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あの月に向かって打て



おいたが過ぎるぜ、ベイビー

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あまり興味は無かったのだが、先日、世界ふしぎ発見を見るためにつけっ放しにしていた4チャンネル(関東ではTBSか)で『K-1』が放送されていた。

そうである。またあの『TBS』である。茶番を作らせたらトップクラスの放送局であろう。

桜庭が闘っていた。その試合での話。

TBSの意向はまるわかりである。
「フジテレビの『PRIDE』から引き抜いた桜庭というスターをなんとか次のイベントまで引っ張らなければならい。」

今回のK-1はトーナメントで、準決勝に出場すれば次回秋に興行されるイベントへ視聴者を引っ張ることができる。

TBSはなんとしてでも桜庭を今回勝たせて、秋まで引っ張るストーリーを作りたいのだ。そう。なんとしてでも・・・

私の目から見て、桜庭は明らかに衰えている。勘も鈍いし、動きも鈍重だ。桜庭は1997年UFC-Jで優勝した無名の時から知っているが、さすがにその動きを今彼に求めるのは残酷だ。

つまり桜庭は“看板”だけで闘っている。

試合は一方的に桜庭がやられていた。相手のパンチをまともにもらい、完全にグロッキーに追い詰められた。おそらく桜庭自身の意識は無かったであろう。昨今のバーリ・トゥード(なんでもアリ形式の格闘技)ではレフェリーが早めに試合を止める傾向にある。
しかし、この試合に限ってレフェリーは動かない。桜庭は朦朧とした中でも相手の足を掴んで離さず必死に食らいついていた。

この試合はどうなったか。

結局打ちつかれた相手から桜庭が奇跡の逆転勝利である。

相手にすれば、「どこまで打ち込めば試合が止まるんだ!」といったところであろう。

いつも思うのだが、こういった総合格闘技系のジャッジは非常に曖昧である。
“ここまでいけば試合を止める”といった指標が無い。
例えばボクシングだと、

○ 3回目のダウン(これはルールによるが)
○ パンチが出なくなった
○ パンチをもらってアゴが上がってしまった
○ 明らかに危険な状態である

といった、ある程度の指標がある。

しかし総合格闘技では、止めるのが異常に早いのが特徴だと考えられる。それはボクシングと違ってダウンが無いので、ダウンした選手に追い討ちをかける事が可能だからである。戦闘不能な選手に追い討ちをかけるのは非常に危険なのでレフェリーが早めに試合を止める。

私個人では、最近のレフェリーの止めるあまりの早さに不満があったのだが、こういった明確な指標が無いグレーなルールにTBS側は今回、目をつけたのであろう。

今回の場合は明らかにレフェリーは試合を敢えて止めなかった。桜庭がほぼ戦闘不可能な状況、これ以上戦闘を続けると危険であろう状態でもレフェリーは静観した。まるで相手の打ち疲れを待っているかのようだった。これは明らかにおかしい。

不正ではない。しかし、限りなく不正に近いグレーである。

この私のうがった見方も、亀田の試合を見ていたからと言う理由もあるかもしれない。
つまりTBS側が行ったここ数試合の格闘技によって、スポーツを真っ直ぐに見れなくなっている。
そんな視聴者も多いのではないか。過剰な演出がスポーツを汚している。

TBS主体の番組は亀田戦を視聴率でしか表現できない。
視聴者にそれを植えつけてどうする?
視聴者は視聴率に一喜一憂しない。
それはテレビ側の営業資料なだけである。

K-1も不正無く行われたのかもしれない。しかし視聴者の信頼を一気に失っている以上、それも素直に見れない部分もある。

民放はスポーツ放送をしない方がいいのかもしれない。
スポーツ専門チャンネルにファンが流れていく日も遠くない気がする。
いっその事、ペイパービューにすれば一番ハッキリするのではないか。




