あの月に向かって打て



背番号00の男

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背番号00の男



私は熱狂的な阪神タイガースファンだ。元々は母親が熱狂的で、「巨人ファンはうちの敷居をまたがせへん!」と言うのがモットーだ。友達を連れて行くと必ず「どこファン?」と訊ねている程だった。

1985年だった。母親は泣いていた。21年ぶりの阪神優勝。私も狂喜乱舞した。小学校4年生だった。阪神優勝の立役者は誰が見てもバース。私は掛布の大ファン(私の中のスーパースターは死ぬまで掛布)であったが、これは仕方がない。バース以外に考えられない。そのバースがタイガースを去る事になった。1988年のこと。確か、子供さんが非常に重い病気を患い、その為に帰国したバースをタイガースが解雇したのだ。私は憤った。あれほどの功労者に対して、その仕打ちはあまりにもあまりではないかと。その頃私はインドネシアにいた。父がインドネシアのバンドンに単身赴任しており、夏休みに遊びに行っていたのだ。数日間遅れて届く新聞を見ながら激怒していた。日本ではどんな騒ぎになっているのであろう。知る由もなかった。手段がないのである。常にタイムラグのある情報を我々は得ていたが、ある日の新聞を見て驚いた。

「バースに代わる助っ人来日!」

名前をジョーンズという。左投げ左打ちのバッターである。背番号は何と“00”聞いたことも無いような番号である。心配だった。それでなくても阪神は低迷している。どうなるものか… インドネシアにいながら、ジョーンズの活躍を期待した。そんな淡い期待は簡単に崩れ去る。

シーズン途中から突然掘り込まれたジャパニーズベースボール。簡単に活躍できるほど甘くはない。おまけに肩も痛めていたらしい。バースの次に来た外国人というだけの評判で、彼は阪神タイガースを後にした。

それから10年近く時間が流れて、私はアメリカへ留学していた。ある日、同じ大学のアメリカ人が友達同士で集まって、スーパーボールをTV観戦しようと言うので、私は遊びに行った。ほとんどパーティーのような状況で、皆でビールを飲みながらスーパーボールを見ていた。試合が終わって私はタバコを吸いにテラスに出た。タバコを吸っていると、近くに立っていた女性と目が合った。歳は同じであろうか。普通に挨拶した。彼女は私に日本人かどうか聞いてきた。日本人だと答えると、彼女は嬉しそうに「私は幼い頃、日本に住んでいたのよ」と言う。

「日本のどこに住んでいたの?」

「コービーよ。知ってる?」

「それはコウベのことかな?」

「そうそう!コウベよ」

そんな会話が繰り広げられた。神戸市に住んでいたらしい。おもむろに彼女はこう聞いた。「あなたは阪神タイガースを知っている?」おっと誰に向かってそれを聞いているんだ?「僕は阪神タイガースに全てを捧げている」そう答えた。彼女は手を叩いて喜んで、驚くべき事を言った。

「私のパパはタイガースの選手だったの!」

一瞬私の表情が固まった。

「ジョーンズって選手知ってる?」

「知ってるもなにも… 背番号は00でしょ?」

「そうそう!」

「左投げ 左打ちでしょ?」

「そうそう! あなたすごいわ!」

なんてことだ…  あのジョーンズの娘ではないか… 心の中でこう呟いた。

「故障しているのを隠して来日したくせに…」

とてもそれは言えなかったが、彼女は僕がそこまで自分の父親を知っていた事に、相当驚いていた様子だ。私も相当驚いた。まさか留学先で、元阪神の選手の娘に会えるとは。しかもあのジョーンズ。

その後、皆でバスケットボールをしたのだが、さすがはジョーンズの娘。運動神経は並々ならぬものがある。一人存在感を見せるプレーで輝いていた。

インドネシアで見た新聞の中のジョーンズと、アメリカで会ったジョーンズの娘。奇妙な取り合わせだが、負け続けても浮気せずにひたすら応援し続けた私へのご褒美だったのであろうか。

次はどこかの国で、ディアーの娘に会うかもしれない…
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# by mau46 | 2005-10-07 19:46 | スポーツ

エスペラントとスポーツ

トラックバックカテゴリ:スポーツ偉大なるエスペラント博士ことザメンホフが産み出した、“エスペラント語”。少し皮肉めいた書き方ではあるが、一応世界共通語である。使っている人は見た事がない。私の視野が狭いだけか?? 今回は別の世界共通語を話したい。

