野、パンチがあって成長したら怖いバッターになりそうだ。しかし、最近のニュースを見て愕然とした。シーズン終了後にFA宣言するであろう、西武の豊田・カブレラを狙っているという。あのヤンキースですら、粛清を行うというのに。本当の苦しみをあのチームは知らない。31年ぶりに優勝したロッテ・マリーンズの爪の垢を煎じて飲むがいい。あそこにこそ本当のプロフェッショナルがある。
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by mau46 | 2005-10-20 19:28 | スポーツ

エスペラントとスポーツ:その2

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私がヨーロッパへ行った時のこと。ブリュッセルのシーフードレストランで食事をしていた。私は風邪を引いていて、ひどく体調が悪く咳ばかりしていた。まだ夕食には早い時間だったので、他に客は赤ちゃん連れの夫婦だけだった。私が咳をする度にその赤ちゃんがこちらを向く。「ごめんね」なんて言いながら食事をしているうちに、だんだんとその夫婦と言葉を交わしていく様になった。

そのきっかけは、

「どちらから来ているのですか?」

という私の問いに、

「イングランドからですよ」

の答えだった。私がふと、

「イングランドだと、ワールドカップで日本に来てくれましたね。本当はイングランドVSアルゼンチン戦を観に行きたかったんですよ」

と返すと、そのイングランドの旦那さんの目が変わった。

「君はサッカーが好きなのか?」

おやおや。どこかで見たような雰囲気だと思えば、留学時代のイタリア人 ロベルトとまったく同じではないか。

旦那さんもワールドカップへ観戦に行きたかったようだが、日本は物価が高く、旅費がかさむため行けなかったそうだ。私がサッカー好きと分かると、どんどんサッカーの話にのめり込んでいった。

「君はどの試合を観戦したの?」

「ロシアVSチュニジアとベルギーVSチュニジアです」

いつか述べたように、やはりサッカーの話をすればコミュニケーションをとるのに苦労はしない。奥さんも楽しそうに会話を聞いている。日本だと奥さんが退屈しているかを気にしながら話したりするものだが、私には奥さんも楽しんで話を聞いてくれている確信があった。それは留学時代の経験が生きている。例のコロンビアとドイツの女の子との会話だ。

会話が徐々にエスカレートしてきた。

「君はプレミア(イングランドサッカープロリーグ)のどのチームが好きなんだい?」

と旦那さん。

難しい質問だ。私はサッカーではオランダのファンである。私は元オランダ代表のベルカンプという選手の大のファンで、現在ベルカンプはイングランド プレミアリーグのアーセナルというチームに所属している。『アーセナルを応援している。何故ならベルカンプがいるからだよ』と答えようと思い、口を開けた。

「アーセナ….」

「NO!!」

と、旦那さん。『君は何も分かっちゃいないな…』のような顔をされてしまった。

それ以降、どうしてアーセナルを応援しているかの弁明はさせてもらえなかった。

「じゃあ、あなたはどこを応援しているの?」

「ウェストハムに決まっているじゃないか!」

もう、最初の頃とは別人である。その後、好きな選手の話をした。私が旦那さんは誰のファンか尋ねると、1960年代の選手を挙げてくる。しかも、「彼は196○年~○○年まで活躍して….」わからない!さすがにサッカーマニアの私でも分からない!『せめてここ20年くらいの選手にしてくれ!』という気持ちを込めて、

「今、好きな選手は誰なの?」

と聞くと、一休さんにとんちをふっかけられた将軍義満公のように悩みこんでしまった。仕方ないので私から話した。

「僕はスティーブン=ジェラード(か、リオ=ファーディナンドのどちらかを答えた)が好きかな」

オランダファンの私がわざわざイングランドの選手を挙げて答えてあげたにも関わらず、旦那さんは難しい顔をしている。

「ランパードも好きかな…」

ボソッと私が言うと、旦那さんは難しい顔のまま、

「ランパードは、元はウェストハムの出身だからな… まぁいいか…」

やっと許してもらえた。

私は一つ恥をかいた。奥さんにも同じ質問をしたのだ。

「あなたはサッカー選手で誰が好き?」

彼女は、

「ベッカムよ」

「なるほど。ハンサムだからね」

「違うわ。私はサッカー選手として、彼のテクニックを見ているのよ」

そうか、私は日本で報道されているままの事を話してしまった。アジア(とりわけ日本)のベッカム人気はすごい。私はそれを冷ややかな目で見ていたのだが、何故か日本のノリで話してしまったのだ。コロンビアの友達にしてもドイツの友達にしても、もちろん奥さんにしても、しっかりと選手のプレーを正当に評価しているのだ。日本のようにミーハーな捉え方でなく、しっかりと選手のテクニックを評価している。私は奥さんをなめていたのかも知れない。この場を借りて謝りたい。

