あの月に向かって打て



シンガポールは振り向かない その5

シンガポールでの目的はほぼ達成していた。今晩は日本に向けて発つ。

その日の朝は晴れ。私はチェックアウトの順儀をしていた。私の旅はいつも軽装で、荷物も軽い。今回の様な安いホテルに泊まる場合には日本から歯ブラシや洗濯用の石鹸などを持っていくが、ほとんどが現地調達で現地で捨ててくる。例えば寝る時などに使う服であるとか、ソックスなどは現地で買った方が安い。そしてそのまま捨ててくる様なイメージである。
もちろん今回の旅も、私の荷物はキャリーバッグだけであるから、動きもとりやすい。

さて、チェックアウトにレセプションへ向かったのだが、そこでちょっとした出来事が。

チェックアウトをしていると、電話料金の請求がきた。私は数回国際電話をかけていたのでその分の支払いをしようとした。財布を見ていたのであまり話を詳しく聞いていなかったのだが、料金は、
「20」
だと言う。私は$20を出すと、向こうは笑っている。多すぎる、と。
「20セント」
らしい。私は聞き直した。ルームナンバーもカードキーを渡しているので間違いがないはずである。私は不思議に思いながらも20セントを支払い。ホテルを出た。

そのまま歩いてMRTに乗り込んでも良かったのだが、せっかくだから屋台で一杯飲んで行こうと思った。
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そこの店員もインドネシア語を話したので少し話て仲良くなってから、ナシゴレンがあるか尋ねてみた。すると、奥のおばちゃんを呼んできてくれた。おばちゃんと話していると、ナシゴレンは無いが焼き飯なら作ってくれるという。私はそのおばちゃんの感じの良さに思わず注文してしまった。おばちゃんは「5分から10分待って」という。どうぞどうぞ。
出てきた焼き飯は格別に美味かった!!なんだかおばちゃんの温かさがこもっている感じがして、いい味が出ていた。私はありがたくいただき、店の去り際にキッチンまで位って、おばちゃんにお礼を告げた。おばちゃんが笑顔で送ってくれた。

店を出て、どこに行こうかと考えながらMRTの駅に到着し、考えた。
「マーライオンを見に行こう」
そう言えば、18年間の旅もマーライオンを見ていなかった。私がお腹を壊し、家族の旅の段取りを台無しにしたから、本来弟が行きたかったマーライオンを見ずにして帰国していたのだった。弟はマーライオンを見れなかったことを長らく引きずっており、高校になって自らマーライオンを見に行き、その時のリベンジを果たしていた。私はマーライオンに大してそれほどの思い入れもなかったが、時間もたっぷりあるし、とりあえず行ってみることにした。

MRTに乗り込んだとき、ジーンズのポケットに入れた紙をキャリーに入れようとしてふと気づいた。その紙はホテルの電話料金の領収書であった。よく見てみると、ルームナンバーが私の隣の部屋になっている。宿泊者の名前を見れば、フィリピン人だった。そして電話はローカルに数秒しかかけていない。どうりで20セントなわけだ。しかも彼のチェックアウト予定日は明日になっている。どうするのであろうか。もうMRTも動き出しており、引き返すことはできなかった。後々請求がくるのであろうか。もしくはそのフィリピン人が私の電話料金分を負うのであろうか。全てが謎になってしまった。

さて、私は目的の駅に着き、この暑い中をキャリー転がして歩いている。地図を片手に辿り着いた。マーライオンに。世界3大ガッカリといわれるだけあって、何の値打ちも感じない。それがまた憎めないところか。
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しかしさすがにマーライオンの周りには日本人が多い。もうすぐわんさか日本人のいる国へ帰らなければならないのに、こんな場所で日本人に会いたくない、と思い近くのお店に駆け込んだ。そこでも店員に声を掛けられたが、日本人とはわかってもらえなかった。
「何故だろう」
と、店員と話していると、近くの青年が我々に声を掛けた。
「発音だよ」
彼は韓国人で、彼も一人で旅をしていた。話を聞けば、彼はバンクーバーに半年間留学し韓国に帰る途中にシンガポールへ寄ったらしかった。その道のりはおもしろく、ソウル→マニラ→バンクーバ→マニラ→シンガポール→クアラルンプール→マニラ→ソウルという道のりらしい。彼としばらく一人旅の気楽さや楽しさを話した。海外でこういった旅人とコミュニケーションをとるのは本当におもしろい。あんな風にその場で出会った人と話していると、国籍や人種なんて本当にどうでもよいことに思える。ただ、出会って、話して、そして楽しい。それで十分なのだ。これが旅の醍醐味だと私は思う。旗について廻る様なニセモノの旅では味わえない喜びだと私は思う。

その後私は、先日タイ料理を食べにいった百貨店へ向かった。ちょっとした買い物がしたかったからである。前に来た時はあまり見れなかったのだが、 IT関連だけでなく、色んなお店が入っていることに気づいた。中でも驚いたのが”フィギュア屋さん”あった。興味本位で店を覗けば、日本のアニメキャラクターのフィギュアが所狭しと並べられていた。すると店員が声を掛けてきたので少し話してみた。
「どこから来たのですか?」
「日本からですよ」
「それは信じられない!」
「どうしてですか?」
「今まで多くの日本人のお客さんが来ましたが、英語を話す人は初めてです。」
「どんな人が来るの?」
「”スターウォーズおたく。。。” あとは何も言いません。商品を指で指してお金を払って帰るだけです。」
なるほど。日本のオタクもくるわけだった。しかし、もうちょっと英語を勉強しろよな、学生たち!情けないぞ!
店員の彼は非常に感じの良い青年で、いろいろ話してくれた。シンガポールには日本でメイド喫茶が流行っている情報は既に入っているらしく、日本のオタク情報をとても良く知っていた。エヴァンゲリオンは未だに人気があるらしく、やはり一番の人気は綾波レイだった。私は彼に「綾波と付き合っても楽しくないやろ? 絶対にアスカと付き合った方が楽しくないか?」と言い返すと、彼は手を叩いて賛同してくれた。彼も同じ意見だったらしい。店内の撮影も彼は快諾してくれた。非常に楽しい時間を過ごせた。
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一応の買い物も終わり、私は最後の時間つぶしに、先日小籠包を食べにいったレストランのある百貨店に向かった。理由なんてない。時間が有り余ったからであった。そこで私は再度グゥヴァジュースにチャレンジすることにした。そこでいつもの通り氷り抜きで注文し飲んでみた。やはり青臭い。前にグリーンアップルと間違ったと思われたグゥヴァジュースはやはりグゥヴァジュースだったのか?それよりはグゥヴァの甘さがまだ出ている気がした。釈然としない思いで百貨店を後にし、外で座っていた。