仕事で帰りが遅くなったり、遊びに行って電車で帰れなくなったりした時にタクシーを使う。タクシーに乗り込んで、最初に私が口を開く言葉は何か? 思い返してみると、一番多いのが、「おっちゃん、今日阪神どない?」だと思う。大概の運転手は「今日は負けてしもうたわ」や「今日は勝ったで!」。この会話から野球談義が始まる。最近の野球界はどうだ、阪神はこのまま強くなっていくのか、など自宅に着くまでそのプチ討論会は続く。

学生時代に留学させてもらった事がある。寮での生活だったが、そこにはイタリア人がいた。彼の名前はロベルト。イタリア人ということだけしか知らない。ある日キッチンでたまたまロベルトに会った。私がひと言「カルチョ(イタリア語でサッカー)は好きか?」と聞いた。彼はこっちを向いている。続けて私は、「僕はカルチョが好きだ。特にイタリアではラツィオ(当時は)が好きだ」と言った。その瞬間には私はロベルトに抱きしめられていた。「お前は私の友だ!僕はローマ出身だ!」イタリアの名門クラブラツィオはローマのチームなのだ。何年も昔から友人のように会話は弾む弾む。それからというもの、ロベルトは私を見かけるたびに、どんなに遠くにいても声を掛けてくれる。カルチョが私達を結んだのだ。

ある日、ロベルトが寮でピッツァパーティーを開いた。どうやらイタリア人だけで開かれている様子で、他の寮のイタリア人も多く集まっていた。そこに私がロベルトから特別に招待を受けて参加させてもらった。ロベルトが皆に手作りピッツァを振る舞い、私も手伝った。その中でロベルトが皆の注意をこちらに引いた。いきなり私の肩を抱きながら、皆の前でこう言った。「こいつはカルチョにクレイジーだ! 嬉しい事にラツィオのファンだ!」その場は何故か異常に盛り上がった。皆が私にワインやビールを注ぎに来てくれたり、話に来てくれたりした。ローマ出身の女の子と仲良く話していると、横を歩いていた人が僕に「お前とは話さないよ。俺はミラノ出身だ。」と笑いながら言った。どう見ても、めちゃくちゃカルチョトークをしたそうであったのだが… 次の日から学校に通うと、ほとんどのイタリア人が僕を見つけると話しかけてくれた。自分がイタリア人になったかの様な一体感は非常に心地良かった。

私が滞在していた寮は留学生が多く集まる寮で非常に多国籍だった。例えば、イタリア人・韓国人・トルコ人・台湾人・ドイツ人・香港人・コロンビア人・ベネズエラ人・ブラジル人などであった。それほど大きくなかった寮に、よくもまぁこれほどの人種が集まったものだ。面白かったのはドイツ人とコロンビア人だ。両方とも女性で、当時の私のイメージだとサッカーにはあまり興味は持っていないような気がしていた。しかしそれは甘かった。

リビングでテレビを一人で見ていると、コロンビア人の女の子が入ってきた。ちょうど私はテレビでサッカーを見ていたので、「好きなチャンネルに変えてもいいよ」と言った。しかし彼女はサッカーが見たいという。ここからサッカー談義が始まった。私は94年アメリカワールドカップの話をした。ワールドカップ予選で彼女の国コロンビアは、あのアルゼンチンを敵地で5点を奪い沈黙させた。これでコロンビアは一躍ワールドカップ優勝候補に挙げられた。しかし、悲劇は起こった。コロンビアはたった一人の男に夢を粉砕された。ゲオルゲ=ハジは東欧のマラドーナと呼ばれるルーマニアの英雄だ。ハジに粉砕され、地元アメリカにも敗退したコロンビアは失意のうちに帰国する。悲劇はそれですまなかった。アメリカ戦でオウンゴールをしたエスコバルが帰国後、何者かの手によって射殺されたのだ。このような流れの話を延々と我々は話した。彼女の親戚はコロンビア代表のGKだと言う。リザーブの選手だったので名前は忘れてしまった。彼女曰く、コロンビア敗退の理由は、チームの内部分裂だという。しかし、失望はあまりにも大きかったと… 最後に「あなたにとって最高のストライカーは誰か?」と質問してみた。彼女はすかさず「マルコ」と言った。マルコ=ファン=バステンを指す。てっきりコロンビアの選手が出てくると思ったのだが、「意外と冷静だ」と感じたし、「ちゃんとサッカーを見ているのだな」とも思った。もともと私はオランダファンなので嬉しかったのは強く覚えている。(ちなみにラツィオが好きだったのはシニョーリという選手が好きだったため)