異国で初めて会った者同士がここまで熱く語れると言うことは素晴らしい。我々は時間も忘れて語り合った。ロベルトの時と同じだ。スポーツ(この場合はサッカー)という世界共通語のおかげで、彼らとは数年来の友達のように楽しい食事をする事ができた。なんと素晴らしいことだろう。私はせっかく話をしてくれた御礼に日本の5円玉を赤ちゃんにあげた。日本では幸運をあらわす旨を伝えると、奥さんは非常に喜んでくれて、「この子のペンダントにするわ」と言ってくれた。

時間が過ぎて彼らが帰る時が来た。どうやら赤ちゃんがウンチをもらしてしまったらしい。名残惜しいが仕方ない。握手をして彼らは店を去った。非常に寂しい想いをしながら彼らを見送った。さて、席に戻ろうかとしたその瞬間。店の奥から店員が私に向かって突進してきた。何事かと思っていると、そのまま私は肩を抱かれた。 ??? 事態が全く把握できない。彼はまくし立てて言う。

「お前はさっき、チュニジアサッカーがどうのこうの言ってただろ!」

「うん」

「オレはチュニジア人だ!お前はチュニジアのサッカーを観に行ってくれたんだろ?お前はオレの友達だ!」

「???」

「お前はどうしてベルギーなんかにいるんだ? お前はチュニジアに来るべきだ!」

このおっさんは何を言っているのだ??しかしこのノリ… またロベルトの時と同じだ!

「ベルギーは天気も悪いし… チュニジアは天気も良いし、食べ物も美味い!」

ベルギーのレストランの店員なのに… 心の中で突っ込みながらおもしろいから話を聞いていた。どうやら彼は言葉の通り、チュニジアのサッカーを応援しに行ってくれた事が相当嬉しかった様子だ。

レストランでのさりげないサッカーの話が輪を広げ、レストランの雰囲気を変えてしまった。以前、エスペラントに関するコラムでエスペラントを学ばれている方から書き込みをいただいた。“最初から互いの共通話題・認識があれば、わかりあうのも早いでしょう…”おっしゃる通りだ。要するに、分かり合えるものがあれば、そこにはエスペラントも英語も必要ない。最悪、身振り・手振り・絵に描くでも友達・フレンド・アミーゴになってしまえるのだ。なにもスポーツに限らなくてもよい。口笛で「明日に向かって撃て」のテーマを吹いていたスイス人に合わせて私も口笛を吹いたら、一気に二人の心の距離が近づいたこともある。そういったグローバルな共通認識を持てることは素晴らしいと思うし、そこには人種も性別も国籍も関係ない。宇宙人であっても共通認識があれば心も近づける(ちょっと言いすぎか…)のだ。これを読んで下さった方々も、何か世界中どこでも話せるような事に興味をもたれてはいかがだろうか(このコラム読む人はスポーツに関心があるから多分大丈夫か♪)。国同士がいがみ合っていたとしても、個と個の間には必ず笑顔で結ばれる事はあるはずだ。少し大げさなまとめになってしまったが、私はそれを強く思う。

しかし、こんな大きなまとめをしてしまって、次のトピックは何を描けば良いのだろう。読んで下さった方々、何かコラムを書けるようなネタを下さい。共通認識を増やしていきましょう!!
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by mau46 | 2005-10-19 20:18 | スポーツ