よく考えれば歩きっぱなしの数日間だったと思う。旅日記として書いていても一日のボリュームがかなり多い。それほど私は旅に出ればよく動くし、よく歩く。それは少しでもそこの文化を見たいからであって、一番私が好む場所が市場である。”食”は最もその国の文化を表すものであり、その国の環境及び生活様式が見える。私は必ず市場に足を向ける。シンガポールで行った市場は、”市場”ではなく、ただの”フリーマーケット”であった。観光客はそれで喜ぶのであろうが、私にとっては何ら魅力のない場所である。そうこう自分の旅を反芻している間に時間は19時になろうとしていた。エアは0:00発だったので、時間としてはまだまだ余裕があるのだが、もう早めにチャンギに向かう事にした。

チャンギへはMRTが直接乗り込んでいるため、アクセスが非常に便利である。シンガポールという国自体が非常に小さなためダウンタウンからチャンギまでの移動時間も短い。一度乗り換えるだけで、すぐにチャンギに到着してしまった。

カウンターでチェックインを済ませ、手早くイミグレーションを通り抜けた。この瞬間、私はシンガポールを出た事になる。18年前の忘れ物を払い戻しにきた今の私は、当時の自分より大きくなってシンガポールへ戻って来、そしてまた何かを吸収してシンガポールを去っていく。あの頃の私はどんな思いでシンガポールを後にしたのであろうか。確かその後はジャカルタに向かったハズであった。お腹の事だけを心配していたのであろうか。名残惜しかったであろうか。色んな思いが錯綜されていたとしても18年後に自分が再び訪れる事を予期する事にまでは至っていなかったハズである。

私は時を超えて、過去の自分に語りかける。
「後でちゃんと払い戻しに来たから心配するな」
当時の私はきょとんとして聞いている。それでいいのだ。今はわからなくても、18年後にわかるようになるさ。

画像1:おばちゃんのいる屋台
画像2:海水を嘔吐するマーライオン
画像3:オタクの店で撮ったフィギュア人形たち


-おしまい-
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# by mau46 | 2006-09-08 14:37 | シンガポール旅日記

シンガポールは振り向かない その4

今日はもう9月1日。明晩には帰国の途につかねばならない。

昨日とは打って変わって晴れていた。私はタクシーのおっさんに教えてもらった観光スポットを目指してMRTに乗っていた。

向かう先はBugis。ここにはフリーマーケットがあるらしい。私は地上に出てフリーマーケットを探した。発見した。発見はしたのだが、なんとも退屈なマーケットだ。目新しいものが何一つ無い。私は足先を変えてみた。なぜか。先にムスクが見えたからである。

そのまま歩くと、街の雰囲気は一変した。どうやらイスラムのコミュニティに入ったらしい。しかも裏通りを歩いていたらしく、私を好奇の目で見る人が多い。しかし私には懐かしく感じられ、目を輝かせて歩いていた。思いついたからだ。
「ナシゴレンを探すしかない」
私はあるレストランを見つけて入った。看板にナシゴレンと書いてあったからである。
とりあえず中のおばちゃんに、ナシゴレンを1つ注文した。その後、
「ナシゴレン サトゥ マウ(ナシゴレン一つ下さい)」
と言ってみた。おばちゃんは、たいそう驚いた顔をして笑顔になってくれた。そしてパイナップルジュースを頼もうとしたが、無かったのでコーラにした。おばちゃんがナシゴレンを持ってきてくれた。懐かしい味である。私は、
「バグース!(Good!)」
と誉めた。“エナック(美味しい)”という言葉を忘れていたのだ。しかしそんなちょっとしたインドネシア語がきっかけでお店のおばちゃんや他のお客さんが声を掛けてきてくれた。中でもおばちゃんは西スマトラ出身らしく、私がインドネシアに何度も行ったことがあると言うと、喜んでくれた。彼女の故郷に地震の影響は無かったようだ。地震の話は彼女達と分かり合える部分がたくさんある。しかしやはり私を日本人とは思っていなかったようだった。この場所に来る日本人はほとんど無いそうだった。多くの日本人はムスクの正面辺りにいるそうで、珍獣を扱うが如く近寄ってきた。中には日本語を話せる老人がいた。おそらく戦争の名残りなのであろう。テー(インドネシアのミルクティ)ももらった。懐かしく美味しかった。

その後私はムスクへ行った。日本人がいるわけがわかった。すぐにお土産屋さんがあるのだ。私がお土産屋さんに足を運ぶと、案の定日本人がいた。手には“地球の歩き方シンガポール”とご丁寧に持っているので、すぐにわかる。「私は日本人です!!」って宣言しているようなもので、逆に危険な気がするのだが・・・ とにかく私が商品を見ていると店員が声を掛けてきた。私は素早く彼の肩を寄せて耳元で囁いた。
「あいつらを見ろ。明らかに日本人やろ。オレにプロモートせずにあいつらにプロモートしろ。できるだけふっかけろ!たくさん金を落とすぞ。行け!」
彼はすぐに彼女達の元に向かっていった。何を考えたのか熊のじゅうたんを持っていった。彼女達は、それはもちろん買わなかったが、別のお土産を大量に購入した。私は彼を呼び、
「な、言った通りやろ? で、儲かったんやから、オレのは安くしてくれるよな??」
まんまと私の買い物はかなり安くしてもらった。すまんね、彼女達。まぁ、誰も不幸になっていないので問題は無いか・・・

しばらくすると、お祈りの時間が始まった。インドネシアでよく聞いた音だった。懐かしさにムスクの前で立ち止まっていると、もうさっきの日本人の女達はここを去っていた。
「何しにココに来たのだ??」
首をかしげながらお祈りをムスクの外で聞いていた。日本人の観光客はどうもピントがズレた観光をしているように思う。

私はシンガポール観光第2の目的であるワニ園に向かうことにした。かつてはホテルからタクシーで行ったのだが、近くまでMRTが通っていることもあり、MRTで行く事にした。

ワニ園最寄の駅に降り立って、地図を見ると少々距離があるが一本道で行ける。
私は意を決して歩いていく事にした。

海外で一人道を歩く。悪い気はしないものだ。ただひたすら一本の道を歩きたかった気持ちもあった。ここ数年は自分の意思で真っ直ぐ歩けなかった思いがあった。ひたすらこの一本道を歩きたい。そんな事を考えながら前を見つめて歩いていた。この時間が心地よかった。

私は道を間違えていた。一時間経っても辿り着かない。景色はワニ園とは程遠い、工場地帯、さらにはシンガポール軍施設に変わっていった。迷彩服を着た軍人に不思議な目で見られ、すれ違う人に民間人はいなくなり、挙句の果てには機関銃を持った兵士に「お前、ここで何しとんねん」的な視線を投げられる始末。

