あの月に向かって打て



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アーセナルVSブラックバーン 活劇  =Highburyに行くの巻=

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24日にホテルへ着く前が一番の緊張だった。ロンドンのホテルに到着するとレセプションに試合のチケットが届いていた。
安堵した。もしチケットが届いていなければ、何しに来たのかわからないからだ。

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翌日はロンドンを歩き回って(大英博物館とトラファルガー広場の裏の美術館に行って一日潰れたが...)翌日の観戦に備えた。

26日、試合当日は朝から近所のシャーロックホームズ博物館へ行き、そこの警察官と今日の試合に関して話をした。
彼は、熱烈なアーセナルファンだった。サポーターがフーリガン化するかどうかは、対戦相手によるそうだ。今日のブラックバーンでは荒れることは無いと言う。
キックオフは15:00からだが早めに行っておこうと思い、警察官からは大きな嫉妬を受けてシャーロックホームズ博物館を後にする。握手した時に彼に肩を叩かれて、
「俺の分まで応援してくれ、良いゲームになるといいな」
と言われた。まるで私が試合に出るような感じだったが、それほどに彼はアーセナルに思いを寄せているのだろう。

12時半にはアーセナル駅に着いていた。まだあまり人はいない様子だったが、ダフ屋が取り巻いてきた。別にうっとおしくは思わないが、日本語で話しかけられると無性に気分が悪くなった。こんな所まで来て日本語なんて聞きたくない。最初は幾ら位か聞いて冷やかそうと思っていたが、それもする気を無くして彼らを振りほどいた。

小雨がパラつく中、目の前に大きな物体が見えてきた。これがHighburyスタジアムだ。歴史が深い。1913年からここアーセナルを守ってきた世界屈指のスタジアムだ。


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観客からピッチ(グラウンド)までの距離が非常に近い。最前列の観客から選手まで手を伸ばせば届きそうな近さだ。さらに全体的に観客席が低い位置にあるので選手に近い目線でゲームに入り込める。本当に理想の塊のようなスタジアムなのだ。



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そのスタジアムが今シーズンをもって閉鎖される。また、アーセナルの看板選手の一人であるデニス=ベルカンプも今シーズンで最後となる。私は以前からデニスに憧れ彼を尊敬し続けていた。そんなHighburyとデニスの最後の勇姿を脳裏に焼き付けるためここを訪れた。

アーセナルのチームカラーは赤。Highburyに続く道には多くの出店があった。店には多くの真っ赤なアーセナルグッズ。赤い絨毯とは行かないが道の両サイドを赤の壁が囲み、そのHighburyへの栄光の道へ私を誘ってくれているようだった。それは崇高な道で一歩歩くたびに緊張感が走ったものだった。これが世界トップクラスのチームの重厚さなのか。

まだ時間がある。Highburyのアーセナルオフィシャルショップに行き、グッズを購入しHighburyの周りを散策した。実はこの付近は坂の多い閑静な住宅街だ。そこに急に広がったのはアーセナルが新しくホームグラウンドとするEmiratesスタジアムだ。なんと大きなスタジアムだろう。私はHighburyの雰囲気が好きなのでこのEmiratesスタジアムに軽い嫉妬を覚えつつも再びHighburyへ戻った。そろそろ入場できる時間だろう。入り口に着くとまだゲートは開いていなかった。

まだ小雨の降る中タバコをふかしているとゲートが開いた。しかしそれは第1のゲートで、チケットを渡すゲートではない。とりあえず中に入ろうと思って進むと前からSteward(番人みたいな人)がやってきた。手荷物チェックをするためだ。彼はチェックをしながら私に言った。
「惜しい人を亡くした。彼は本当に素晴らしかった。本当に悲しい」
ジョージ=ベストの事を語っている。ベルファストが産んだ天才ドリブラー。彼はすべてのイギリス人に愛された。酒と女をこよなく愛し、酒に溺れて死んでしまった。59歳の若さだった。イギリスでは彼の容態を安否するニュースでもちきりだった。彼が亡くなると国全体が悲しんだ。そのStewardは心から悲しんでいる。彼の肩を叩いて握手して元気付けた。彼はありがとうと言って次の観客の手荷物検査に向かっていった。やがて有名な最終ゲートが開いた。なぜ有名かと言うとその入り口の狭さにある。体を横にしなければ入れない。その狭い中に人がいてチケットの半券をもぎ取る。不正にダッシュして入場することを防ぐためだ。そこを抜けて入場した。


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中のStewardに私の座席の位置を聞き席に着いた。ピッチを全体に見渡せる非常に良い席だ。ピッチの近くに行く。ここで世界一レベルの高いフットボールが繰り広げられると思うと、また新たな緊張感が出てきた。

もうすぐそのゲームが始まる...