地上波スポーツ中継に物申す

トラックバックカテゴリ:スポーツ

最近、お笑い番組を見ていると、やけに目立つのが字幕スーパーだ。ネタをご丁寧に字幕で表してくれる。ハッキリ言ってこれは非常に迷惑だ。肝心のオチまで字幕にされると、笑いたくても笑えなくなる。なんだか冷めてしまうのだ。また、字幕に目が行くのでタレントに目が向かない。いわばこれは、タレント潰しでもあると思う。視聴者はそんなに愚か者ではありません。むしろテレビ側に配慮してもらいたいのは、客の笑い声ぐらいである。笑い声がネタにかぶると、さっぱりわけが分からなくなる。笑い声を足したい気持ちは分かるが、そこは気をつけてもらいたい。筆者はお笑いマニアなのだ。

この悪い風潮がスポーツ番組にも押し寄せてきた。CSや衛星などのしっかりとしたスポーツチャンネルはその様な事をしないが、地上波のテレビ各局はこれをしたがる。テレビ画面の端に「感動のフィナーレ!」などを出されながら見ていると、非常にチープに見えてしまうのは私だけであろうか。そんな事をしなくても視聴者はしっかりとその感動を受け止めることはできる。いちいち、番組スタッフに「はい、ここで感動してくださいね」など言われなくてもわかるのだ。これはおそらく、チャンネルを変えて途中で見だした人にも、現状がどの様であるかわかるようにしたものだと思うが、初めから見ている者にとっては大迷惑である。競技にある程度のエッセンスを加え、個性を出すまでは良かった。最近はこれが過ぎる。

あと、サッカー中継において、やたらと絶叫ばかりするのは止めて欲しい。絶叫するのはハラハラして応援している視聴者で実況ではない。無意味な選手のアップも止めて欲しい。全然周りが見えません。これは先日のサッカー ウクライナVS日本の試合で思ったこと。また、昨日の放送では誰が実況で誰が解説かわからないほど交錯していた。音声多重にして副音声は現場の音だけにすることはできないのであろうか。だから私は日本代表の試合を見る場合は衛星かCSで視聴する。昨日は衛星で放送をしていなかったのだ。どうしようもなく、地上波で放送を見た。

少なくともサッカーを分かった人が実況をするべきだ。製作者サイドが思っているよりも、視聴者の目は肥えている。皆さん、そう思いませんか?
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by mau46 | 2005-10-14 19:38 | スポーツ

なんでもアリではありません

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私が始めてUFCを知ったのは、ある日、本屋で格闘技系の本を立ち読みした時であっ
た。1993年アメリカ コロラド州デンバーで第1回UFCが開催された。私が知ったのは
第2回大会だったと思う。なんせ、急所攻撃アリとの見出しがあり、どんな格闘技か
気になったものだ。

世の中にたくさんある格闘技でどれが一番強いのだろう。空手? 柔道? ボクシン
グ? それに答えを出そうとしたのがUFCだ。オクタゴンと呼ばれる8角形の金網に囲
まれた、独特な雰囲気を醸し出すリングでそれは行われる。当時はトーナメントを1
日で消化したので、いかに効率よく勝ち上がっていくかがポイントとなった。1回戦
で強敵を破ってもダメージを引きずったままで2回戦に挑めば当然敗れてしまう。そ
んな緊張感があった。

先ほども述べたように私は雑誌でその存在を知り、そしてビデオを見た。ものすごい
緊張感だった。出場する選手のそれぞれが背負っている武道の誇りを賭けて、リング
に上がってくる。それぞれの選手がそれぞれのいでたち(空手着・胴衣・ボクシング
パンツ・マーシャルアーツなど)をして登場する。これこそ異種格闘技戦である。私
は身震いがした。道場破りを公衆の面前でやってしまうのだ。本当に一番強いのは一
体誰なのか…