足が棒のようになった時点で私はタクシーを拾う事にした。
つまりここも私の悪いところで、歩いたらすぐに着くと思い込んでタクシーを使わなかったのが、こんな悲惨な結果に結びついている。この悪い癖はしばらく後にも続く。

運良くタクシーが見つかり、事情を説明すると彼は大爆笑だった。ココは全くワニ園とは程遠い場所で、ココまで良く歩いたな、と感心されてしまった。彼はワニ園に着くまで笑ったままだった。

ワニ園に到着したのだが、タクシーは向かいのバードパークに停まった。まぁ、目的地には違いないので降りてワニ園に向かうと、様子がおかしい。明らかに寂れている。
「潰れてる・・・」
愕然とした。昨日のタクシーのおっさんが正しかったのだ。しばらくショックで呆けていると、隣にお店らしきものがあった。私は行ってみることにした。なんとココの店は釣堀りの店だったのである。何が釣れるか?手長エビである。ワニ園がこんな姿に・・・取り合えずハイネケンをオーダーし、ワニ園の事を聞いてみた。どうやらワニ園は1ヶ月前に潰れてしまったらしい。タッチの差でワニ園は潰れてしまった。せっかく18年前の思い出に浸ろうと思ったのに、この有様である。絵に描いたような廃墟となってしまったワニ園をしばらく眺めていた。ショックを引きずったまま私はバードパークに行った。そこには世界中の鳥が多くおり子供から大人まで楽しめる場所である。ショーも行っており、非常に良く訓練された鳥達に感心したものである。疲労困憊のまま私はバードパークを見学し、後にした。バードパークの出口を見ると、タクシー乗り場で人が並んでいる。私は並ぶのが大嫌いなため、そのまま出てすぐの道路でタクシーを拾うというズルい魂胆だった。

甘かった、どれも“Hired(賃走)”で全くつかまらなかった。私は自分の愚かさと、スケベ根性に唾棄した。行きに比べると数段距離は短いが、途中で無意識のうちに大声で“ギャバン”を唄っていた。完全にヤバイ人になっていたと思う。その後なんとかMRTに辿り着き、本日最後の目的地である Clarke Quayに向かった。

Clarke Quayの近くを川が流れている。そのリバーサイドにちょっとしたオシャレな食事スポットがあった。一人で来るにはいささか豪華すぎる気もしたが、ここにきてシーフードを食べておこうと思い、来てみたのだ。案の定カップルだらけであるが、私は汗だくの格好でそのまま目ぼしいお店を見つけて入った。そこで注文した蟹はスリランカクラブと言う大きな蟹で1.5kgもあった。値段は秘密。それとお決まりの焼き飯を頼んだ。無心になって食事していると、本日2度目の日本語が聞こえてきた。どうも海外で日本語を聞くと萎えてしまう・・・隣は父と娘の旅行者だった。注文に難儀しているらしく、うまく店員とコミュニケーションが取れていない。助けようかと思ったが、娘の前でカッコイイ父親を見せるせっかくのチャンスを私が邪魔してはならないと思い、そのままにしておいた。失敗も後々良い思い出になるものである。

私ははちきれんばかりの自分の腹を押さえつつ、タクシーに乗り、ホテルへ戻った。
明日は帰国する日である。

-つづく-
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# by mau46 | 2006-09-07 23:35 | シンガポール旅日記

シンガポールは振り向かない その3

その日は朝から雨。

私は雨が嫌いである。雨の日は外出しない。万が一外出しなければならない場合も、ほとんど傘をささない。私は雨も傘も嫌いだ。

とりあえずシャワーを浴びて時間を潰してみた。どうやら雨は小雨になったようだ。外に出る弾みをつけるためにも一気に身体を拭いて、傘も持たずにさっさとホテルを飛び出した。案の定、雨は降っている。私は屋台の屋根を駆け抜けて走った。最後はビショビショになりながら最寄の駅に着いた。

私には目的があった。18年前に家族で泊まったホテルを探すためだ。ホテルは円筒状の建物で、その中が天井まで吹き抜けになっている。宿泊部屋はそのホテルの内のりにあり、見た目も美しいホテルだった。当時私はセントーサ島で水にあたり、滞在のほとんどをホテルで過ごした。父からはそのホテルを「グラスホテル」と聞いていたのだが、私の記憶ではそのグラスホテルの傍に伊勢丹百貨店があったように記憶している。今回シンガポールに渡る前に日本でグラスホテルを調べたが、存在していなかった。思い出深いホテルだけに、その後どうなったかを知りたかった。

とりあえず、伊勢丹のあるOrchardへ向かった。

Orchardには伊勢丹があり、その傍には豪華なホテルが立ち並ぶ。マリオット、ハイアット、シャングリラ、そしてヒルトン。名高いホテルばかりだが、そんなホテルだと私も小学生ながら憶えているだろう。困って伊勢丹のある交差点に立ち尽くしていると、伊勢丹の斜め向かいにガラス張りの建物があった。グラスホテルは名前の通り、全体がガラス張りのホテルだった。それも記憶していたので、そこに向かった。
しかし、その建物はホテルではなくビジネス用のビルであった。ちょっとでもグラスホテルの手がかりでもあればと思い、中を歩いてみたが、1~3階は店舗が並び、その上はオフィスであった。
「ひょっとするとグラスホテルが潰れて、このビルになったのかもしれない。どうりでこの建物は新しいはずだ。ガラス張りなのは昔の名残なのであろう」
私はそう思いながら、地下に向かった。MRTで移動しようと思ったのだ。ふと目の前にビルの警備員がいたので、この建物がかつてグラスホテルであったのか聞いてみた。
「この建物は新しい?」
「いいや」
「この建物はかつてグラスホテルではなかった?」
「いいや」
「ではグラスホテルは知ってる?」
「知ってるよ。ここではないよ。名前も変わっていると思う。新しい名前は知らない。」
私は愕然とした。完全に私の思い違いだったのだ。家族が私を部屋に一人残して楽しそうに買い物に行ったのは伊勢丹ではなかったのである。私は彼にグラスホテルの場所を聞いた。全然見当違いの場所だった。しかもMRTの駅から遠い。彼は親切に場所を教えてくれ、最寄の駅も教えてくれた。礼を言い、私はこの雨の中グラスホテルに向かう決心をした。