つじゅく.... (ずるい???)
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by mau46 | 2005-11-30 01:16 | スポーツ

今日から

ちょっくらロンドンに行ってきます。
アーセナル戦を見に行くために。

敬愛するベルカンプを応援してきます。

帰国は29日の予定なんで、また報告します。

実況中継はありません。
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by mau46 | 2005-11-24 07:51 | スポーツ

大阪府立体育館燃えゆ

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11月22日、小松選手の復帰第2戦が行われる。
東洋太平洋フライ級王者決定戦である。
私は本日、大阪府立体育館に足を運ぶ。

やはり、小松選手への思い入れが強いため、どうしても豪快に勝ってもらいたいものである。以前、小松選手は飲んでいる席でこう言った。
「もう一度ポンサクレックとやりたい」
彼はそれに向かって一歩づつ階段を登っていこうとしているのだ。

最近の日本におけるボクシング事情は、小松選手と同じフライ級の亀田兄弟の動向ばかりがクローズアップされている。
確かに彼のビッグマウスは視聴者の目を惹きやすい。
「チャンピオンになってから言え!」
などと、亀田兄弟のそれに反発する人も多いであろうが、筆者はそれを”良し”と見ている。

確かに「わかっている人」にとっては、目障りに見えるのかもしれない。実績を良く見ると、ほとんどタイ人ボクサーばかり戦っている。
しかし、彼らはボクシングをここまで注目させた功労者であることは間違いない。

さらに言えばビッグマウスはボクシングにとって重要な”作戦”でもある。例えば本場アメリカだと、試合前の調印式などで対戦者同士で殴り合いなどが行われる。要は因縁をつけて興行を成功させるのだ。格闘技には、善玉と悪玉が必要である。有名な選手で言えば
マイク=タイソンは悪玉だった。しかし、レイプ事件後に復帰した時は何故か善玉で復活した。非常に違和感があったことを憶えている。すぐに悪玉に戻ってくれたので安堵したが... 亀田兄弟は、どちらかと言えば悪玉だ。それを”悪い”と言っているわけではない。役割なのだ。

私が小松選手に望むことは、善玉としてチャンピオンになってもらいたい。常にクリーンなファイトで華麗に勝ってもらいたい(小松選手がダーティーと言っているわけではないですよ!)。そこで互いに世界チャンピオンになってもらい、ビッグマウスの亀田選手と小松選手で、世界統一戦といったカタチで対決してもらいたい。

アメリカでは、世界タイトルマッチの重さより、対戦者同士の名前を重んじる傾向にある。
つまり、タイトルマッチのブランドより、”誰と誰が戦う”という謳い文句の方がお客さんが入るのだ。これはどういうことか。アメリカの観客の目が肥えているのである。それには数多くの名試合を行ってきた土壌があるからだ。
日本にはその土壌が育っていない。以前、コラムで述べたようなボクシングに対するとっつきにくさがある。それを打破するためにも、小松選手と亀田選手に最高の舞台で拳を交えてもらいたい。

私もこのコラムでここまで煽っているのだ。
今日負けちゃうと、何にもならないんやからな!
勝ってくれ!

最後に・・・ 

特に大阪府寝屋川市の方々! 地元民としてパワーをあげてください!
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by mau46 | 2005-11-22 12:39 | スポーツ

大阪と南米

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今更ながら、南米のサッカーを見ていて感心する。その選手層の厚さである。

例えばアルゼンチン。数年前までは”サビオラ”ショックがあった。その次は”テベス”ショック。そして現在は”メッシ”ショックだ。よくもまぁこれほどの若い人材が育つものである。また、最近は南米にも変化が現れ、なにもスラム出身の選手がハングリーさを武器にして成り上がっているわけでもなさそうである。例えば、ブラジルのロナウジーニョ=ガウーショは割りと裕福な育ちである。しかし、それを差し引いても南米にはすばらしい人材が育つ土壌がある。