私は当然打撃系が勝つであろうと思っていたので、優勝したのが柔術のホイス=グレイ
シーというのはにわかには信じられなかった。戦い方は以下の通りである。

蹴りで牽制する→相手を捕まえる→引きずり倒す→関節技で極める

要するに、「捕まえてしまえば、打撃もあたらないでしょう」の理論である。

この戦い方がどこまで続くのか。結局最後まで勝ち進み優勝してしまった。しかもほ
とんど無傷で。

これは私の中で一種の革命だった。当然パンチなりキックなりを当てた者が勝つと
思っていたのが、関節技でギブアップを奪って勝っているのだ。美しささえも感じ
た。

これはまだ、世の中のほとんどの人がUFCを知らない頃だろう。バーリトゥード。ポ
ルトガル語で「なんでもアリ」を指す。これが世に広まる前だった。

今、UFCは50回を越えるまでに至ってしまった。当初、「なんでもアリ」だったUFCも
今となっては「なんでもアリではありません」になってしまっている。金的はもちろ
んダメ。髪の毛を引っ張るのもダメ。ヒジ打ちにも制限がある。結構規制がかかって
いる。あのUFCが始まった頃の独特の緊張感、恐怖感、疾走感が今はない。出場者数
も飛躍的に増え、体重別になっている。当時はそんなものは無かった。後は戦術。こ
れは色々なものが淘汰されて良くなってきているのは分かる。しかし、かつての異種
格闘技戦全開だった頃に比べ、今はバーリトゥードの戦い方が確立されてしまった。
昔の「スタイルとスタイルの戦い」ではなく、「いかに上手いバーリトゥードの戦い
方をするか」が勝負の決め手になっている。もちろん、選手のスタイルはあるのだろ
うが、当初のUFCに比べると皆がほとんど同じに見える。それは結局バーリトゥード
の戦い方を熟知しているからだ。日本ではPrideが人気だが、やはり独特の緊張感は
ない。目新しさを感じない。「なんでもアリ風」の戦い方をしてるだけに見える。

障壁はあると思う。本当の「なんでもアリ」にしてしまうと、健康上の問題が生ず
る。また、残酷に見えるのでTVでの放送枠も限られてくる。女性のファンがつかな
い。様々な問題が出てくるのであろう。しかし、私は格闘技は「怖いもの」であるべ
きだと思うし、その「怖いもの」見たさが良いのではないかとも思う。その見てはい
けないようなものを除きに行く。それがよいのではないだろうか。
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by mau46 | 2005-10-13 22:25 | スポーツ

神様のココロ

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私の家に衛星放送が来たのは、前述したようにマイク=タイソンの試合を見るためにおねだりしたのだから、高校1年生の時である。WOWOWは有料放送で申し込みが必要だったため、衛星放送が見られるようになっても、WOWOWだけはすぐに見られなかった。つまりNHK衛星第1・第2しか見る事ができなかった。しかし、当時は喜んで、少々無理してでも普段見ないような番組を衛星放送で見たものだ。そんな単純さは今でも変わっていない。

しかし、スポーツ番組は充実していた。サッカーも正確にはいつ頃だったかは覚えてないが、リーガ・エスパニョーラもやっていた。当時、セリエAはWOWOWで見るもの、リーガはNHK衛星で見るもの、となっていた。もちろん私はサッカーばかり見ていたのである。しかしある時、私はとんでもないものを見てしまったのである。空を飛ぶ人間を。サッカー好きは“フライングダッチマン”ことヨハン=クライフかと思うが、私が見た人はマイケル=ジョーダンだった。一度見て信じられなくて、二度見て惚れた。マイケルが飛ぶと時間が止まる。マイケルはコートの制空権を制している。そして、流れる時間に干渉する権利を持っている。そして全てを支配する力を持っている。私はそんな人をもう一人知っている。ミレーヤ=ルイスだ。彼女はバレーボールキューバ代表のエースだった。彼女もその3つの権利を牛耳っていた。ミレーヤはある練習で、あまりにも正確にトスを上げるセッターに対して、トスを散らせと言った。しかし散らせばどのようにトスが上がるかわからないのでは、というセッターの返しに、ミレーヤは、“大丈夫。上で待っているから”と答えたという。そのセッターが中田久美だったとか、そうでなかったとか… 話がそれたので元に戻そう。

私の家族はスポーツ一家だ。皆がスポーツ好きだ。私がマイケルのプレイを見ていると、いつの間にか母親も一緒に見ていた。母も惚れたらしい。それからと言うもの、マイケルの試合を追うようになった。