再びチャイナタウンに足を運んだ。屋根づたいに雨をしのげるのもあと少し。これからはこの雨の中を歩いていかねばならない。

グラスホテルのある地域は駅から思いのほか遠く、予想以上に濡れた。また、道にも迷いながらその地点に着いた。記憶というものはおぼろげで目の前にあるホテルが「そうかもしれない」と安易に思い込むように、勝手に自動修正をはかる。それに必死に抵抗しながら歩き続けた。しばらく歩くと、目の前に確実に見覚えのある建物があった。それは『Holiday Inn Atrium』だった。
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私はホテルに入ってみた。すると見覚えのあるレセプションがあった。私はその横をすり抜けて売店へ向かった。

エヴィアンを買っておばちゃんに話してみた。
「ここは以前、グラスホテルではなかったかな?」
「前はコンコルドホテルよ」
「18年前にここに来た時は、グラスホテルって名前やったんやけど・・・」
「そうそう、コンコルドホテルの前はグラスホテルだったわ。ホテルの名前は変わったけど、従業員は変わってないわ。」
「そうなんや。懐かしいなぁ」
「あなたはどこから来たの?」
「当ててみなよ」
「わからないわ。フィリピンかしら?」
「どうしてそう思ったの?僕は日本人やで」
「それは信じられないわ!フィリピン人と思ったのは、あなたが英語を話してるからよ!」
微妙だが、誉められたのは確かである。あの頃の私はレセプションから部屋に電話がかかってきただけでもパニックだった。それを彼女に伝えると笑ってくれた。

私はしばらく彼女との会話を楽しみ、レセプション前のソファでエヴィアンを飲みながら時間を楽しんだ。

そしてホテルを後にした時に、お腹がゴロゴロ言い始めた。一瞬ヒヤリとしたが、これは水に当たったそれではない。ただ雨に濡れたのと、水を多く飲んだことでお腹が冷えたのだ。
私はタクシーを拾って一旦宿泊しているホテルに戻った。

タクシーの運転手は気のいいおっさんで、色々説明してくれた。紙に明日僕が回るべきスポットも書いてくれた。これは非常に参考になった。ちなみに、彼も私を日本人とは思わなかったらしい。理由は2つ。1、英語を話すこと。2、一人で行動していること。日本人は一人で行動できないと思い込んでいるらしい。彼は私をフィリピンかヴェトナム人と間違えた。そして私のもう一つの目的である『ワニ園』の事も聞いてみた。
「ああ、それなら潰れたよ」
「え!! 本当に??」
「潰れたよ。隣のバードパークならやってるけどね」
ショックだった。18年前、なるほど・ザ・ワールドを見てどうしても行きたくなり両親に頼んで連れて行ってもらったワニ園が無くなっている。

私はホテルでしばらく休憩し、今度はシンガポール芸術博物館へ行く事にした。

雨の中博物館へタクシーで行き、見学。3階建ての建物の1階しか見れなかった。それ以外は立ち入り禁止だった。理由はわからない。それが東南アジアだ。意外と早く見学が終わったのでご飯を食べに行った。近くにFood Junctionがあったので寄ってみた。ナシゴレンはあるか聞いてみたが無いという。ナシゴレンはインドネシアの焼き飯で独特の味付けがあり、私の中では世界で一番の焼き飯である。それが無いので普通の焼き飯を食べた。私は世界中の焼き飯を制覇しようと思っている。焼き飯を食べれば、その国の食べ物のレベルがわかる(言い過ぎか)。飲み物にはグゥヴァジュースを頼んだ。しかしここで事件が。どうも私の発音が悪かったのか、グリーンアップルジュースが出てきたように思う。東南アジアのアップルは非常に不味い。生臭いジュースを飲みながら焼き飯を食べた。せっかくの焼き飯が台無しになった。だから食後は口直しにセサミボール(胡麻団子)を頼んだ。これもピーナッツが中に入っている奇妙なセサミボールで非常に不味かった。

またもタクシーに乗り、部屋へ戻った。しばらくして私は屋台へ出掛けた。ビールを飲みたくなったのだ。いい味(汚いって意味)だしてる屋台でタイガービールを飲んでいた。東南アジアの屋台でビールを頼むと、「氷はいるか?」と聞いてくる。これは外が暑いのですぐにビールが温くなるからで、私は必ず断っている。屋台のおばちゃんに、
「ワニ園が潰れたんやって?」
「潰れてないよ、ねえ」
おばちゃんが、隣の兄ちゃんに声を掛ける。
「潰れたなんて聞いてないよ」
彼は私の持っているマップを指差し、このマップを私が昨日手に入れた事を説明すると、
「このマップにもワニ園が書いてあるじゃないか。昨日もらったマップに書いてるって事はやっているって事だよ。」
一体、どの情報が正しいのだ?この曖昧さが東南アジアなのであろう。こういった問答を楽しめなければ、この地域には来れない。要は自分の目で確かめろって事なのである。


雨は止んでいた。私は明日、ワニ園に行く事を決心した。

画像:これがグラスホテル(現HOLIDAY INN ATRIUM SINGAPORE)

-つづく ~天竺はまだまだ遠い~-
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# by mau46 | 2006-09-06 17:26 | シンガポール旅日記

シンガポールは振り向かない その2

昨晩はわからなかったのだが、ベッドは少し湿気ていた。これは自分の寝汗だったのかはわからないが、多分湿気ていたのだろう。

私は普段、腕時計をしないので、現在の時刻を携帯電話で見るようにしている。海外に行けば携帯電話の電源を切っているので時間がわからない。テレビをつけて時間を知ろうとしても、シンガポールのテレビは時間を示してくれていないようだ。だから携帯電話のアラームをセットして寝た。昨晩は少々疲れていたせいか、日本との時差が1時間早かったのか、遅かったのか忘れてしまっていた。だからアポイントの時間にどちらにしても間に合うようにアラームをセットしたのである。

朝7:00

携帯電話のアラームが鳴った。アポイントは9:30なので、ここが実際に6:00でも8:00であっても間に合うであろう。
テレビをつけると6:00だった。私はもう少しだけ眠る事にした。

しばらくすると、私はスーツに着替えホテルを後にしていた。
ホテルを一歩出た時に、目の前の建物が“創価学会”の建物であったことにさめた思いがした。まさかこんな場所でこんなものに出くわすとは。
とにかく私は最寄り駅まで歩いていく事にした。

昨晩の雑多の後が多く残っている通りをキャリーバッグを引っ張りながら歩いている。こんな中でスーツを着た人間は珍しいらしく、周りの人間が好奇の目で私を見ている。朝の強い日差しが道の端に溜まった残飯を照らし、ツンと鼻をつく匂いが時折私に迫ってくる。ホテルで簡単な地図をもらったのだが、いまいち駅の場所がわからない。

シンガポールは地下鉄が発達している。通称MRT。18年前に来た時は使った覚えがなかったので、ひょっとすると当時はまだ無かったのかもしれない。MRTを利用すれば、ほとんどのシンガポールの行きたい場所に行ける。そして価格も安い。安全でもあるし、旅行者にとってもありがたいアイテムであることに違いない。