TBSよ。
ここんトコ、おいたが過ぎるぜ、ベイビー。
# by mau46 | 2006-08-07 12:51 | スポーツ

日本人のスポーツのとらえ方について

最近、やむなしにスポーツ番組を地上波で見る機会が多いのだが、非常に不快感を持っている。

何故いつも“感動”を前面に押し出そうとするのか。
そして、何故視聴者もそれにつられているのか。

私がいつも考えるのは、“感動”と言うものは与えられるものではない。見ているこちらが勝手にするものであろう。

例えば、今回の亀田の茶番。

これはテレビ局の意向もふんだんに込められた、最悪の芝居だった。
これに感動した人々のなんとチープな事か・・・

それは何故か?

我々がスポーツで感動するのは、

「スポーツがあって感動が生まれる。」

事である。

つまり“感動”というものはスポーツの副産物なのである。誰も“感動”するためにスポーツを見ない。
しかし、最近の地上波スポーツ番組は、

「感動させるプロセスとしてスポーツがある。」

という構図がある。

つまり、今回の亀田茶番では、番組終了間際に見せた“親子愛”のシーンを見せたいがためにボクシングの試合があったのである。
そしてまんまと乗せられた視聴者が多くいた。


そしてもう一つ思うことがある。
テレビのコメンテーターや、スポーツをやっていない、または知らない人がよく言うのだが、

「一生懸命な姿に感動した。」

と言うことだ。日本人は、目の前に一生懸命する人を見れば冷たい目をするくせに、テレビの演出になれば簡単に“感動”する。
しかし考えて欲しい。試合にのぞむに当たって、一生懸命闘わない選手がどこにいるのか?

一生懸命プレーするのは最低限の話であって、勝利を奪取するのは“それ以上の力”が必要なのである。
そんな基本的な事にも盲目になった人々を見ていると、日本人であることが恥ずかしくなる。
なんと価値観の低い人間の多いことか。

もう一度スポーツへの見る目を見つめ直して欲しい。


選手は視聴者に感動してもらうためにプレーしていません。
素晴らしいプレーを見てもらうためにプレーしているのです。
一生懸命な姿を見てもらいたいと思っていません。
一生懸命は当然の姿だからです。
勝つ姿を見てもらいたいのです。


日本人の見る目が腐りかけている。「なんとかせねば」という気持ちと、「もう手遅れ」という気持ちが混在している。
最近はもう諦めている。
# by mau46 | 2006-08-04 09:26 | スポーツ

造られてしまったチャンピオン

造られてしまったチャンピオン_e0090292_23485358.jpg

2006年8月2日。
日本に2つの「恥」が生まれた。

一つは、“君が代斉唱”
二つは、“捏造チャンピオン”

である。

起こってはいけないことが起こってしまったのである。


彼は今日、初めてボクシングをしたのであろう。
初めて“闘った”と言えば妥当か。

正直、勝てる相手としか試合をしてこなかった亀田が、
最初に面した闘う相手。それが、フアン=ランダエタだったのであろう。

今までは何をやってもうまくいった。パンチも当たれば、パワーで押し込むこともできた。さらに打たれる事もなかった。
それは亀田が起こすアクションに対しての抗力がゼロだったからである。
かなり大げさに言えば、「無抵抗の相手をなぶり殺す」程の勝ち方であったのである。それができる程度の対戦相手だったのである。
その闘い方に相当の自信があったに違いない。

さらに自信はまだある。
亀田が一階級上から降りて来ている事である。パワーの差はこれで歴然。さらにランダエタは一階級下から上がって来ている。
都合、二階級差がある試合なのである。亀田有利は動かない。

今日も亀田は同じ戦法で闘う。全て今までうまくいってきた戦法だ。さらに身体的優位もある。
勝てないハズがない。

自信を持った1ラウンド終了間際。打ちっぱなしで防御を忘れた亀田の左頬をランダエタの右が打ち抜く。
亀田はヒョロヒョロとリングへ倒れこんだ。驚くほどの打たれ弱さだ。