日本には残念ながらその土壌はまだ肥えていない。

しかし最近、あることを思いついた。その土壌である。次々に有能な人材が生まれてくる土壌を考えていると、筆者の住む大阪がそうではないか。東京に住んだ経験もあり、ひしひしと感じたことなのであるが、やはり大阪(近畿)という土地は日本の中で特別である。つまり独特な”笑い”の文化があるのだ。関東以東の地域にはそれが薄い。大阪のTV番組も独特でお笑いがベースになっているものが多い。それを見て育った子供は自然とお笑いが身についている。基本的に近畿では面白い人に人気があるのである。上方のお笑いは歴史が深い。例えば落語などは300年前の江戸時代中期に産声をあげた。江戸でも落語はあったが、すたれていき、上方で発展を遂げることとなる。こうやって上方の庶民に根付いた落語はいつしか上方特有の文化になっていくのだ。これが土壌ではないであろうか。近畿以外の人にはある種とっつきにくい文化である。この歴史は簡単に真似できるものではない。厳しい観衆の目にさらされ、幾度となく自然淘汰され、洗練されたものが現在の上方のお笑いなのである。

南米にはこの上方お笑いのような土壌が、サッカーとして根付いているのではないか。大阪では面白い人はたくさんいる(注:面白くない人も星の数ほどいる)。南米にはその肥沃な土壌によって育った有能なサッカータレントが多くいる。この歴史深いタレント工場に日本が追いつくには相当な時間がかかる。歴史が違いすぎるのだ。

このコラムを読んだ方は、

「これでは日本のサッカーに有能なタレントは出ないのか!」

とおっしゃるかもしれないが、現実そうであると思う。

確かに中田英寿のような本当に素晴らしいタレントもいる。しかし単発である。むしろ、中田英寿を代表から追いやる程の存在感を持った選手は現れているであろうか。いずれは中田英寿も引退する。それまでに彼にうって代わる若い選手がいるのであろうか。

日本の野球の技術が本場アメリカの技術に追いつくまで(現在は、ほぼ同等に勝負できると仮定して)、ざっと伝わった明治時代から平成まで時間がかかっている。しかし今は当時と違って情報化の時代であるし、交通手段も飛躍的な進歩を遂げている。日本の選手に海外で経験を積ませることによって、その時代の差をぐっと縮めることはできると思う。サッカーファンもマスコミももう少し辛抱強く日本のサッカーを見守ることが必要だと思う。2002年W杯の結果は一度忘れたほうがよい。あれは別物だ。

この土壌に関して、大阪のお笑いと南米のサッカーの文化を比べると、理解しやすいと思いませんか??

軽い内容のコラムにしようと思ったのだが、思いのほかサッカーに熱くなってしまった。ご容赦願いたい。
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by mau46 | 2005-11-17 17:04 | スポーツ

英語とスポーツ in Japan

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私は英語が大嫌いだ。心の底から英語が大嫌いだ。しかし、アメリカに留学して英語を学んできた。そんな英語は大好きだ。

矛盾した話だが、何を言いたいかと言えば、私は日本の英語教育が大嫌いなのである。正直言って意味が無い。そもそも英語と言うのは言語であって、書き言葉ではない。また、話せもしない人間が教えているのもおかしい。サッカーのできない人がサッカーを理論だけで教えることができるのであろうか?それは不可能である。最初から間違った基礎を教えてしまい、いざ本番となったときに後戻りができないような状況に陥る可能性は非常に高い。

筆者がそれを痛感したのは留学に行って最初の時である。まずはクラス分けをするためにテストがあった。前半文法、後半ヒアリングや作文であった。こんな事を言いながら、実は筆者は英語の成績が良かったので、テストの前半は非常に良く解けた。しかし、後半は慣れていないせいもあってかボロボロだった。後日クラスが決定されると、筆者は中級レベルのクラスに落ち着いた。クラスにはアジア人とヨーロピアン・南米が半々の割合くらいだったと思う。同じようなレベルの人間かと思っていると、それは甘かった…