やっとの思いで駅に到着し、切符を買おうとした。ところがMRTに切符は存在しない。乗り方がわからなかったので駅員に聞いてみた。

MRTはJRのICOCAやSuicaのように改札機にカードをタッチさせて利用する。カードは一回乗るたびに運賃と1ドルをデポジットとして支払い、使用後に自動券売機に入れるとその1ドルは返ってくる仕組みだった。私は目的地までのカードを購入し、目的地へ向かった。多少迷子になりながらも朝のアポイントの用事を無事済ませることができたが、困った。次のアポイントが夕方の5:00である。時間はまだ11:00あたりを示している。とにかくまずは時間を潰そうと、近くのカフェテリアに入った。そこでカフェモカを飲みながら、しばらく地図とにらめっこしようと思ったのだが、失敗した。チャンギで地図をとってきたのだが、アルファベットだから英語だろうと思っていた私が甘かった。インドネシア語の地図を取っていたのであった。これでは全くわからない。とにかくカフェを飲み干し、適当に歩き回る事にした。

炎天下の中歩き回ってたどり着いたのがチャイナタウンであった。空腹の虫が暴れ出したが、夕方のアポイントが終わるまで我慢と自分に言い聞かせて歩いた。基本的にシンガポールには華僑が多くいるので、チャイナタウンと一言で言っても、それほどの特別なコミュニティという感じはしない。チャイナタウンは後日回ると自分に言い聞かせ、北上していった。とにかく疲れたので、大きな建物に入って休みたかった。見つけた建物はITビルだった。要はパソコン周辺機器を扱ったお店が集まったビルで、6階ほどある建物のほとんどがそういった店舗だった。さすがに何かお腹に入れなければ、夕方の用事に力が入らない。エスカレータを上ったり下りたりしながら適当なレストランを探していた。見つけたのが、タイレストランだった。タイ風焼き飯を注文し、パイナップルジュースをオーダーした。ところがパイナップルジュースは無いというのでオレンジジュースに変更した。氷を抜くように指示したのは言うまでも無い。しかし私はミスを犯す。タイ風焼き飯には生のトマトが入っていることを忘れていた。私はトマトとキュウリが嫌いなので、いつも抜いてもらうように心掛けていたのだが、疲れからだろうか忘れていた。トマトを端に寄せながら食べると言う、子供じみた食事をした。しかし焼き飯の味は格別だった。

食事中に雨が降ってきた。激しい雨だった。この時期に雨が降るとは珍しい。私は強烈な雨男である。人生の節目にはほとんど雨を降らせている。驚いたのは留学初日に、乾季のカリフォルニアに雨を降らせたことだった。学校の先生が「雨が降ったのは5年ぶりです」と言っていた。「俺のせいだよ」って一人で考えていた。

雨も小降りになり時間も迫ってきたので、私は夕方のアポイントの場所へ向かった。とは言ってもまだ早かったので、目的地ビルの1階にあるカフェで時間を潰した。アポイントの会社のオフィスの階と場所もあらかじめビルの案内板で確認しておいた。時間が迫りオフィスへ向かおうとビルの25階に行ったところ、どこにも会社がない!なんどその階を回っても無い。あるはずの場所に別の会社がある。私は一度1階まで下りて案内板を再度確認した。合っている。私は再び25階に戻り歩き回った。掃除のおばちゃんにも聞いてみた。それでもわからない。時間は17:00を過ぎてしまった。とにかく私はオフィスであるはずであろう場所の部屋をノックした。明らかに目的の会社とは別の雰囲気で別の人が出てきた。私は訳を説明した。すると、その会社はビルの11階に移動したと言う。案内板は間違っていたのだ。ありえない様な事で時間を喰ってしまった。しかも11階という中途半端な階のエレベータは降りるのが遅い。10分ほど遅れて会社に着いた。遅刻を詫びて事情を説明すると理解してくれた・・・と信じたい。しかし案内板が間違っていることは知らなかった様子だった。

用件を終え、私は帰る事にした。途中で若者が集まるような百貨店があったので寄って行った。そこで何か食べようかと思ったのだ。地下に下ると、美味しそうな中華料理屋があった。中で小籠包を作っている。これは行かねばなるまい!自分への今日のご褒美として食べていく事にした。しかし、のどが渇いていたので、百貨店の上にあるジュース屋さんへ行く事にした。

ここで私の悪い癖が出ている。私は、いつでもできるからといって用件を後回しにする癖がある。その時に“善し”としても、結果的に“凶”と出るのが常である。これと同じような経験をこの旅でこの先何度もする・・・

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上の階に着き、パイナップルジュースを飲んだ。タイレストランで飲めなかったので、どうしても欲しかったのだ。もちろん氷り抜き。抜群の美味さで舌鼓を打ち、地下へ下りた。店の前に大行列。ため息をついて並ぶか迷ったが、並ぶのが嫌いな私は百貨店をさらに回る事に。これも失敗の一つ。疲労困憊となって再び地下に下りると、さらに長蛇の列。さすがの私は観念して店員に待ち時間を聞いた。「20分ほど」と彼女は言う。仕方無しに待つことにした。もっと素直に最初から行っていれば、今頃は美味しい小籠包にありつけていたはずである。それが、いつでもできると後回しにした挙句、自分が後回しにされている。自嘲しながら順番を待ち食事を済ませた。味は最高だった。たらふく食べてホテルに戻って寝る事にした。タイガービールが私を良い気分にしてくれたからだった。

シンガポールでオフィシャルな用事は済んでしまった。残りの日は遊びに当てることができる。どうしようか、それは明日考えよう。


-つづく~天竺はまだ遠い~-

*注)画像はネットに落ちてたのを拾ってきました。参考画像です
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# by mau46 | 2006-09-05 17:16 | シンガポール旅日記

シンガポールは振り向かない その1

久しぶりに嗅ぐ香りは、変わっていなかった。

以前では、到底独りで来ることなどできなかったシンガポールに自分は足を踏み入れている。シンガポールは海外旅行における重要な乗り換え地点であり、私が初めて海外に旅行したジャカルタへも、このシンガポールで乗り換えて行ったのだ。おそらく私が今踏みしめているこのタラップも、当時は得体の知れない恐怖に包まれたまま踏んでいた私がいたのであろう。今は何も怖くない。むしろ、その懐かしさが心地よい恥ずかしさとして自分に伝わってくる思いがした。初めて嗅いだ海外の匂い。それが私にとってシンガポールという国であった。