おそらく亀田の自信が生んだ慢心が、パンチの打ちっぱなしを招いたのであろう。いわゆる油断である。
今までの対戦相手は亀田が押すと引き、打つと下がった。亀田は今日もそれと同じと思った。そこへ突然の右。

ダメージは明らかであった。ランダエタを押し込むことも出来ない。亀田ができたことはバッティング(頭突き)だけだった。
しかしランダエタは亀田よりも頭を低くした。これにより亀田が頭から飛び込んでもランダエタの頭が低い位置にあるため、亀田の顔面がランダエタの頭に当たる。
ランダエタはボクシングを知っていた。

今までの亀田のボクシングは完全に否定された。パンチも効かない、押し込めない。それで勝ってきたので、他の闘い方を知らない亀田は工夫を凝らすことができない。
同じアクションを繰り返すだけの壊れたオモチャのようになってしまった。
パワーでも負けている。二階級下の選手にだ。
これが11戦というキャリアの浅さが露呈したところだ。知恵が無い。セコンドにも知恵が無い。

そして予想外だったのが、亀田の打たれ弱さだ。ランダエタのパンチをもらう度にアゴを後ろにもっていかれ、身体は横に飛ばされた。

しかも試合終了間際にはダウン寸前まで追い詰められた。危なくなる度にランダエタにしがみつき、ダウンを逃れる。
個人的には、レフェリーがホールディング(抱え込み)の反則をとって減点してもよかったと思う。
あれはダウン相当のダメージだ。

今日、私が得た材料での亀田興毅は、

「強くない。うまくない。パワーもない。」

その亀田が勝った。この試合内容で勝った。


20年以上ボクシングを見てきて、初めてボクシングを恥ずかしく思った。
せっかくボクシングに興味を持ってくれた方もたくさん出てきてくれたのに、とんでもない恥ずかしいものを見せてしまった。
ボクシングはこんな恥ずかしい競技ではありません。
男と男が闘う純潔な競技です。プロレスではありません。

今日の茶番を見て、これがボクシングだとは思わないで下さい。

どうかお願いします・・・
# by mau46 | 2006-08-02 23:49 | スポーツ

造られたチャンピオン

もちろん亀田興毅である。

彼は明日のタイトルマッチに臨んで記者会見をした。
テレビ局側の意向であろうが、ハンバーガーを食べながらの登場。

これはカッコ悪い。

ボクシングをあまり見ない方にはセンセーショナルなシーンであろうが、
世界的には既に数年前に行われた古いデモンストレーションである。
ニカラグアのリカルド=マヨルガが計量の体重計の上でチキンを食べるという事をしているのだ。

テレビ局、とりわけTBSが必死に亀田像を造り上げようとしている。

確かに戦績は素晴らしい。しかし私は疑問に思う。
マスコミ的にはタブーなのかもしれないが、私は敢えて言う。

「何故逃げたか、亀田興毅」

彼は今まで、無敗で突き進んでいる。しかし強敵と戦っていない。
テレビ局としては、亀田興毅をスーパースターに造り上げたいがために、
強敵と戦わせるリスクを排除してきたのだ。
ダイアモンドを傷つけないために・・・

そして今回、亀田興毅はライトフライ級の階級で戦う。
実はこの階級は普段の亀田興毅の階級(フライ級)より一階級軽い。

階級が軽くなれば減量のリスクはあるが、対戦相手のパンチは軽くなり有利となる。
しかも、本来のフライ級にはキラ星の如く強いチャンピオンがいる。
亀田興毅は以前からそのチャンピオンに対し挑発的な態度をとって来た。
私は当然の如く、その強いチャンピオンに挑戦するものと思い批判をしてこなかった。

しかし、今回は階級を下げた挙句、チャンピオンに挑戦するわけではない。
チャンピオンのいない階級に下げて、他のランキング選手と空位のチャンピオンの座を争うのである。