彼を見ていて思う。確かに、ずば抜けた身体能力を持っている。しかし、ジャンプ力ではクライド=ドレクスラーの方が上ではないか?ドリブルでは、アイザイア=トーマスの方が上ではないか?パスはマジック=ジョンソンの専売特許だろう。では、マイケルの最大の凄みは何か?それは絶対的な精神力だ。彼は逆境を受け止め、その中で一瞬顔を出すチャンスを逃さない。誰もが萎縮してしまいそうな、その緊張感を楽しむ事ができる。よく最近テレビなどで耳にするのが、「オリンピックを楽しんできます」「大会を楽しみます」などにある「楽しむ」と言う言葉だ。そんな選手がいざ本番となれば、誰よりも引きつった顔をしている。要するに、言わされ感があるのだ。暗示にかけているのかもしれない。だからあまりキツくは言えないが… 大舞台で「楽しむ」と言うのは、例えばサッカーブラジル代表のロナウジーニョ=ガウーショのような天真爛漫さを言うのである。無理にその言葉を言えば言うほどそれは痛々しく見える。しかし、マイケルのそれはロナウジーニョのそれとは違う。根本的に違うのだ。ふいに比べてみたくなった。コラムの趣旨とは少々ズレるが、ご容赦いただきたい。

二人には考えられないようなプレッシャーがその肩にかかる。ロナウジーニョはどうだろう。彼天性の柔軟さでそれを吸収してしまうような感じがする。プレッシャーを彼のやわらかな世界が包んでしまうのではないか。で、いつの間にか観衆はロナウジーニョに任せておけば大丈夫、という気持ちになっている。ロナウジーニョにスタジアムが包まれてしまっているように。では一方マイケルは… 彼はそのプレッシャーを全て受け止める。それを背負ってプレイに反映させる。マイケルはプレッシャーを包み込むようなスタイルではない。そのプレッシャーを身体に蓄積させ、それを一気に爆発させる。まるでプレッシャーが多ければ多いほど能力を発揮するかのように。サッカーとバスケットは全く別の種目なので同じ土俵で語るのは愚かなのだが、ここぞ!といった1対1の場面などでは両者は必ず決める。見ていて面白い。ロナウジーニョはまるで相手がロナウジーニョに操られているかの様に動いて、抜かれてしまう。マイケルはその迫力に相手は金縛りにかかって動けなくなり、抜かれてしまう。抜かれた相手の顔はこうだ。

ロナウジーニョに抜かれた場合、「一体何をやられたんだ??」

マイケルに抜かれた場合、「なんだかすごいものを見た!」

この様に私には見える。

マイケルの精神的支柱は何か。一度だけ崩れた事があった。それは彼の父親が亡くなった時だ。それが原因で一時引退した事もある。尊敬してやまなかった父親の死が彼を変えた。と言うことは今までの彼の精神的支柱というものは父親であったのかもしれない。絶対神の様な偉大な父親が彼の後ろについて、全てを支えていたのか。しかし、それだけでは解明できない。ボクシングの亀田親子の父権とはまた違うような気もする。だが、精神的支柱となれば同じか。その絶対的なバックがある限り自分は大丈夫といった、親子だけでしか存在し得ない保険があるのであれば、それはありうる話なのかもしれない。私はマイケルの精神的支柱を父権と見ている。それはまだ私が父に完全に劣っているからだ。父権に裏付けられた強さ。次は自分自身の強さ。そういった段階があるのであろうか。

マイケルの精神力は素晴らしい。人間として素晴らしい。彼はある日ファンの子供にこう聞かれた。

「ねぇ、マイケルは本当に飛んでるの?」

「ちょっとだけね」

私は彼には絶対にかなわない。それを言われた子供は一生マイケルに心酔するだろう。それを聞いた私もしびれた。

今日のコラムは私にとってもテーマである。プレッシャーに耐えうる心と身体。まだコラムを書き出してすぐの私が感じた事をここに書いた。マイケルの精神的強さは毎年書いていきたい。その人生の節々で感じることも必ずあるからだ。今の私ではこの程度なのだ。もし来年、このテーマに私が挑戦していたら、私の成長具合を見て欲しい。
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by mau46 | 2005-10-12 19:35 | スポーツ

チャンピオン

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私のボクシング好きは父親のあるひと言で始まった。

「ヘビー級という一番重く大きいクラスで、とてつもなく強い小さなチャンピオンがいる」

なんという矛盾だろう。私はすぐに興味を持った。もちろん名前はマイク=タイソン。

彼を初めて見たのはマイケル=スピンクス戦だったと思う。前評判は最強で無敗の挑戦者が史上最強のチャンピオンに挑む、この様なイメージを持って私は試合を見た。確かに小さい。小さいのだが、中身のいっぱい詰まったようなあの上半身は一体なのであろう、それに引き換えてあの細い足。あの独特の太い首。それに対して挑戦者は身体も大きく、すべてにおいて強そうに見える。果たして勝てるのか?