シンガポールのチャンギ空港に着くまでの間、機内で私の席の近くに二人の子供連れの母親がいた。飛行機にも海外旅行にも慣れていない様子で、かなり危なっかしかった。少し心配げに見ていると、その母親の隣に彼女の両親らしき人がいてサポートしている。それでも何かとたいへんそうであった。子供は一人は小学校低学年。もう一人は幼児だった。

その姿を見ると、私の母親を思い出す。

初めての海外旅行、しかも始めての飛行機。私は小学校高学年、弟は幼稚園であったか。
初めてづくしの中で母親は、無事に父の待つジャカルタへ家族を届ける大仕事を成し遂げたのである。それはなかなかできるものではない。ましてや弟はシンガポールからジャカルタまでの間に気分が悪くなり、客室乗務員に介抱されている。その裏で私が大量の鼻血を出すなど、ハプニングだらけであった。今の私が、初めての飛行機、海外旅行と言う高い緊張感の中で、その仕事をまっとうできるかは、気安く「できる」とは言えないほどのことであろう。それを成し遂げた母親の力は相当なものなのだと考えながら、飛行機を降りたのであった。ハワイやグアムなどの日本語が話せる地へ行っているのとは、天と地の差である。これが海外旅行なのである。

18年前にシンガポールへ来たのは、父がインドネシアに単身赴任していた事もあり、家族で旅行したからであった。私には何もかも珍しく、怖く、家族のそばを離れなかった。そしてその家族をリードしている父をカッコ良く見ていた。

今の私はチャンギ空港で入国手続きを終え、普通にタクシー乗り場へ向かっている。自分が慣れているのがわかる。初めての国へ行くよりも、幼い頃に行った地へ行けば、自分の成長具合が手にとってわかるのである。自分の慣れに驚きつつもタクシーに乗った。

昔は父がインドネシア語で全て対処してくれた。今は私が英語で対処している。ほんの少し父に追いついた(外国人と会話できることだけ)気がしながら、運転手と談笑しつつ予約してあるホテルに向かった。

大体20分程であったが、ホテルに到着した。安いホテルだったのであまりきれいな場所には無かったがとにかくチェックインすることにした。
チェックインを済ませて、とりあえず恒例の質問をした。
「この辺で危険な場所はないかな?」
これは私が必ずどこの国へ行っても尋ねるようにしている事だ。

“身を守るのは自分から”

これも海外にいた父から教わった言葉であった。
私はいつも海外に行くと、自分独りの考えで行動しない。
常に頭の中の父と相談している。

「危険な場所は聞いといた方がいいかな?」
「もうちょっとまけて(安くして)もらえるかな?」
「この商品の価値はどれくらいかな?」
「ここは安全そうかな?」

などである。私の海外での行動は、ほとんど父に仕込まれたといっても過言ではない。身の守り方、買い物の仕方、交渉、そして物の価値の見極め方。

本などではなく、身体で仕込まれたものだった。

ホテルに泊まったときは、レセプションとのやり取りは全て私にやらされた。例えばキーを預けたり取りに行ったりする時などである。それを小学生の頃からやっていたのだから、知らずとも身についているものである。

レセプションは、

「ここには危険な場所はない。“楽しむ”場所だ。」

はて、楽しむ場所とは・・・
とにかく私は部屋へ行った。

部屋は蒸し上がるような暑さであった。明かりは薄暗く、ユニットバスの扉は壊れている。まずはバスルームを見る。これは必ずすることであった。案の定、シャンプーやリンス、そしてボディーシャンプーがなかった。そして部屋の電話を見れば、短縮ダイヤルの番号がない。探そうと思って部屋の引き出しを空けていると、コンドームが大量に出てきた。“楽しむ”場所・・・
少しわかった気がした。

とりあえず、石鹸類を買いに行く事にした。
外へ出て少し歩くと、“楽しむ”場所の意味を確信した。
たくさんの立ちんぼが闊歩している。

甘いピンクの声を掛けられながら私は少し大きな通りに出た。
そこはインドネシアを思い起こさせるような通りで、所々ひび割れた道に店からの水が流れ出し、よく言えばオープンカフェ、ハッキリ言えば、汚い屋台の店が立ち並ぶ。
初めての人はこの様子で驚くであろうが、私には非常に懐かしい、楽しい風景であった。
時折鼻をつくドリアンの香りまでもが愛しく思えるほどであった。
しばらく歩くとセブンイレブンがあったのでそこで石鹸類を購入した。

お腹が空いたのだが、明日は重要な用事があるため、自分の過去の辛い経験を加味して、夕食を摂らずに寝る決心をした。

部屋に戻り、とりあえず日本に無事の連絡をしてから眠りについた。

*注)画像はイメージ。こんな感じの通りでした。

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-つづく-
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# by mau46 | 2006-09-04 14:13 | シンガポール旅日記

おいたが過ぎるぜ、ベイビー

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あまり興味は無かったのだが、先日、世界ふしぎ発見を見るためにつけっ放しにしていた4チャンネル(関東ではTBSか)で『K-1』が放送されていた。

そうである。またあの『TBS』である。茶番を作らせたらトップクラスの放送局であろう。

桜庭が闘っていた。その試合での話。

TBSの意向はまるわかりである。
「フジテレビの『PRIDE』から引き抜いた桜庭というスターをなんとか次のイベントまで引っ張らなければならい。」

今回のK-1はトーナメントで、準決勝に出場すれば次回秋に興行されるイベントへ視聴者を引っ張ることができる。

TBSはなんとしてでも桜庭を今回勝たせて、秋まで引っ張るストーリーを作りたいのだ。そう。なんとしてでも・・・

私の目から見て、桜庭は明らかに衰えている。勘も鈍いし、動きも鈍重だ。桜庭は1997年UFC-Jで優勝した無名の時から知っているが、さすがにその動きを今彼に求めるのは残酷だ。

つまり桜庭は“看板”だけで闘っている。

試合は一方的に桜庭がやられていた。相手のパンチをまともにもらい、完全にグロッキーに追い詰められた。おそらく桜庭自身の意識は無かったであろう。昨今のバーリ・トゥード(なんでもアリ形式の格闘技)ではレフェリーが早めに試合を止める傾向にある。
しかし、この試合に限ってレフェリーは動かない。桜庭は朦朧とした中でも相手の足を掴んで離さず必死に食らいついていた。

この試合はどうなったか。

結局打ちつかれた相手から桜庭が奇跡の逆転勝利である。

相手にすれば、「どこまで打ち込めば試合が止まるんだ!」といったところであろう。

いつも思うのだが、こういった総合格闘技系のジャッジは非常に曖昧である。
“ここまでいけば試合を止める”といった指標が無い。
例えばボクシングだと、

○ 3回目のダウン(これはルールによるが)
○ パンチが出なくなった
○ パンチをもらってアゴが上がってしまった
○ 明らかに危険な状態である

といった、ある程度の指標がある。

しかし総合格闘技では、止めるのが異常に早いのが特徴だと考えられる。それはボクシングと違ってダウンが無いので、ダウンした選手に追い討ちをかける事が可能だからである。戦闘不能な選手に追い討ちをかけるのは非常に危険なのでレフェリーが早めに試合を止める。