つまり、チャンピオンと戦わずにチャンピオンになれる選択肢を選んだのである。
これには肩透かしを喰らった。
ビッグマウスを叩くのであれば、タイトルマッチは強い選手と戦ってくれると思っていた。
しかし蓋を開ければ、世界ランカーといは言え、実力は不透明な選手。

あれほどの啖呵を切ったわりには小粒な選手と戦うのである。

わかるのだ。TBSとすれば亀田を何としてでもチャンピオンにしたい。
できれば無敗でチャンピオンにして、視聴率の取れるコンテンツにしたいのはわかる。
それにうってつけだった、一階級下の空位の王座。
偶然が重なり、亀田はタイトルのキップを掴んだ。

これはワールドカップ前のマスコミと全く同じだ。
本来の、等身大の亀田を伝えていない。
また、大政翼賛会化しているのではないか。

まったく成長の無いマスコミ。
日本人がボクシングを知らない事につけこんだ、中途半端なパフォーマンス。
舐めている。

おそらく亀田はチャンピオンになるであろう。

しかし、このままでいいのか?
強い相手と戦わずに、日本の中でしか評価されない世界チャンピオンでいいのか?

テレビ放送が全て正しい訳ではない事を、視聴者はワールドカップで学んだハズ。
少なくともこのコラムを読まれた方は、冷静な目で亀田興毅を見て欲しい。

そして、ホンモノの強敵と戦う時、仮に負けたとしても評価してあげて欲しい。



ホンモノの強敵とは、

フライ級チャンピオンの、メキシコのホルヘ=アルセと、タイのポンサクレック=ウォンジョンカムである。


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画像上:オリジナルのマヨルガ 画像下:パクった亀田君
# by mau46 | 2006-08-01 10:42 | スポーツ

ベルカンプに花束を

ベルカンプに花束を_e0090292_2311306.jpg

ついにスパイクを置く時が来た。
現在、私の最も尊敬する現役サッカー選手が身を引く時が来たのだ。

彼の為に私はアーセナルのファンになり、彼を観にロンドンまで足を運んだ。
全ては彼のためである。

彼は常に“美”を意識した。

それは決してスタンドプレーではなく、自分への確固たる美意識に忠実だったためである。その一つひとつのプレーが観衆を惹き付け、ロンドンを熱狂の渦に巻き込んでいった。

ここまで書けば彼は順風満帆な成功者と捉えられがちだが、実は違う。

私が彼を実際に見たのは、現在のアーセナルに所属する前のイタリア、セリエAのインテルに入団した時だった。

彼は母国オランダのアヤックスから鳴り物入りでインテルに入団した。ヨンクという選手と一緒に入団した。私はもちろん彼の存在を意識していたし、彼の活躍を決め付けていた。

当時から私の家ではWOWOWが観れたので、ベルカンプを観ることが出来たのだが、期待は見事に裏切られた。彼はイタリアで全く機能せず失意のままロンドンへ渡ることとなる。ここで彼は大きな挫折を味わっていた。

クライフは言う。
「才能ある若手にこそ挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる最大の良薬だからである。」

彼はその後ロンドンで爆発することになる。

彼の特徴は、“時間と空間を止める事ができる能力”である。
ボールは生きている。その慣性を彼は止めることができるのだ。どんな凶暴な弾道を描いたボールでも、彼の前ではおとなしい猫になってしまい、彼の足元に収まっている。もしくは彼の意のままにコントロールされている。
その姿に観客は呼吸を忘れる。時には対戦相手も見とれていたのではないか。

その才能を惜しみなく発揮し、飛べない白鳥はその美しい姿を我々の脳裏に強烈に焼き付けたまま去っていく。

デニス=ベルカンプ、いつかどこかの街で出会ったら一緒に蹴ってみたいものだ。
そして私は言うのだ。

「あんたを観るために、わざわざ遠い日本から行ったんだぜ、デニス」


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# by mau46 | 2006-07-24 23:12 | スポーツ


スポーツに関するコラムを書いてます。

by mau46