派手なリングアナウンスが終わり、あとはゴングを待つだけとなった。タイソンはびっしり汗をかいている。まだ私にはこの男のすごさがわからない。ただ、今にも弾けそうな筋肉が、解き放たれるのを待っている、それだけは分かった。ゴングが打たれた。

「あっ」

その男はもう飛び掛っている。腕の振りが尋常ではない。今となれば映像を見て詳しく分析し、一挙手一投足を述べることはできる。しかし当時の私には、“落雷があって煙が消えると巨木が倒れていた”その様な感じであった。気がつくとマイケル=スピンクスは膝をキャンバスについていた。タイソンはじっとそれを見ている。私もそのタイソンを見ている。やがて、スピンクスは立ち上がり、試合は再開された、と同時に2度目の落雷だ。今でも忘れない。煙が晴れるとスピンクスは白目を向いて倒れていた。当然試合など出来るはずも無い。試合後スローを見ると、最初のダウンはボディで奪っている。次は出会い頭の右のカウンターだ。衝撃だった。パンチで人間があのようになってしまうのか。その3分間もない試合で私は虜になった。まさに最高のチャンピオンだった。

やがては負ける時もくる。華々しかった初めての東京ドームでの試合から、2度目の来日。場所も同じ東京ドーム。相手は、ジェームス=バスター=ダグラスと言った。どうも序盤からタイソンの動きが悪い。のらりくらりとラウンドを消化している。それに対してダグラスの動きは良い。タイソンがまとめてパンチをもらうことも多くなってきた。タイソンが起死回生のダウンを8回に奪うが不運も重って倒しきれない。10回にダグラスのアッパーをもらい、完全にグロッギーになった時にまとめてパンチをもらい、そのままキャンバスに沈んだ。立ち上がろうとしながら、吐き出したマウスピースを手探りで探し、必至で口に戻そうとしている姿が私の頭から離れない。そのままタイソンは敗れた。タイソンの敗因は数多くある。傲慢さ、ロビン=ギブンス(元妻)、そしてカス=ダマト(タイソンの師)の死。タイソンはダグラスのパンチに敗れたわけではなく、内部崩壊していたのだ。もちろん、その日のダグラスの出来も予想以上に良かった。これも敗因のひとつ。しかし私の中でタイソンが偉大なチャンピオンに返り咲く事は疑っていなかった。実はこの時に一人のスターが登場した。辰吉丈一郎が同じリングに上がっている。これは余談。

その後タイソンは吹っ切れたかの様に復活する。その時の強い相手を選び、粉砕することで再度タイトルマッチへの階段を駆け上る。その間にダグラスは敗れていた。ぶよぶよに太った初防衛戦で敗れた。倒したのはイベンダー=ホリフィールド。東京ドームでタイソンファン以上に失望感を味わった男かも知れない。次戦をタイソン戦に控えたホリフィールドは東京ドームまで足を運んでいた。その目の前でタイソンは敗れたのだ。ホリフィールドはその怒りをぶつけるかの様にダグラスを圧倒した。クルーザを統一し、同階級最強の名を欲しいままにし、満を持してヘビーにあがってきたホリフィールド。復帰戦を今まで以上の強さで駆け抜けるタイソン。やがて何かに操られているかの様に二人は対決の日を迎える。

そのために私は父親を口説き、WOWOWに加入する。時は流れたものだ。私はもう高校生になっていた。タイソンを初めて見たのは小学校中学年、タイソンが敗れたのを見たのが中学生。私は自分の成長と共にタイソンを追っている。

うまくはいかないものだ。二人は共同記者会見も済ませているのにも関わらず互いの道を別にする。タイソンが婦女暴行容疑で収監されてしまうのだ。タイソンの奔放な性格が裏目に出た。実刑判決をくらいタイソンは塀の向こうの人になる。