クラスが始まると、ほとんどヨーロピアン・南米が授業をリードしている。彼らはまくし立てるように話し、みんなを引っ張っていく。どう考えても同じレベルの英語ではない。圧倒的に彼らの方が実力が上なのだ。みるみる周りとコミュニケーションをとっていく。しばらく考えて謎が解けた。我々アジア人は、前半の文法で点数を稼ぎ、ヒアリングなどで点を落とした。ヨーロピアン・南米は、文法はともかく実務としてヒアリングなどのコミュニケーション部門で点数を取り、文法で点を落とした。つまり平均すると同じクラスになってしまったのだ。アジア人は英語を学問としてとらえ、ヨーロピアン・南米はコミュニケーションとして英語をとらえているのだ。圧倒的な差ではないか!これには参った。ほとんど我々アジア人はクラスの中心に入れないではないか!しかし私はこれらの障害をクリアできた。その理由は2つ。
① 運の良い事に父の仕事の関係上、海外に行く機会が多くコミュニケーションをとる事に抵抗が無かった
② 中学の時に通っていた塾で、生きた英語を教えてくれた恩師がいた。
これである。私は日本の学校で学ばされたモノをベースとして活用せずに、自分の経験、そして生きた教材をベースに英語を学んだ。それがなければ、親に出していただいた貴重な留学費用をドブに捨てる結果になってしまったかもしれない。

なぜ筆者が延々と自分の英語を学んだ話をしたかと言えば、日本のスポーツにも当てはまるような気がしたのだ。

先日、テレビでサッカーを見ていた。ロナウジーニョ=ガウーショというブラジル代表の選手が飛んできたボールを自分の背中に当ててパスをした。世界中の人間が度肝を抜かれたプレーだったと考えられるが、試合後彼は飄々と語った。
「練習でやってたことだよ」
この途方も無く広いイマジネーション、スペクタクル、そしてファンタジー。彼は練習の中でそれを行っていたのだ。残念ながら、日本のスポーツ選手でこういったイマジネーションを持った選手が出現することは、本当に稀有である。それは私が痛感した日本の英語教育とヨーロピアン・南米の連中との壁に通ずるものがあるのではないか、そう思ってこのコラムを始めた。
確かに日本代表はFIFAランキングでは、2005年10月の時点で16位である。クロアチア(19位)、ウルグアイ(17位)、そしてカメルーン(23位)よりも上位なのだ。しかし、もし彼らと直接対決することがあれば結果はどうなるだろう?それは言わずとも知れたことである。

確かに日本のサッカーはレベルも高くなり、世界と勝負させてもらえるまであと一歩のところまできたように思える。しかし、選手が誰が誰なのかわからない。ハッキリ言えば突出したものがない。目立つのは中田英寿、中村俊輔くらいであろうか。野球で言えば、最近こそ出てきたが個性的なフォームを持った選手がメジャーに比べて少ないとも思う。

これは日本の英語教育とヨーロッパ・南米の英語教育と重なるのではないか。日本は文法などのカタチから入り、ヨーロッパ・南米は実務で入る。文法に振り回される日本人ではなく、彼らはコミュニケーションとして英語を操っているのだ。また、ヨーロッパ・南米はその実務の中から遊びを見出し、それを試合に反映させる。その決定的な差を埋めない限り日本になかなか勝ち目は無いと筆者は思う。

ここまで書くと日本の批判ばかりで意味の無いコラムになりそうだから筆者の考えを示すと、筆者がその決定的な差を埋めたのは、先に挙げた2つの例だった。正直、日本の英語教育と同じではまったく通用しないので、抜本的な改革が必要だと思った。つまりこうだ。
① 幼い頃からサッカーを海外で学ぶのは難しいが、日本の常識にとらわれないスタッフと外国人スタッフを中心としたチームを日本で築き上げる。
② 今までのトレーニングに対してのこだわりを捨て、本当の遊び(押し付けでない)も盛り込んだカリキュラム中心にその中からプレーの閃きを引き出す。
③ 上下関係を無くす。←人に対するリスペクトを排除せよと言う訳ではない。日本の妙な奴隷制度の様な立社会を排除する意味だ。
以上の考えがある。
もちろんこれがベストとはとても言えない。しかし、サッカーに限らずこれから日本は世界を相手に戦っていく。今までのやり方を一度リセットして、根本からフィジカル・メンタルをつくりあげる必要があるのではないだろうか。