私個人では、最近のレフェリーの止めるあまりの早さに不満があったのだが、こういった明確な指標が無いグレーなルールにTBS側は今回、目をつけたのであろう。

今回の場合は明らかにレフェリーは試合を敢えて止めなかった。桜庭がほぼ戦闘不可能な状況、これ以上戦闘を続けると危険であろう状態でもレフェリーは静観した。まるで相手の打ち疲れを待っているかのようだった。これは明らかにおかしい。

不正ではない。しかし、限りなく不正に近いグレーである。

この私のうがった見方も、亀田の試合を見ていたからと言う理由もあるかもしれない。
つまりTBS側が行ったここ数試合の格闘技によって、スポーツを真っ直ぐに見れなくなっている。
そんな視聴者も多いのではないか。過剰な演出がスポーツを汚している。

TBS主体の番組は亀田戦を視聴率でしか表現できない。
視聴者にそれを植えつけてどうする?
視聴者は視聴率に一喜一憂しない。
それはテレビ側の営業資料なだけである。

K-1も不正無く行われたのかもしれない。しかし視聴者の信頼を一気に失っている以上、それも素直に見れない部分もある。

民放はスポーツ放送をしない方がいいのかもしれない。
スポーツ専門チャンネルにファンが流れていく日も遠くない気がする。
いっその事、ペイパービューにすれば一番ハッキリするのではないか。




TBSよ。
ここんトコ、おいたが過ぎるぜ、ベイビー。
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# by mau46 | 2006-08-07 12:51 | スポーツ

日本人のスポーツのとらえ方について

最近、やむなしにスポーツ番組を地上波で見る機会が多いのだが、非常に不快感を持っている。

何故いつも“感動”を前面に押し出そうとするのか。
そして、何故視聴者もそれにつられているのか。

私がいつも考えるのは、“感動”と言うものは与えられるものではない。見ているこちらが勝手にするものであろう。

例えば、今回の亀田の茶番。

これはテレビ局の意向もふんだんに込められた、最悪の芝居だった。
これに感動した人々のなんとチープな事か・・・

それは何故か?

我々がスポーツで感動するのは、

「スポーツがあって感動が生まれる。」

事である。

つまり“感動”というものはスポーツの副産物なのである。誰も“感動”するためにスポーツを見ない。
しかし、最近の地上波スポーツ番組は、

「感動させるプロセスとしてスポーツがある。」

という構図がある。

つまり、今回の亀田茶番では、番組終了間際に見せた“親子愛”のシーンを見せたいがためにボクシングの試合があったのである。
そしてまんまと乗せられた視聴者が多くいた。


そしてもう一つ思うことがある。
テレビのコメンテーターや、スポーツをやっていない、または知らない人がよく言うのだが、

「一生懸命な姿に感動した。」

と言うことだ。日本人は、目の前に一生懸命する人を見れば冷たい目をするくせに、テレビの演出になれば簡単に“感動”する。
しかし考えて欲しい。試合にのぞむに当たって、一生懸命闘わない選手がどこにいるのか?

一生懸命プレーするのは最低限の話であって、勝利を奪取するのは“それ以上の力”が必要なのである。
そんな基本的な事にも盲目になった人々を見ていると、日本人であることが恥ずかしくなる。
なんと価値観の低い人間の多いことか。

もう一度スポーツへの見る目を見つめ直して欲しい。


選手は視聴者に感動してもらうためにプレーしていません。
素晴らしいプレーを見てもらうためにプレーしているのです。
一生懸命な姿を見てもらいたいと思っていません。
一生懸命は当然の姿だからです。
勝つ姿を見てもらいたいのです。


日本人の見る目が腐りかけている。「なんとかせねば」という気持ちと、「もう手遅れ」という気持ちが混在している。
最近はもう諦めている。
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# by mau46 | 2006-08-04 09:26 | スポーツ

造られてしまったチャンピオン

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2006年8月2日。
日本に2つの「恥」が生まれた。

一つは、“君が代斉唱”
二つは、“捏造チャンピオン”

である。

起こってはいけないことが起こってしまったのである。


彼は今日、初めてボクシングをしたのであろう。
初めて“闘った”と言えば妥当か。

正直、勝てる相手としか試合をしてこなかった亀田が、
最初に面した闘う相手。それが、フアン=ランダエタだったのであろう。

今までは何をやってもうまくいった。パンチも当たれば、パワーで押し込むこともできた。さらに打たれる事もなかった。
それは亀田が起こすアクションに対しての抗力がゼロだったからである。
かなり大げさに言えば、「無抵抗の相手をなぶり殺す」程の勝ち方であったのである。それができる程度の対戦相手だったのである。
その闘い方に相当の自信があったに違いない。

さらに自信はまだある。
亀田が一階級上から降りて来ている事である。パワーの差はこれで歴然。さらにランダエタは一階級下から上がって来ている。
都合、二階級差がある試合なのである。亀田有利は動かない。

今日も亀田は同じ戦法で闘う。全て今までうまくいってきた戦法だ。さらに身体的優位もある。
勝てないハズがない。

自信を持った1ラウンド終了間際。打ちっぱなしで防御を忘れた亀田の左頬をランダエタの右が打ち抜く。
亀田はヒョロヒョロとリングへ倒れこんだ。驚くほどの打たれ弱さだ。

おそらく亀田の自信が生んだ慢心が、パンチの打ちっぱなしを招いたのであろう。いわゆる油断である。
今までの対戦相手は亀田が押すと引き、打つと下がった。亀田は今日もそれと同じと思った。そこへ突然の右。

ダメージは明らかであった。ランダエタを押し込むことも出来ない。亀田ができたことはバッティング(頭突き)だけだった。
しかしランダエタは亀田よりも頭を低くした。これにより亀田が頭から飛び込んでもランダエタの頭が低い位置にあるため、亀田の顔面がランダエタの頭に当たる。
ランダエタはボクシングを知っていた。

今までの亀田のボクシングは完全に否定された。パンチも効かない、押し込めない。それで勝ってきたので、他の闘い方を知らない亀田は工夫を凝らすことができない。
同じアクションを繰り返すだけの壊れたオモチャのようになってしまった。
パワーでも負けている。二階級下の選手にだ。
これが11戦というキャリアの浅さが露呈したところだ。知恵が無い。セコンドにも知恵が無い。