ドイツ人の女の子も同じだった。二人で夕日(時間は夜だがサマータイムで明るい)の美しいテラスでビールを飲みながらサッカーを熱く語った。

日本人が留学をすると、日本人同士で固まって、日本語しか話さなくなってしまう傾向が多々ある。これは私も良く見てきた。また、ひとり部屋に引きこもって国際電話ばかりして、月に10万も電話料金を支払っている人も見た。幸い、私はそのような経験をする事がなかった。英語を学びに言ったのだが、英語以上の世界共通語を発見して帰ってきた。もちろん、その世界共通語のおかげで英語もだいぶ上達した。一番何を苦労したかと言えば、野球を見たこともないスイス人を連れて、MLBを観に行った時だ。「何故バットにボールを当てると右回りをしなければならないか」からの説明には疲れた。ダブルプレーの説明には私の脳はパンクしそうになった。

そのような経験も経て、スポーツを通じたコミュニケーションというものを肌で感じてきた。むしろ、スポーツがあったから話したことも無いような国の人々とつながりを持てたのではないか、私はそう思う。あれから10年ほど経った今でもスポーツ世界共通語を再認識した出来事があった。しかし、それはまた別のコラムでお話したいと思う。言えることは、アメリカに行くならNBA・MLB・NFLのどれかを知っておいた方がいい。それ以外の国なら、圧倒的にサッカーは人気がある。訪れる国のサッカー事情を少しでも予習しておけば、現地の人とコミュニケーションをとる時に随分助けになる。ただし、地域同士でいがみ合っている場合もあるので、それだけ注意。英語をうまく話せなくても世界共通語を知っていれば、だれもフレンド・アミーゴになれるのだ。
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# by mau46 | 2005-10-05 23:51 | スポーツ

ボクシングといふもの

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今年の1月、WBC世界フライ級タイトルマッチを観に行った。挑戦者の小松則幸選手の知り合いからチケットをもらったのだ。ただ、チケットをもらったから観戦に行ったわけではなく、元からお金を払って観に行く予定だった。最近、大阪でタイトルマッチなどしていなかったので、足を運んでみようと思っていたところの、渡りに船だったわけだ。会場に着くと、やはり独特の雰囲気がある。見るからに怖そうな兄ちゃん達がうろちょろしている。「これでは、よっぽどボクシングを好きな人でないと観に来れないな。」そう思いつつ会場に入る。あまり使いたくない言葉だが、前座の試合が始まる。ボクシング通の声が飛ぶ。ものものしさに戸惑いながら、この殺伐とした女気のない雰囲気を楽しんでいる自分がいる。


プログラムは進み、ついにタイトルマッチが始まる。小松選手の入場だ。多くののぼりが上がり、それに押し出されるように小松選手がうつむき加減で入場してくる。なんと言うプレッシャーなのだろう。観戦しているこちらにも、小松選手が今までこの日の為に身体をいじめ抜いてきたその辛さ、周りの小松選手に対する期待感が伝わってくる。それはある意味、悲壮感にも感じる瞬間もある。ボクシングは個人で戦う競技だ。しかし、リングに足を踏み入れて、対戦者とグローブを合わせるまでのさまざまなプロセスが、互いの選手の肩に乗っている。プロセスの結晶がいかにより多く輝くか、また輝いて見せるか、で勝負が決まる。その何もかもの全てが入場してくる小松選手の両肩に乗っている。それが見える。たとえ小松選手の姿がのぼりや人垣に隠れて見えなくても。そのオーラは身体に伝わってくる。これが世界タイトルマッチなのだ。