最近、公園でボールを蹴っていると、たくさんの子供がサッカーをしているのを見る。筆者の学生の頃に比べると格段上のテクニックがある。この子供達が型にはめることなく自由な発想を持ったプレイヤーになってもらいたいと切に思う。
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by mau46 | 2005-11-10 08:30 | スポーツ

“高校生らしさ”ってなんだろう

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最近、夏前になると新聞の投書欄で目にするのが、高校球児に関する事だ。
『眉毛が細い』
だの
『高校生らしくない』
というのが目に付く。

では、“高校生らしさ”とは何か?それは投稿者や有識者がつくりあげた偶像なのだ。「こうあって欲しい」「私の高校生時代はこうだった」。これらの色あせたアルバムに現実の高校生を当てはめているのだ。なるほど、当時は物もなく、不自由な暮らしをし、ファッションに手を伸ばす余裕などなかったのかもしれない。しかし、その投稿者が現代に生まれていたら、彼らも喜んでその格好をするに違いない。

有識者による貴重なアドバイスということは非常に理解できる。しかし、考えていただきたい。私は前のコラムで日本は過保護だと言った。有識者の優しさからくる高校球児へのアドバイスだろうが、当の球児や若者はそれをどう思うか。反発の材料としかとらないのではないか? 正直、筆者も今の高校球児の眉毛などは格好悪いと思う。その格好悪いのを全国のお茶の間の皆様にさらしているのだから。しかし、恥をかいているのは彼らなのだ。それを見て不快に思って新聞などに投稿する程であろうか?笑ってやればいいのである。人に注意されて気づくよりも、自分でその恥ずかしさに気づいた時の方がショックは大きい。皆さんもそんな経験はないだろうか?昔の写真を見て、「こんな恥ずかしい格好をしていたのか!」と思う時を。

話が飛躍し過ぎかもしれないが、「らしさ」ということに焦点を向ければ、昔は野球のカーブですら「スポーツマンらしくない」と言われた時代があったのだ。つまり、“スポーツマンたるもの正々堂々と真っ直ぐで勝負しなければならない”という感情があったのも事実だ。では、“高校生らしさ”を言うのであれば、変化球も禁止にすればどうだろうか。正々堂々として非常にさわやかである。また、変化球は投手の肘に大きな負担をかけるため、健康上の問題もクリアする。さらに、“高校生らしさ”を追及すれば、まだフィジカルもできていない“高校生らしい”身体の彼らに、炎天下で連戦させる試合のスケジュールの組み方はいいのであろうか?有識者が自分達の都合の良いようにコントロールしているだけではないか?

いつも私のコラムで言う言葉だが、スポーツは大人のおもちゃではない。なぜ子供の野球離れが進んでいるのか。それは時代に乗り遅れた過去の産物が、夢見てつくりあげた世界に子供を埋没させようとしているからだ。丸刈りの件がある。有識者は、
「本当に野球が好きなら、丸坊主も気にならないはずだ」
と考えるだろう。また、
「学生時代の数年間我慢すればいいじゃないか」
と紋切り型のセリフを吐く。

何も筆者は、高校生の肩を持っているわけではない。しかし、大人がたった数年間ととらえている時間は、高校生にとっては非常に大切な時間なのだ。かけがえの無い二度と帰ってこない時間なのだ。彼らはオシャレに目覚め、色んな試行錯誤も繰り返し、恥をかきながら自分を確立していく。それが過去の偶像に当てはめるような行動でそれを奪っていいのだろうか。厳しい辛辣なアドバイスを送るのも優しさなら、子供がストーブに触って初めてその危険を知るように、上から見守ってやるのもまた優しさではないであろうか。

筆者が思う、“高校生らしさ”は恥ずかしいことを堂々とできる勢いでもあるし、何にでもチャレンジできるバイタリティである。


あとがき: でもああいう新聞に投稿する人ってちょっと特殊ですよね。日ごろのうさ晴らしを投稿することによってしているのか、何かの団体の後押しがあるのか(これってタブー??)。


P.S. そろそろ暑くなってきましたので、高校野球の話を始めました(11月9日談)。すいません。思いつきでコラム書いてるもので…
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by mau46 | 2005-11-09 10:52 | スポーツ

ファンとの距離

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私は以前、アメリカに住んでいる時に何度かNBAを観戦しに行った。留学生だったのでお金もそれほどあるわけも無く、コートからは相当遠い位置で観戦していた。あれは確か我がゴールデンステート ウォリアーズ対デトロイト ピストンズだった。