その後ヘビー級は混沌を極め、群雄割拠の時代に入る。タイソンが戻ってきた頃には、誰がチャンピオンなのか、誰が本当に強いのかわからなくなっていた。皆さんもご存知のようにタイソンはその後チャンピオンに返り咲く。しかし、私にはタイソンがかつてのそれで無いような気がしていた。確かにパンチは強い。しかし、力が入りすぎで身体全体の柔軟さから生まれるパンチでない気がした。ガチガチの硬い体からパンチが出ているように見え、踏み込みのスピードを感じられない。それに違和感を覚えていた気がする。

急転直下だった。タイソンが試合後の記者会見の途中で会場が暗くなり、再び明かりが戻るとそこにはホリフィールドがいた。“Finally(ついに)”と銘打たれた試合が決定したのだ。これには驚いた。初めて見る演出であった。

結果は無残だった。踏み込みの遅いタイソンに対して、ホリフィールドは頭から突っ込む先方でタイソンをのけぞらせた。タイソンとの戦いで逃げる姿勢を示さず、前に出る先方を初めて取ったのがホリフィールドだった。前に向かっていく姿勢は立派だが、度重なるバッティングは目に余った。タイソンがレフェリーにアピールしても、問題視されない。やがてタイソンがカットする。初めて見る光景だ。その後ダウンを奪われ、運命の10ラウンド終盤。連打をもらい、とどめのクロスカウンター。一瞬失神したかの様にタイソンの身体が傾いた。何とか持ちこたえたが、朦朧としたまま11ラウンドへ。もうこのラウンドはおまけのようなもの。タイソンは敗れた。しかし、あのダメージでダウンしなかったタイソンはやはり怪物だった。

ホリフィールドとの再戦はご存知のようにホリフィールドの耳を噛んでしまった。決して許される行為ではないが、試合開始から卑劣なまでのホリフィールドのバッティングがあり、タイソンは開始早々カットして出血していた。これに対するレフェリーからの注意は一切無い。これだけは言っておきたい。その後は勝ったり負けたりを繰り返す。先日、名も無き若いボクサーに敗れたタイソンは引退した。

このコラムのタイトルは「チャンピオン」だ。なぜこのタイトルをつけたか。マイク=タイソンは偉大なチャンピオンだ。それまではしばらくの間タイソンの強打に耐えていれば良いと考えていた対戦者が、ホリフィールド戦をきっかけに怖いもの無しに向かってくるようになった。「タイソンおそるるに足らず!」これが合言葉かの様に襲い掛かる。もうタイソンのチャンピオンの称号はステータスではない。ただの消耗品だ。偉大なチャンピオンを倒した称号を手にしようと、みんなが寄ってたかって奪いにくる。当時チャンピオンだったレノックス=ルイスもそうである。タイソンにのしかかり、試合の終盤辺りでタイソンをノックアウトしてしまった。いままで築き上げ、蓄積されたチャンピオンの名声は、飢えた挑戦者(あえてそう呼ぶ)に削り取られていった。タイソンからボクシングを取れば何も残らない。お金の使い方も知らない。彼はチャンピオン時代に稼いだ、途方も無い財を使い果たしていた。人に裏切られたこともあったろう。

タイソンはチャンピオンの座から転落しても、ただの男に帰れなかった。骨の髄まで若い挑戦者にしゃぶりつかれていった。チャンピオンとはかくも悲しき存在である。ヘビー級のチャンピオンはアメリカ大統領より偉い。そんな言葉を聞いた事がある。その富と名声を手にした代償がこれか。あまりにも悲劇的だ。背負った借金を返すためリングに上がる姿は見るに耐えない。相手はタイソンを倒した称号を得るために向かってくる。それをもう跳ね返す力はタイソンに残っていない。それが繰り返されタイソンは消耗品として廃棄された。タイソン最後の試合で見せた涙。胸にくるものがあった。消耗しきった男から流れた純粋な涙だ。しかし今はK-1がタイソンにむしゃぶりつこうとしている。

チャンピオン時代のタイソンは人間不信だったという。私の中でタイソンは未だに偉大なチャンピオンである。
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by mau46 | 2005-10-10 21:14 | スポーツ


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