そして予想外だったのが、亀田の打たれ弱さだ。ランダエタのパンチをもらう度にアゴを後ろにもっていかれ、身体は横に飛ばされた。

しかも試合終了間際にはダウン寸前まで追い詰められた。危なくなる度にランダエタにしがみつき、ダウンを逃れる。
個人的には、レフェリーがホールディング(抱え込み)の反則をとって減点してもよかったと思う。
あれはダウン相当のダメージだ。

今日、私が得た材料での亀田興毅は、

「強くない。うまくない。パワーもない。」

その亀田が勝った。この試合内容で勝った。


20年以上ボクシングを見てきて、初めてボクシングを恥ずかしく思った。
せっかくボクシングに興味を持ってくれた方もたくさん出てきてくれたのに、とんでもない恥ずかしいものを見せてしまった。
ボクシングはこんな恥ずかしい競技ではありません。
男と男が闘う純潔な競技です。プロレスではありません。

今日の茶番を見て、これがボクシングだとは思わないで下さい。

どうかお願いします・・・
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# by mau46 | 2006-08-02 23:49 | スポーツ

造られたチャンピオン

もちろん亀田興毅である。

彼は明日のタイトルマッチに臨んで記者会見をした。
テレビ局側の意向であろうが、ハンバーガーを食べながらの登場。

これはカッコ悪い。

ボクシングをあまり見ない方にはセンセーショナルなシーンであろうが、
世界的には既に数年前に行われた古いデモンストレーションである。
ニカラグアのリカルド=マヨルガが計量の体重計の上でチキンを食べるという事をしているのだ。

テレビ局、とりわけTBSが必死に亀田像を造り上げようとしている。

確かに戦績は素晴らしい。しかし私は疑問に思う。
マスコミ的にはタブーなのかもしれないが、私は敢えて言う。

「何故逃げたか、亀田興毅」

彼は今まで、無敗で突き進んでいる。しかし強敵と戦っていない。
テレビ局としては、亀田興毅をスーパースターに造り上げたいがために、
強敵と戦わせるリスクを排除してきたのだ。
ダイアモンドを傷つけないために・・・

そして今回、亀田興毅はライトフライ級の階級で戦う。
実はこの階級は普段の亀田興毅の階級(フライ級)より一階級軽い。

階級が軽くなれば減量のリスクはあるが、対戦相手のパンチは軽くなり有利となる。
しかも、本来のフライ級にはキラ星の如く強いチャンピオンがいる。
亀田興毅は以前からそのチャンピオンに対し挑発的な態度をとって来た。
私は当然の如く、その強いチャンピオンに挑戦するものと思い批判をしてこなかった。

しかし、今回は階級を下げた挙句、チャンピオンに挑戦するわけではない。
チャンピオンのいない階級に下げて、他のランキング選手と空位のチャンピオンの座を争うのである。

つまり、チャンピオンと戦わずにチャンピオンになれる選択肢を選んだのである。
これには肩透かしを喰らった。
ビッグマウスを叩くのであれば、タイトルマッチは強い選手と戦ってくれると思っていた。
しかし蓋を開ければ、世界ランカーといは言え、実力は不透明な選手。

あれほどの啖呵を切ったわりには小粒な選手と戦うのである。

わかるのだ。TBSとすれば亀田を何としてでもチャンピオンにしたい。
できれば無敗でチャンピオンにして、視聴率の取れるコンテンツにしたいのはわかる。
それにうってつけだった、一階級下の空位の王座。
偶然が重なり、亀田はタイトルのキップを掴んだ。

これはワールドカップ前のマスコミと全く同じだ。
本来の、等身大の亀田を伝えていない。
また、大政翼賛会化しているのではないか。

まったく成長の無いマスコミ。
日本人がボクシングを知らない事につけこんだ、中途半端なパフォーマンス。
舐めている。

おそらく亀田はチャンピオンになるであろう。

しかし、このままでいいのか?
強い相手と戦わずに、日本の中でしか評価されない世界チャンピオンでいいのか?

テレビ放送が全て正しい訳ではない事を、視聴者はワールドカップで学んだハズ。
少なくともこのコラムを読まれた方は、冷静な目で亀田興毅を見て欲しい。

そして、ホンモノの強敵と戦う時、仮に負けたとしても評価してあげて欲しい。



ホンモノの強敵とは、

フライ級チャンピオンの、メキシコのホルヘ=アルセと、タイのポンサクレック=ウォンジョンカムである。


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画像上:オリジナルのマヨルガ 画像下:パクった亀田君
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# by mau46 | 2006-08-01 10:42 | スポーツ

ベルカンプに花束を

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ついにスパイクを置く時が来た。
現在、私の最も尊敬する現役サッカー選手が身を引く時が来たのだ。

彼の為に私はアーセナルのファンになり、彼を観にロンドンまで足を運んだ。
全ては彼のためである。

彼は常に“美”を意識した。

それは決してスタンドプレーではなく、自分への確固たる美意識に忠実だったためである。その一つひとつのプレーが観衆を惹き付け、ロンドンを熱狂の渦に巻き込んでいった。

ここまで書けば彼は順風満帆な成功者と捉えられがちだが、実は違う。

私が彼を実際に見たのは、現在のアーセナルに所属する前のイタリア、セリエAのインテルに入団した時だった。

彼は母国オランダのアヤックスから鳴り物入りでインテルに入団した。ヨンクという選手と一緒に入団した。私はもちろん彼の存在を意識していたし、彼の活躍を決め付けていた。

当時から私の家ではWOWOWが観れたので、ベルカンプを観ることが出来たのだが、期待は見事に裏切られた。彼はイタリアで全く機能せず失意のままロンドンへ渡ることとなる。ここで彼は大きな挫折を味わっていた。

クライフは言う。
「才能ある若手にこそ挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる最大の良薬だからである。」

彼はその後ロンドンで爆発することになる。

彼の特徴は、“時間と空間を止める事ができる能力”である。
ボールは生きている。その慣性を彼は止めることができるのだ。どんな凶暴な弾道を描いたボールでも、彼の前ではおとなしい猫になってしまい、彼の足元に収まっている。もしくは彼の意のままにコントロールされている。
その姿に観客は呼吸を忘れる。時には対戦相手も見とれていたのではないか。

その才能を惜しみなく発揮し、飛べない白鳥はその美しい姿を我々の脳裏に強烈に焼き付けたまま去っていく。

デニス=ベルカンプ、いつかどこかの街で出会ったら一緒に蹴ってみたいものだ。
そして私は言うのだ。

「あんたを観るために、わざわざ遠い日本から行ったんだぜ、デニス」


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# by mau46 | 2006-07-24 23:12 | スポーツ


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