前半は所定の座席で声援をしていたが、友人の韓国人が、
「下の階に行ってみようぜ!」
と、悪の誘いをしてきた。
ビビる台湾人をおいて我々は下の階へ走っていった。

もちろん下の階はコートが良く見えるが、価格も高い。しかし、我々は監視員の眼を盗んで、ゲートを突破した(良い子のみんなは真似しちゃいけないよ。地獄に堕ちます)。ゲートを駆け抜けて我々の前に広がったパノラマは素晴らしい。パッとまぶしい光に照らされ、会場が我々を招いてくれる。その明るさに見とれていると、『キュッ!キュッ!』という、バスケットシューズがコートとこすれる音がする。そう、世界で一番バスケットが上手い連中が私の目の前にいる。我々は空いている席を探した。その見つけた席は本当にリングの裏で、コートから3メートルもあるかないかの場所であった。ビールを飲むのも忘れて私たちはプレーに魅入っていた気がする。正直内容は憶えていない。結果は我がウォリアーズのボロ負けであったことは間違いない。ただただ私たちはバスケットリングの上での攻防、彼らの声、飛び散る汗、吐く息、きしむコートの床、そして彼らの熱さに圧倒されていた。おそらく我々の顔は少年の様な顔になっていたに違いない。ちなみにやはり輝いていたのは、グラント=ヒルだった。手の届くところにあの選手がいる。

メジャーリーグを観戦したときもそうだった。まず驚いたのは家族で観戦している人がおおい。また、バックネット以外にネットが存在しない。つまり、観戦しているファンと、プレーする選手の間に垣根がないのだ。さらに日陰に当たるバックネット裏では、老夫婦がスコアブック片手に楽しそうに話していた。アメリカ人にとって野球は家族で楽しむものなのだ。子供は試合前に、選手と話している。プロ野球選手と会話をしたことは、その少年は一生忘れない宝物だろう。ひょっとすると、プロ野球選手を彼は目指すかもしれない。それくらい選手を身近に感じることができるのだ。

確かにファウルボールが飛んでくれば観客に直撃する可能性は高い。しかし、野球を観戦しに来ている以上、そのリスクは含んでいるのだ。しかし、怪我などをすれば裁判沙汰になるのであろうが… 日本は過保護の気がする。どこでもかしこでもフェンスを置く。話はそれるが、私がオランダに旅した時に運河をたくさん見たが、そこにフェンスなどの柵はほとんとなかった。その柵の無さが非常によい雰囲気・景観を醸し出していた。日本だと、子供が運河に落ちてしまった場合、
「柵がなかったからだ」
と騒ぎ出す、自分の管理不足も省みない輩の様な親が多いのだ。しかしオランダもアメリカも、運河に落ちた場合、ファウルボールが当たった場合、それは自己責任の下の話なのだ。
特に野球を観に行っていて、ボールの行方も見ていないこと自体が理解に苦しむのだが…

私が考えるスポーツの浸透とは、プレイヤーと観客との距離感である。非常に距離の近い例としてWRCラリーがある。これは猛スピードで山などの自然に囲まれたコースを車が駆け抜けてその速さを競うレースだが、コースの沿道には多くの観客がいる。いつラリーカーが突っ込んできてもおかしくない場所だ。しかし彼らは観戦している。このレースの良さは、ラリーカーが転倒したり、砂にタイヤを取られて動けなくなったりした場合に、そこにいる観客が車を押すなどして協力して助けることがあるのだ。もしWRCに関心/興味の無い読者がたまたまそのラリーに観に行っていたとしよう。目の前でラリーカーが転倒した! 観客全員が走って車を助けに行く。おそらくじっとはしていられない衝動に駆られるであろう。また、力を合わせて車を押した時のラリーカーに触れたその感触。その人は一生WRCの虜になってしまうに違いない。

選手を身近に感じることができる。選手に触れることができる。そんな経験ができれば、大人も子供も関係なく、そのスポーツの虜になってしまうのであろうと筆者は考える。プロと呼ばれるスポーツは選手と観客との距離を縮めるべきだと思う。距離感を感じた時が、ファンが離れる時なのである。