続いてチャンピオンの入場。フライ級最強ではないかと思われるサウスポーの入場。何人もの日本人挑戦者を跳ね返し、フィリピンの期待の星を粉砕した、恐るべきサウスポーが入ってくる。タイ国王の写真が高々と掲げられ、いつもの儀式のような入場が始まる。「これが王者の風格か」ガウンに身をまといながら軽くステップを踏み近づいてくる男にそう感じた。悲壮感はない。私が「チャンプ」と声を掛けるとうっすら笑顔を浮かべてグローブで返してくれた。チャンプの名前は、ポンサクレック・クラティンディンジムと言った。タイのボクサーはリングネームの後半に所属しているジムの名前をつける。だから、タイのボクサーを始めてみた人は違和感を味わうのではないか。たとえば、○○ギャラクシー、○○3Kバッテリーなどがそうだ。…話を進めよう。


皆さんがテレビで観ているのと同じように両陣営がリングに上がる。国歌が流れる。騒々しい人たちがいる。恥を知れ、と思う。やがてリングアナウンスによって互いのコールがある。日本のリングアナウンスは本場のアメリカと違い、少し派手さに欠けるような気がする。それを決して悪く言うわけではなく、これは日本ではボクシングを格闘技としてとらえ、アメリカではエンターテインメントととらえている違いのようなものがあるのかもしれない。その日米の差は別のコラムで書きたい。私は日本もアメリカも両方のリングアナウンスが好きだ。相撲で行事が力士の四股名を読み上げるように、これから殺し合い(あえて表現します)をする男達の名を叫ぶ。なんと王者の落ち着いたものか。試合内容を逐一レポートするつもりはないが、結果は歴然だった。ポンサクレックの開いたボディに小松選手がストレートを打ち込む、その時にはすでに小松選手の側頭部にポンサクレックのパンチが当たっていた。小松選手にボディを打たせ、グローブがボディに当たると同時に王者はカウンター気味の左フックを狙っていたのだ。それが幾度となく繰り返された。やがて小松選手は敗れた。それは、戦闘機に乗っているような強烈な(プレッシャー)を前進に受けながら観戦していた我々が解き放たれた時だった。目の上をカットしたキズが痛々しかった。しかし、小松選手の頑張りには大いに拍手を送りたい。彼は決してあきらめず、最後まで拳闘士として前進し続けた。


後日小松選手と食事をする機会があった。ポンサクレックのパンチは今まで受けたことの無いようなパンチだったと言う。カットした傷跡を見せてももらった。不思議な表現だが、その傷口は思ったより深く、小松選手曰く、まるでビル風のように「キズの中を風が走った」と言う。その風を寒く感じたとも。それほどのパンチだったのだ。小松選手自身、減量がきつく、1階級上げる可能性もほのめかしたが、私の「もう一度やりたい?」との問いに、彼はうつむきながらもギラギラした目で「やりたい。」 …安心した。ボクサーは1度の敗北で全てが変わってしまったりするものなのだ。


小松選手は5月の復帰戦を問題なくクリアし、11月に復帰第2戦を迎える。もしどこかで小松選手の名前を見かけたら、応援して欲しい。よろしくお願いします。
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# by mau46 | 2005-10-05 23:46 | スポーツ

スポーツは麻薬である

勝手に考えた言葉だが、それほどの魔力がある。あれほど苦しかったクラブを卒業して十数年。それでもボールを触ると笑顔がこぼれる。しかし不思議な事がある。あれほど時間が経っているのに、プレーは今の方が冴えている気がする。おそらく当時できなかった事が、時間が経つにつれ自分の頭の中で洗練されているのであろう。それがわりと、ちょっとした練習で出来るようになったりする。今の方がいいんじゃないか? 今でも出来るんじゃないか? 本気でそう思う。その考えは正しいのであろうか?

その答えは、テレビが教えてくれる事がある。一度引退したボクサーが、時間を置いてリングに戻ってくる。おそらく一度一線を退いて、時間がゆっくり流れていく中で洗練された、熟成された自分のプランがそっとノックするのであろう。肉体の衰えが、熟成した技術に凌駕されているのだ。多くの場合は失敗の末路をたどることとなる。しかも彼らは、再度夢破れてもリングに戻ってくる。

彼らほどの才能は無いにしても、同じような錯覚を我々も起こす。そうか、これは麻薬ではないな。麻薬の逆だ。離れているときほど気持ち良く、戻ってくると苦しくなる。

「スポーツは魔薬である」

今の私? 確かに当時出来なかった小技はできるようになった。しかし、テクニックはおっさんを上回ってくれない。まして当時と比べ20kgのハンデを背負ってなど。
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# by mau46 | 2005-10-05 23:43 | スポーツ


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