何の説明も無いチーム内の人事異動、不可解な無銭トレード、リタイアするとその車を収納しすぐにシャッターを下ろしてしまうチーム、JOC、そして横綱審議会。それがファンとの距離を広げているように筆者は考える。なるほど、透明すぎるものも面白さにかけることは確かだ。しかし、開かれたスポーツにこそ明るさを感じることができると考えるのは筆者だけであろうか。スポーツは子供の夢である。スポーツは大人のおもちゃではない。例えそれが、野球であってもモータースポーツであってもである。

他にもっと距離の近いスポーツはありますか? そんなスポーツがあれば教えてもらいたい。そうやって、スポーツを拡げていけば、いいと考える。
特に、アメリカで放送されているボーリングの試合を見たことがある人は書き込んでもらいたい。日本の放送の仕方とはまるで違うので。いかに観客と近い位置にあるかが非常に良くわかると、筆者は考える。
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by mau46 | 2005-11-07 13:06 | スポーツ

おしゃれに決めよう 阪神帽!

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私が小学校の頃はいつも阪神帽をかぶっていた。あの黒と黄色のカラーのころから白の縦縞も。帽子の後頭部にはもちろん“31”と書いていた。もちろん憧れの掛布雅之!! 中には巨人帽をかぶっているクラスメイトもいて、阪神ファンで襲撃したものだ(子供のすることですから…)。多くの男の子は野球帽をかぶっていたので、だいたいどこのファンか察しがつく。同じマンションに住んでいた友人がロッテ帽をかぶっていたのには驚いたが… ちなみに彼の弟は西武帽だった。当時の野球事情を考えるとすごいことである。彼らは熱狂的なパ・リーグファンだったのだ。私はある意味、彼らをリスペクトしていたのを憶えている。

しかし、最近は野球帽をかぶっていない子供が増えた。たまに阪神帽をかぶった少年を見かけると「よしよし」と声をかけたくなってしまう。変なおっさんと思われると困るのでしないが。なぜだろうか。

最近は子供にも帽子の選択肢が増えたのだ。我々が幼い頃(筆者は29歳)は、野球帽しかなかった。一度、ゲームセンターあらしのインベーダーキャップが欲しくて駄々をこねたことがあるくらいのものだった。

阪神ファンでも阪神帽をかぶっていない人が多い。阪神帽をかぶるのは恥ずかしいことなのか?? メジャーリーグの帽子をかぶるのはかっこ良くても、日本のプロ野球の帽子をかぶるのはかっこ悪いことなのか?最近阪神帽をかぶっているのを見かけたのは大阪駅付近にいるホームレスだった。その近くにはメジャーの帽子をかぶったアメリカナイズドなホームレスもいたが…

私はラフな格好の時、阪神帽をかぶったりする。黒がベースでTとHのエンブレムが非常にカッコイイ!アメリカ人は、自分の応援するチームの帽子をよくかぶっている。

疑問に思うのは日本の野球帽がかっこ悪くて、メジャーの野球帽ならかっこ良いと、とらえていそうな風潮だ。誰かおしゃれに阪神帽を着こなすブログやサイトをお持ちの方はいませんか?モデルがかっこ良く阪神帽をコーディネートすればいいのだよ。阪神帽はかっこよろしいです!

P.S. 今回は軽い内容ですいません。
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by mau46 | 2005-11-02 10:36 | スポーツ

マイナースポーツにはブレインストームを

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世の中にはメジャースポーツとマイナースポーツがある。
メジャースポーツは日本でいうと、野球、サッカー、相撲、そして柔道だろうか。もちろんその他にもあるが簡単に挙げられるのはこれらか。日本ではなかなかマイナースポーツが浸透しにくい。仮に浸透したとしても、一時のブームで終わってしまう。要は熱しやすく、冷めやすいのだ。そのような国民性を加味してもサッカーはうまくなじんだと思う。それは、世界最高のメジャースポーツという後押しがあったからだ。ワールドカップがなければ、サッカーはやはりマイナースポーツで終わっていただろう。

では、私が考えるマイナースポーツとは何か。“わかりにくさ”である。
ハッキリ言って、マイナースポーツはわかりにくい。

ひとつ例がある。
昨年、ラグビー日本選抜対イタリア代表を長居競技場まで観戦しに行った。正直私はラグビーにそこまで詳しくはない。しかし、本物のラグビーを見てみたいと思い足を運んだのだ。競技場はガラガラ。おそらく私の声は簡単にピッチ上の選手まで届くであろう。その中で淡々と試合は行われた。おそらく観戦に来ているのは、“わかっている人”なのであろう。怒ったり、ほめたり、野次を飛ばしたりしている。私はそれを最初はほほえましく見ていた。
「こういったファンがちゃんとラグビーを支えているのだな」
と。
しかし、野次を一生懸命聞いていると、途中で何を言っているのかわからなくなってきた。つまり、専門用語が飛び交うのだ。
「めくれ!」
「余ってる!」
ラグビーではレフェリーが試合をよく止める。反則があるためだ。しかし、私にはその反則がどのようなものなのか、悪質なものなのか、軽いものなのかがわからない。また、どうすれば反則になるのかわからない。これではラグビー初心者は完全に取り残されてしまう。

マイナースポーツが世の中に浸透する秘訣は、“わかりやすさ”である。
以前、私はモータースポーツに関してコラムを書いた。レギュレーションなど規則に縛られているモータースポーツはマイナーの域を脱することはできないだろう。また、F1とインディの対決も提案した。“わかっている人”にとっては、意味のない対決なのかもしれない。また、興味の無いことなのかもしれない。しかし、ヨーロッパを主戦場とするF1とアメリカを主戦場とするインディの対決。これほどわかりやすい図式はあるだろうか?互いの地域に住む子供はもちろん、自分のいつも見ている車を応援する。自分の応援する車が一番速いと信じているから。そこに、レギュレーションの違いなど関係ない。互いのモータースポーツが速さを追求しているのであれば、目指すものは一緒なのだ。私が何を言いたいかと言えば、レギュレーションやスペックなどという大人の理屈では子供は納得しないのだ。スポーツは大人の都合でコントロールするものではなく、子供にどれほど夢を見させてあげるかに尽きるのだ。プロ野球のオールスターがどうして始まったかを読者はご存知だろうか?ある少年の、

「カール・ハッベルとベーブ・ルースの対決が見たい」

という一通の手紙から始まったのだ。

その少年の夢を叶えるためにオールスターは存在する。
それは大人の我々が言ったとしたら、利害関係が顔を出して実現不可能な事だったかも知れない。

私が定義したいのは、
『どんなつまらないことでもいいから、アイディアを持ち寄ってスポーツを盛り上げよう』
という事である。

“ブレインストーミング”という言葉がある。これは何でもいいからアイディアを吐き出して、そこからストーリーの構築を行うというもの。日本人はこれを履き違えている。日本のブレインストーミングは本来のそれではない。結局は他の意見を押さえつけてしまうような結果になってしまったり、力のあるものの意見がまかり通ってしまったりするのがオチだ。本来のブレインストーミングとは、相手の意見に対して反対意見を言わない。人の意見に対して自分の発想をつなげていく。そうすることによって、物怖じしない意見を出すことができ、より建設的に物事が運ぶのだ。

あえて、子供の視線に戻ってスポーツをとらえてみませんか?
「こんなんできたら、楽しいやろうなぁ~」
って言うのを話し合いませんか?

例えば、
「野球でワールドシリーズの優勝者が最強って誰が決めた?? それを言うなら、女子ソフトボールのオリンピック金メダルチームを倒してから言えよ!」
なんて思ったりしません?
「セパタクローとセレソン(サッカーブラジル代表)がサッカーテニス(サッカーボールを使った足で蹴るテニス)をしたらどっちが勝つの??」

とか。
なんだかワクワクしてきません??
これはあくまで例でやみくもに異種格闘技をしろといっているわけではない。
あちらを向いている人をこちらに向かせるため、本当のその競技の強さを知らしめるために考えたひとつの提案だ。
しかし、こんなことを考えてたら、ラグビーの初心者が取り残されるような運営の仕方はなくなると思います。
ラガーシャツに襟がついているのは、試合後のパーティーにそのまま出席できるためにあるんですよ(今は誰もそんなことしないが…)。
じゃぁ、試合後にパーティーを行って、そんな様子を映像で流せばいいのではないか。
話題性あると思う。バラエティで茶化すのもひとつだが、最強を求めていくのもひとつだと、筆者は考える。
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by mau46 | 2005-11-01 18:06 | スポーツ


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